第五章②

 俺は古泉の顔を見返した。正気のとは思えんな。

「そんなわけがないだろ。俺は三年前より以前のおくだってちゃんとあるし、親だって健在だ。ガキのころにドブに落ちて三針ったきずあとだってちゃんと残ってる。日本史で必死こいて覚えている歴史はどうなるんだよ」

「もし、あなたをふくめる全人類が、それまでの記憶を持ったまま、ある日突然世界に生まれてきたのではないということを、どうやって否定するんですか? 三年前にこだわることもない。いまからたった五分前に全宇宙があるべき姿をあらかじめ用意されて世界が生まれ、そしてすべてがそこから始まったのではない、と否定出来るろんきよなどこの世のどこにもありません」

「…………」

「例えば、仮想現実空間を考えてみて下さい。あなたが脳に電極をめ込まれ、見ている映像や空気のにおいやテーブルをさわった感覚などが、全部直接脳にあたえられている情報なのだとしたら、あなたはそれが本当の現実でないと気付くことはないでしょう。現実とは、世界とは意外にもろいものなんです」

「……それはそれでいいことにしておこう。世界が三年前か五分前に始まったってのもまあいい。そこから何をどうひねったらハルヒの名前が出てくるんだ?」

「『機関』のおえら方は、この世界をある存在が見ている夢のようなものだと考えています。我々は、いやこの世界そのものがその存在にとっての夢にすぎないのではないかとね。なにぶん夢ですから、その存在にとって我々が現実と呼ぶ世界を創造したり改変したりすることなどはにも等しいはずです。そして我々はそんなことの出来る存在の名を知っています」

 ていねい語で落ち着いたしやべりのせいか古泉の顔つきは腹立たしいほど大人びて見えた。

「世界を自らの意思で創ったりこわしたり出来る存在──人間はそのような存在のことを、神、と定義しています」

 ……おい、ハルヒ。お前とうとう神様にまでされちまったぞ。どうすんだ。

「ですから『機関』の者はせんせんきようきようとしているんですよ。万が一、この世界が神の不興を買ったら、神はあっさり世界をかいして一から創り直そうとするかもしれません。砂場に作った山の形が気に入らなかった子供のように。僕はいくらじゆんに満ちた世の中だとは言え、この世界にそれなりの愛着をいだいています。ですので、『機関』に協力しているというわけなんです」

「ハルヒにたのんでみたらどうだ、世界を壊すのはどうかやめて下さいってな。聞いてくれるかもしれないぞ」

「もちろん涼宮さんは自分がそのような存在であることには無自覚です。彼女はまだ本来の能力に気付いていない。我々は出来ればしようがい気付かないままへいおん無事な人生を送ってもらいたいと考えています」

 ここでやっと古泉は元の笑みを取りもどした。

「言うならば彼女は未完成の神ですよ。自在に世界をあやつるまでにはなっていない。ただし未発達ながら、へんりんを見せるようにはなっています」

「どうして解る?」

「あなたは何故なぜ我々みたいなちようのうりよく者や、あるいは朝比奈みくるや長門有希のような存在がこの世にいると思うんですか。涼宮さんがそう願ったからですよ」

 宇宙人、未来人、異世界人、超能力者がいたら、あたしのところに来なさい。

 最初に出会った教室の自己しようかいでハルヒが述べたセリフがよみがえる。

「彼女はまだ自覚的に神のごとき力を発揮出来はしない。無意識のうちにぐうぜんその力を行使しているにすぎません。しかしこの数ヶ月ほど、明らかに人知をえた力が涼宮さんから放たれたことはわかっています。その結果は、もう言うまでもありませんね。涼宮さんは朝比奈みくると出会い、長門有希に出会い、そして僕をも彼女の一団に加えてしまった」

 俺だけけ者かよ。

「そうではありません。それどころか、あなたが一番のなぞなんです。失礼とは思いましたが、あなたについては色々調べさせてもらいました。保証します、あなたは特別何の力も持たないつうの人間です」

 ほっとしていいのか、悲しむべきなのか。

「解りませんね。ひょっとしたらあなたが世界の命運をにぎっているということも考えられます。これは我々からのお願いです。どうか涼宮さんがこの世界に絶望してしまわないように注意して下さい」

「ハルヒが神様だと言うのならな」と俺は提案した。「あいつをつかまえてかいぼうでもして、頭の中の仕組みでも調べるなりなんなりしてみたらどうだ。手っ取り早く世界の仕組みが解るかもしれないぞ」

「そのように主張するきようこう派も、確かに『機関』には存在します』

 あっさり古泉はうなずいた。

「ですが、軽々しく手を出すべきではないという意見で大勢はめられています。もしうっかりと神のげんそこねてしまうようなことがあれば、高確率で取り返しのつかないことになるでしょう。我々が望んでいるのは世界の現状ですから、涼宮さんには平和な生活を送っていただけることを希望しています。ヘタを打てば、ばちの中のぐりを取ろうとして結果、火傷やけどをすることになるだけですよ」

「……いったいどうすりゃいいんだよ」

「それも解りません」

「もし、もしもだな、ハルヒがポックリっちまったら世界はどうなる?」

「さて、同時に世界もいつしゆんにしてしようめつするのか、神なき世界が続くのか、また新しい神が生まれるのか。だれにも解りません。その時が来るまでね」

 紙コップのコーヒーはすっかり冷たくなっていた。飲む気がせて、俺はそれをテーブルのはしに追いやると、

「超能力者とか言ったな」

「ええ、我々はまたちがめいしようをつけていますが、簡単に言えばそれで間違いないでしょう」

「だったら何か力を使って見せてくれよ。そうしたらお前の言うことを信用してやる。例えばこのコーヒーを元の熱さに戻すとか」

 古泉は楽しそうに笑った。ふくみ笑い以外のみを見るのはこれが最初かもしれない。

「すみません無理です。そういう解りやすい能力とはちょっと違うんです。それに普段の僕には何の力もありません。力を使えるのはいくつかの条件が重なって初めて出来ることなんです。お見せする機会もあるでしょう」

 長々と話したりしてすみませんでした、今日はもう帰ります、と言って、古泉はにこやかにテーブルをはなれた。

 俺は軽快に去りゆく古泉の背中が見えなくなるまで見送って、ふと思いついて紙コップを手に取った。

 言うまでもないかもしれないが。

 当然、中身は冷たいままだった。



 部室に戻ると朝比奈さんが下着姿で立っていた。

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