第三章③

 まるでワープロで印字したみたいにれいな手書き文字が書いてあった。このそっけなさ、いかにも長門が書きそうな感じではある。あるのだが、ここで疑問がつのる。

 俺がこの本を受け取ったのは何日も前の話である。午後七時というのは、その日の午後七時のことなのだろうか。それとも今日の午後七時でいいんだろうか。まさか俺がこのメッセージをいつ目にしてもいいように、毎日公園で待っていたりしてたのじゃないだろうな。今日必ず読めと言った長門の真意は、今日こそこの栞を見つけろってことだったのか? しかしそれなら部室で直接俺に言えばいいだけだし、そもそも夜の公園に呼び出す必要性がわからない。

 時計を見ると午後六時四十五分をちょっと過ぎている。光陽園駅は高校から一番近い私鉄の駅だが俺の自宅からではチャリをどんなに飛ばしても二十分はかかる。

 考えていたのは十秒くらいのはずだ。

 俺は栞をジーンズのポケットに入れるとさんがつうさぎのように部屋を飛び出て階段をけ降り、台所からアイスくわえて出て来た妹の「キョンくんどこ行くのー」の声に「駅前」と答え、げんかん先につないでいたママチャリにまたがって走り出しながらライトを足で点け、帰ったらタイヤに空気入れようと決意しつつ可能な限りのスピードでペダルをんだ。

 これで長門がいなかったら笑ってやる。



 笑わずに済んだようだ。

 交通法規をじゆんしゆしたおかげで、俺が駅前公園にとうちやくしたのは七時十分ころ。大通りから外れているため、この時間になるとあまり人通りもない。

 電車や車の立てるけんそうを背中で聞きながら俺は自転車を押して公園に入っていく。とうかんかくで立っている街灯、その下にいくつかかたまって設置されている木製ベンチの一つに、長門有希の細っこいシルエットがぼんやりかんでいた。

 どうにも存在感のはくな女である。知らずに通りかかったらゆうれいかと思うかもしれない。

 長門は俺に気付いて糸に引かれたあやつり人形のようにすうっと立ち上がった。

 制服姿である。

「今日でよかったのか?」

 うなずく。

「ひょっとして毎日待っていたとか」

 うなずく。

「……学校で言えないことでも?」

 うなずいて、長門は俺の前に立った。

「こっち」

 歩き出す。足音のしない、まるでにんじやみたいな歩き方である。やみけるように遠ざかる長門の後を、俺は仕方なくついて行く。

 ふうれるショートカットをながめるともなく眺めながら歩いて数分後、俺たちは駅からほど近いぶんじようマンションへたどり着いた。

「ここ」

 げんかん口のロックをテンキーのパスワードで解除してガラス戸を開ける。俺は自転車をその辺に止めてエレベータに向かう長門の後を追った。エレベータの中で長門は何を考えているのか解らない顔で一言も発せず、ただ数字ばんぎようしている。七階着。

「あのさ、どこに行こうとしてるんだ?」

 まことにおくればせながら俺は質問する。マンションのドアが立ち並ぶ通路をすたすた歩きながら長門は、

「わたしの家」

 俺の足が止まる。ちょっと待て、何で俺が長門の家に招待されなければならないんだ。

だれもいないから」

 ますますちょっと待て。それはいったいどういう意味であるのか。

 708号室のドアを開けて、長門は俺をじいいっと見た。

「入って」

 マジかよ。

 うろたえつつもろうばいを顔に出さないようにして、おそる恐る上がらせていただく。くつぎ一歩進んだところでドアが閉められる。

 何か取り返しのつかない所に来てしまったような気がした。その音にきつな予感を感じてり返る俺に、長門は、

「中へ」

 とだけ言って自分の靴を足のひとりで脱ぎ捨てた。これで室内が真っ暗だったら何を置いてもげ出すつもりだったが、こうこうたる明かりが広々とした部屋を寒々と照らしている。

 3LDKくらい? 駅前という立地を考えると、けっこうな値段なんじゃないだろうか。

 しかしまあ、生活しゆうのない部屋だな。

 通されたリビングにはコタツ机が一つ置いてあるだけでほかには何もない。なんと、カーテンすらかかっていない。十じようくらいのフローリングにはカーペットもかれず茶色の木目をさらしていた。

「座ってて」

 台所へ引っ込むぎわにそう言い残し、俺はへっぴりごしでテーブルの際にあぐらをかいた。

 としごろの少女が年頃の少年を家人のいない家に連れ込む理由を頭の中にめぐらせていると、長門がぼんきゆうと湯飲みをせてカラクリ人形のような動きでテーブルに置き、制服のまま俺の向かいにちょこんと座った。

 ちんもく

 お茶をごうともしない。眼鏡めがねのレンズを通して俺にさる無感情な視線が俺の心地ごこちの悪さを加速させる。

 何か言ってみよう。

「あー……家の人は?」

「いない」

「いや、いないのは見ればわかるんだが……。お出かけ中か?」

「最初から、わたししかいない」

 今までに聞いた長門のセリフで一番長い発言だった。

「ひょっとして一人暮らしなのか?」

「そう」

 ほほう、こんな高級マンションに高校生になったばかりの女の子が一人暮らしとは。ワケありなんだろうな。でもまあ、いきなり長門の家族と顔を合わさずにすんであんしたよ。って安堵してる場合じゃないな。

「それで何の用?」

 思い出したように長門は急須の中身を湯飲みにいで俺の前に置いた。

「飲んで」

 飲むけどさ。ほうじ茶をすする俺を動物園でキリンを見るような目で観察する長門。自分は湯飲みには手を付けようともしない。

 しまった、毒か! ……なわけないって。

「おいしい?」

 初めて疑問形でかれた気がする。

「ああ……」

 飲み干した湯飲みを置くと同時に長門は再びちやかつしよくの液体で湯飲みを満たした。しょうがなしにそれを飲んで、飲み終えるとすかさず三ばい目が。ついに急須が空になり、長門がおかわりを用意しようとこしを上げかけるのを、やっとのことで俺は止めた。

「お茶はいいから、俺をここまで連れてきた理由を教えてくれないか」

 腰をかせた姿勢で静止した長門はビデオの逆回しのように元の位置に座り直した。なかなか口を開かない。

「学校では出来ないような話って何だ?」

 水を向ける。ようやく長門はうすくちびるを開いた。

「涼宮ハルヒのこと」

 背筋をばしたれいな正座で、

「それと、わたしのこと」

 口をつぐんでいつぱく置き、

「あなたに教えておく」

 と言ってまただまった。

 どうにかならないのか、この話し方。

「涼宮とお前が何だって?」

 ここで長門は出会って以来、初めて見る表情を浮かべた。困ったようなちゆうちよしてるような、どちらにせよ注意深く見てないと解らない、無表情からミリ単位で変異したわずかな感情のふく

「うまく言語化出来ない。情報の伝達にが発生するかもしれない。でも、聞いて」

 そして長門は話し出した。

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