第五章③

「……」

 朝比奈さんはフリフリのエプロンドレスを手に持って、ドアノブを握ったままたたずむ俺をびっくりしたねこのように丸い目で見つめて、ゆっくりと口を悲鳴の形に開いていく。

「失礼しました」

 声を出される前に俺はみ出しかけていた足を元の位置にもどしてドアを閉めた。幸いなことに悲鳴は聞かずにすんだ。

 しまったな、ノックすべきだった。いや待て、えるんならかぎくらいかけておいてくれよなあ。

 もうまくに映った白いしんを長期おくに移行すべきかどうか考えていると、内側からひかえめなノックの音。「どうぞ……」声も控えめだ。

「すみません」

「いえ……」

 ドアを開けてくれた朝比奈さんの頭二つぶんくらい低いところにある旋毛つむじを見つつ謝る俺に、朝比奈さんは目元をうっすらピンクに染めて、

「わたしこそ、いつもずかしいところばかり見せちゃって……」

 全然けっこうです。

 どうやらハルヒの注文をちよくに守っているらしい。朝比奈さんは例のメイド服を着込んでしきりと恥じらっていた。

 やっぱり可愛かわいい。

 このまま朝比奈さんと見つめ合っていたら、さっきの映像やら何やらが脳内でこんがらがって究極的にダメになりそうだったので、俺は理性を総動員してリビドーをげいげき、団長席に座ってパソコンのスイッチを入れた。

 視線を感じて目を上げると長門有希がめずらしくこっちをながめていて、眼鏡めがねのブリッジに手をえてちょいと上げ、読書に戻る。みようなほど人間くさい仕草に見えた。

 HTMLエディタを起動してホームページファイルを呼び出す。いつまでも代わり映えしないSOS団サイトをどうにかしようと思ったのだが、何をどう発展させればいいのか見当もつかない。いつもに時間をろうしてたんそくとともにファイルを閉じるだけであり、だったらせんでもいいじゃないかという気もしつつ、何せヒマだからな。オセロもきたし。

 うでを組んでしんぎんする俺の前に湯飲みが置かれた。メイド服の朝比奈さんが、にっこりしてぼんかかげている。もうまるで本物のメイドさんに給仕されている気分。

「ども」

 さっき古泉にコーヒーをおごられたばかりだが、当たり前だ、ありがたくちようだいする。

 朝比奈さんはさらに長門にもお茶を配って、そのとなりに座り、ふーふー冷ましながらせんちやを飲み始めた。


 結局その日、ハルヒは部室に姿を現さなかった。



「昨日はどうして来なかったんだよ。反省会をするんじゃなかったのか?」

 例によって例のごとし。朝のホームルーム前に後ろの席に話しかける俺である。

 机にあごをつけてしていたハルヒはめんどうくさそうに口を開いた。

「うるさいわね。反省会なら一人でしてたわよ」

 けばハルヒは土曜に三人で歩いたコースを、昨日学校が引けた後で一人でめぐっていたのだと言う。

「見落としがあったんじゃないかと思って」

 犯行現場に何度も足を運ぶ習性のあるのはけいだけかと思っていたが。

「暑いしつかれた。ころもえはいつからなのかしら。早く夏服に着替えたいわ」

 衣替えは六月からだ。あと一週間ほど五月は残っている。

「涼宮、前にも言ったかもしれないけどさ、見つけることも出来ないなぞ探しはすっぱりめて、つうの高校生らしい遊びをかいたくしてみたらどうだ」

 ガバッと起きあがってにらみつけられる……ことを予想したのだが、あにはからんや、ハルヒはぐてっとほおを机にくっつけたままだった。疲れているのは本当のようだ。

「高校生らしい遊びって何よ」

 声にもうるおいがない。

「だから、いい男でも見つけて市内の散策ならそいつとやれよ。デートにもなって一石二鳥だろうが」

 あの日の朝比奈さんとの語らいを思い出しながら俺はそう提案する。

「それにお前なら男には不自由しないぞ。そのきような性格をいんぺいしていればの話だが」

「ふんだ。男なんかどうでもいいわ。れんあい感情なんてのはね、一時の気の迷いよ、精神病の一種なのよ」

 机をまくらにして窓の外へぼんやり視線を固定したまま、ハルヒは無気力に言った。

「あたしだってねー、たまーにだけどそんな気分になったりするわよ。そりゃ健康な若い女なんだし身体からだをもてあましたりもするわ。でもね、一時の気の迷いで面倒ごとを背負い込むほどバカじゃないのよ、あたしは。それにあたしが男あさりに精出すようになったらSOS団はどうなるの。まだ作ったばっかりなのに」

 ほんと言うとまだ出来てもいないんだがな。

「何か適当なお遊びサークルにすればいい。そうすりゃ人も集まるぞ」

「いやよ」

 一言できよぜつされた。

「そんなのつまんないからSOS団を作ったのに。えキャラと謎の転校生も入団させたのに。何も起こらないのは何故なぜなのよ? あああ、そろそろ何かパアッと事件の一つでも発生しないかな」

 こんなに参っているハルヒを見るのも初めてだが、弱気になっている顔は割合可愛かった。笑わなくても普通の顔をしているだけで、こいつはけっこうえがするんだ。つくづく、もったいない。

 その後、午前の授業中のほとんどを、ハルヒはじゆくすいして過ごした。一度も教師に発見されなかったのはせき……いやぐうぜんだろう、やはり。



 だがこの時、しくも事件はひそかに始まっていたのだ。パアッというほど派手じゃなかったからほとんどだれも知らないうちに始まって、また終わった事件なのだが、少なくとも俺は朝のホームルームの時点で、そうだな、足首にまでその事件にかっていたんだ。

 実はハルヒに話しかけながら、俺は一つのけんあんこうかかえていた。その懸案は朝、俺のばこに入っていたノートの切れはし

 そこには、

『放課後誰もいなくなったら、一年五組の教室に来て』

 と、明らかな女の字で書いてあった。

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