第六章①

 その懸案事項はふうとうの形をして昨日に引き続き俺のばこに入っていた。なんだろう、下駄箱に手紙を入れるのが最近の流行なのか?

 しかし今度のブツは一味ちがうぞ。二つにおったノートのはしの名無しではない。少女マンガのオマケみたいな封筒の裏にちゃんと名前が記入されている。ちようめんなその文字は、俺の目がどうにかしているのでもない限り、

 朝比奈みくる

 と、読めた。

 封筒を一動作でブレザーのポケットに収めた俺が男子トイレの個室に飛び込んでふうを切ったところ、印刷された少女キャラのイラストが微笑ほほえ便びんせんの真ん中に、

『昼休み、部室で待ってます   みくる』

 昨日あんな目にあったおかげで、俺の人生観と世界観と現実感はまとめてバレルロールをえがきつつ現在アクロバット中だ。

 ほいさと出かけて行って、また生命の危機に直面するのはめんこうむりたい。

 しかしここで行かないわけにはいくまい。だれあろう、朝比奈さんの呼び出しである。この手紙の主が朝比奈さんであると断言するこんきよはないが、俺はさっぱり疑わなかった。いかにもこんな回りくどいことをしそうな人だし、可愛かわいらしいレターセットにいそいそとペンを走らせている光景はまさしく彼女に似つかわしいじゃないか。それに昼休みの部室なら、長門もいるだろうし、何かあればあいつがなんとかしてくれるさ。

 情けないとか言わんでくれ。こちとらいつかいの通常な男子高生に過ぎないんだからよ。



 四時限が終わるや俺は、休み時間の間から意味深な視線を送ってくる谷口に話しかけられたりいつしよに弁当食べようと国木田が近寄ったり職員室行って朝倉の引っ越し先を調べようとかハルヒが言い出す前に、弁当も持たずに教室からだつしゆつした。部室まで早歩き。

 まだ五月だと言うのに照りつける陽気はすでに夏の熱気、太陽は特大の石炭でもくべられたみたいにうれしそうにエネルギーを地球へ注いでいる。今からこれじゃ夏本番になると日本は天然のサウナ列島になるんじゃないだろうか。歩いているだけであせでパンツのゴムがれてくる。

 三分とかからず、俺は文芸部の部室前に立つ。とりあえずノック。

「あ、はーい」

 確かに朝比奈さんの声だった。ちがいない。俺が朝比奈さんの声を聞き間違えるわけがない。どうやら本物だ。安心して、入る。

 長門はいなかった。それどころか朝比奈さんもいなかった。

 校庭に面した窓にもたれるようにして、一人の女性が立っていた。白いブラウスと黒のミニタイトスカートをはいているかみの長いシルエット。あしもとは来客用のスリッパ。

 その人は俺を見ると、顔中に喜色をかべてけ寄り、俺の手を取ってにぎりしめた。

「キョンくん……久しぶり」

 朝比奈さんじゃなかった。朝比奈さんにとてもよく似ている。本人じゃないかとさつかくするほど似ている。実際、本人としか思えない。

 でもそれは朝比奈さんではなかった。俺の朝比奈さんはこんなに背が高くない。こんなに大人っぽい顔をしていない。ブラウスの布地をき上げる胸が一日にして三割増しになったりはしない。

 俺の手を胸の前でささげ持って微笑んでいるその人は、どうやったって二十歳前後だろう。中学生のような朝比奈さんとはふんが違う。しかしそれでもなお、彼女は朝比奈さんとウリ二つだった。何もかもが。

「あの……」

 俺はとっさに思いつく。

「朝比奈さんのお姉さん……ですか?」

 その人は可笑おかしそうに目を細めてかたふるわせた。笑った顔まで同じだ。

「うふ、わたしはわたし」と彼女は言った。

「朝比奈みくる本人です。ただし、あなたの知ってるわたしより、もっと未来から来ました。……会いたかった」

 俺はバカみたいな顔をしていたに違いない。そうだ、確かに目の前の女性が今から何年後かの朝比奈さんだと言われると一番すっきりする。朝比奈さんが大人になったらこんな感じの美人になるだろうなというそのまんまな美人がここにいた。ついでに言うと身長もびてさらにグラマー度がアップしている。まさかここまでになるとは。

「あ、信用してないでしょ?」

 その秘書スタイルの朝比奈さんはいたずらっぽく言うと、

しようを見せてあげる」

 やにわにブラウスのボタンを外しだした。第二ボタンまでを外してしまうと、面食らう俺に向けてむなもとを見せつけ、

「ほら、ここに星形のホクロがあるでしょう? 付けボクロじゃないよ。さわってみる?」

 左の胸のギリギリ上に確かにそんな形のホクロがなまめかしく付いていた。白いはだに一つだけ浮かんだアクセント。

「これで信じた?」

 信じるも何も、俺は朝比奈さんのホクロの位置なんか覚えちゃいない。そんなきわどい部分までを見ることが出来たのは、バニーガールのコスプレをしていた時と、こうりよくえをのぞいてしまった時くらいだが、どっちにしたってそこまで細かいところを観察などしていない。俺がそのむねを伝えると、わくの大人朝比奈さんは、

「あれ? でもここにホクロがあるって言ったのキョンくんだったじゃない。わたし、自分でも気づいてなかったのに」

 不思議そうに首をかしげ、次に彼女はおどろきに目を見開き、それから急激に赤くなった。

「あ……やだ、今……あっ、そうか。この時はまだ……うわ、どうしよっ」

 シャツの前をはだけたまま、その朝比奈さんは両手でほおを包んで首をった。

「わたし、とんでもないかん違いを……ごめんなさい! 今の忘れて下さい!」

 そう言われてもなあ。それより早くボタンとめてくれないかな。どこ見たらいいのか迷います。

わかりました。とにかく信じますから。今の俺はたいていのことは信じてしまえるような性格をかくとくしたので」

「は?」

「いえ、こちらの話です」

 まだ赤らむ頬を押さえていたねんれいしようの朝比奈さんは、どうしてもそっちに吸い寄せられてしまう俺の目線に気づいて、あわててボタンをとめた。居住まいを正し、こほんとかわいたせきを一つ落として、

「この時間平面にいるわたしが未来から来たって、本当に信じてくれました?」

「もちろん。あれ、そしたら今、二人の朝比奈さんがこの時代にはいるってことですか?」

「はい。過去の……わたしから見れば過去のわたしは、現在教室でクラスメイトたちとお弁当中です」

「そっちの朝比奈さんはあなたが来ていることを……」

「知りません。実際知りませんでしたし。だってそれ、わたしの過去だもの」

 なるほど。

「あなたに一つだけ言いたいことがあって、無理を言ってまたこの時間に来させてもらったの。あ、長門さんには席を外してもらいました」

 長門のことだから、この朝比奈さんを見てもまばたき一つしなかったことだろう。

「……朝比奈さんは長門のことを知ってるんですか?」

「すみません。禁則こうです。あ、これ言うのも久しぶりですね」

「俺は先日聞いたばかりですが」

 そうでした、と自分の頭をぽかりとたたいて朝比奈さんは舌を出した。こんなところはちがいようもなく朝比奈さんである。

 が、急にな顔になると、

「あまりこの時間にとどまれないの。だから手短に言います」

 もう何でも言ってくれ。

「白雪ひめって、知ってます?」

 俺は今やたけのそう変わらない朝比奈さんを見つめた。ちょっとうるみがちの黒いひとみ

「そりゃ知ってますけど……」

「これからあなたが何か困った状態に置かれたとき、その言葉を思い出して欲しいんです」

「七人の小人とかじよとか毒リンゴとかの、あれですか?」

「そうです。白雪姫の物語を」

「困った状態なら昨日あったばかりですが」

「それではないんです。もっと……そうですね、くわしくは言えないけど、その時、あなたのそばには涼宮さんもいるはずです」

 俺と? ハルヒが? そろってやっかいごとに巻き込まれるって? いつ、どこで。

「……涼宮さんはそれを困ったじようきようとは考えないかもしれませんが……あなただけじゃなくて、わたしたち全員にとって、それは困ることなんです」

「詳しく教えてもらうわけには──いかないんでしょうね」

「ごめんなさい。でもヒントだけでもと思って。これがわたしのせいいつぱい

 大人朝比奈さんはちょっと泣きが入っている顔をした。ああ、確かに朝比奈さんだな、これは。

「それが白雪姫なんですか」

「ええ」

「覚えておきますよ」

 俺がうなずくと朝比奈さんは、もうちょっとだけ時間があります、と言って、なつかしそうに部室をわたし、ハンガーラックにかかっていたメイド服を手にしていとおしげにでた。

「よくこんなの着れたなあ、わたし。今なら絶対ムリ」

「今の格好もOLのコスプレみたいですよ」

「ふふ、制服を着るわけにはいかなかったから、ちょっと教師風にしてみました」

 何を着ても似合う人というのはいるものだ。試しにいてみる。

「ハルヒにはほかにどんな衣装を着せられたんです?」

ないしよずかしいもん。それに、そのうち解るでしょう?」

 スリッパをペタペタ鳴らしながら朝比奈さんは俺の目の前に立つと、みように潤んだ目とまだ少し赤い頬で、

「じゃあ、もう行きます」

 もの問いたげに、朝比奈さんは真正面から俺を見つめ続ける。くちびるが何かを求めるように動き、俺はキスでもしたほうがいいのかなと思って朝比奈さんのかたこうとして──げられた。

 ひょいと身をひねった朝比奈さんは、

「最後にもう一つだけ。わたしとはあまり仲良くしないで」

 すずむしのため息のような声。

 入り口に走った朝比奈さんに、俺は声をかけた。

「俺も一つ教えて下さい!」

 ドアを開こうとしてピタリと止まる朝比奈さんの後ろ姿。

「朝比奈さん、今、としいくつ?」

 巻き毛をひるがえして朝比奈さんはり返った。見る者すべてをこいに落としそうながおだった。

「禁則事項です」

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