第五章⑥

「一つ一つのプログラムが甘い」

 長門は平素と変わらない無感動な声で、

「天井部分の空間へいも、情報封鎖も甘い。だからわたしに気づかれる。しんにゆうを許す」

じやする気?」

 対する朝倉も平然たるものだった。

「この人間が殺されたら、ちがいなく涼宮ハルヒは動く。これ以上の情報を得るにはそれしかないのよ」

「あなたはわたしのバックアップのはず」

 長門はきようのようなへいたんな声で、

「独断専行は許可されていない。わたしに従うべき」

「いやだと言ったら?」

「情報結合を解除する」

「やってみる? ここでは、わたしのほうが有利よ。この教室はわたしの情報制御空間」

「情報結合の解除をしんせいする」

 言うが早いか、長門の握ったナイフの刃がきらめき出した。紅茶に入れた角砂糖のように、しようけつしようとなってサラサラとこぼれ落ちていく。

「!」

 ナイフを放して朝倉はいきなり五メートルくらい後ろにジャンプした。それを見て俺は、

 ああ、この二人本当に人間じゃないみたいだな、とかゆうちようなことを思った。

 一気にきよかせいだ朝倉は教室の後ろにふわりと着地。微笑ほほえみは変わりない。

 空間がぐにゃりとゆがんだ。としか言いようがない。朝倉も机も天井もゆかもまとめてらぎ、液体金属のように変化する様が見て取れたが、よくは見えない。

 ただその空間そのものがやりのようにぎようしゆくする、と思ったしゆんかんには長門のかざしたてのひらの前で結晶が爆発したことだけがわかった。

 かんはつ置かず、長門の周囲で次々と結晶の粉がさくれつしてはい落ちる。空間をこごめた槍状の武器が視認不可能な速度で俺たちをおそい、長門の手が同様の速度でそのすべてをげいげきしていることに気付いたのは、しばらくたってからのことだった。

「離れないで」

 長門は朝倉のこうげきはじきながら片手で俺のネクタイをつかんで引き下ろし、俺はかがみ込んだ長門の背中に乗っかるような体勢でひざをついた。

「うわっ!」

 俺の頭を見えない何かがかすめて黒板を粉々にたたつぶした。

 長門がチラリと上を見上げる。そのせつ、天井から氷柱が生えて朝倉の頭上に降り注ぐ。残像だけを残す高速移動。天井色の氷柱が床に何十本ともなくき立って林を作る。

「この空間ではわたしには勝てないわ」

 まったくのゆうの表情で朝倉はたたずんでいる。数メートルの間をはさんで長門とたい。俺はと言うと、情けないことにこしが立たず、床にへばりついていた。

 長門は俺の頭をまたいで立っていた。にも上履きの横に小さく名前を書いているのがこいつらしい。小説の朗読をするような口調で長門は何かをつぶやいた。こう聞こえた。

「SELECTシリアルコードFROMデータベースWHEREコードデータORDER BY攻性情報せんとうHAVINGターミネートモード。パーソナルネーム朝倉涼子を敵性と判定。とうがい対象の有機情報連結を解除する」

 教室の中はもうまともな空間ではなくなっていた。何もかもが学模様と化してわんきよくし、うずを巻いておどっている。見ているといそうだ。まるで遊園地のビックリハウスに乗っているような視覚効果。目が回る。

「あなたの機能停止のほうが早いわ」

 ごくさいしきしんろうかげかくれた朝倉の声がどこから聞こえてくるのか全然解らない。

 ヒュン、と風切り音。

 長門のかかとが俺を思い切り飛ばした。

「なにす」

 る、と言いかけた俺の鼻先を見えない槍が通過、床がめくれ返る。

「そいつを守りながら、いつまで持つかしら。じゃあ、こんなのはどう?」

 次の瞬間、俺の前に立ちはだかった長門の身体からだが一ダースほどの茶色の槍につらぬかれていた。

「…………」

 つまり、朝倉は俺と長門に向かって同時に多方向から攻撃を加え、そのうちのいくつかを結晶化して無効にしたものの、迎撃しきれなかった槍が俺を襲い、俺を守るために長門は自分の身体を使用した、ということだったのだが、この時の俺にはそんなこと知るよしもなかった。

 長門の顔から眼鏡めがねが落ちて、床で小さくねた。

「長門!」

「あなたは動かないでいい」

 胸から腹にかけてビッシリと突きさった槍をいちべつして長門は平然と言った。

 せんけつが長門の足許に小さな池を作り始めている。

「へいき」

 いや、ちっとも平気には見えねえって。

 長門はまゆ一つ動かさずに身体に生えた槍を引きいて床に落とした。かわいた音を立てて転がった血まみれの槍は、数瞬ののちに生徒机へと姿を変える。槍の正体はそれか。

「それだけダメージを受けたら他の情報にかんしようする余裕はないでしょ? じゃ、とどめね」

 揺らぐ空間の向こうに、朝倉の姿が見え隠れする。笑っている。両手が静かに上がり──俺のちがいでなければ、指先からうでまでがまばゆい光に包まれて二倍ほどにびた。いや、二倍どころか──。

「死になさい」

 朝倉の腕が、さらに伸び、しよくしゆのようにのたくってとつしゆつ、左右からの同時攻撃、動けない長門のがらな身体が揺れ……。俺の顔に赤くて温かい液体が飛び散った。

 右のわきばらに突き立った朝倉の左腕と、左胸を貫いた右腕が、背中を突きやぶって教室のかべをもぶち抜いてようやく止まっていた。

 長門の身体からき出した血が白い足をつたって床のまりのはばを拡大させていく。

「終わった」

 ポツリと言って、長門は触手をにぎった。何も起こらない。

「終わったって、何のこと?」

 朝倉は勝ちを確信したかのような口調。

「あなたの三年あまりの人生が?」

「ちがう」

 これだけの重傷を負いながら長門は何もなかったように言った。

「情報連結解除、開始」

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