第一章⑥

 しかしな。ハルヒの生き様をうらやましいと思うくつでは割り切れない感情が心のかたすみでひっそりおどっていることも無視出来ない。

 俺がとうにあきらめてしまった非日常とのかいこうをいまだに待ち望んでいるわけだし、何と言ってもやり方がアクティブだよな。

 ただ待っていても都合よくそんなもんは現れやしない。だったらこちらから呼んじまおう。で、校庭に白線引いたり屋上にペンキったりフダをり回ったり。

 いやはや(これって死語か?)。

 いつからハルヒがはたから見るとトチくるっているとしか思えないことをやっていたのか知らんけど、待てど暮らせど何も現れず、ごうやしてかいしきを行なってもナシのツブテ、そりゃいつも全世界をのろっているような顔にもなる……わけないか。

「おい、キョン」

 休み時間、谷口が難しい表情を顔に貼り付けてやって来た。そんな顔してると本当にアホみたいだぞ、谷口。

「ほっとけ。んなこたぁいい。それよりお前、どんなほうを使ったんだ?」

「魔法って何だ?」

 高度に発達した科学は魔法と見分けがつかないという警句を思い出しながら俺は聞き返した。授業が終わると例によって教室から消えてしまったハルヒの席を親指で差して谷口は言った。

「俺、涼宮が人とあんなに長い間しやべってるの初めて見るぞ。お前、何言ったんだ?」

 さて、何だろう。適当なことしかいていないような気がするんだが。

きようてんどうだ」

 あくまで大げさにおどろきを表明する谷口。その後ろからひょこりと国木田が顔を出した。

「昔からキョンは変な女が好きだからねぇ」

 誤解を招くようなことを言うな。

「キョンが変な女を好きでもいっこうに構わん。俺が理解しがたいのは、涼宮がキョンを相手にちゃんと会話を成立させていることだ。なつとくがいかん」

「どちらかと言うとキョンも変な人間にカテゴライズされるからじゃないかなぁ」

「そりゃ、キョンなんつーあだ名のやつがまともであるはずはないんだがな。それにしても」

 キョンキョン言うな。俺だってこんなマヌケなニックネームで呼ばれるくらいなら本名で呼ばれたほうがいくらかマシだ。せめて妹には「お兄ちゃん」と呼んでもらいたい。

「あたしも聞きたいな」

 いきなり女の声が降って来た。かろやかなソプラノ。見上げると朝倉涼子の作り物でもこうはいかないがおが俺に向けられていた。

「あたしがいくら話しかけても、なーんも答えてくれない涼宮さんがどうしたら話すようになってくれるのか、コツでもあるの?」

 俺は一応考えてみた。と言うか考えるフリをして首をった。考えるまでもないからな。

わからん」

 朝倉は笑い声を一つ。

「ふーん。でも安心した。涼宮さん、いつまでもクラスでりつしたままじゃ困るもんね。一人でも友達が出来たのはいいことよね」

 どうして朝倉涼子がまるで委員長みたいな心配をするのかと言うと、委員長だからである。この前のロングホームルームの時間にそう決まったのだ。

「友達ね……」

 俺は首をかしげる。そうなのか? それにしては俺はハルヒのじゆうめんしか見てないような気がするぞ。

「その調子で涼宮さんをクラスにけ込めるようにしてあげてね。せっかくいつしよのクラスになったんだから、みんな仲良くしていきたいじゃない? よろしくね」

 よろしくね、と言われてもな。

「これから何か伝えることがあったら、あなたから言ってもらうようにするから」

 いや、だから待てよ。俺はあいつのスポークスマンでも何でもないぞ。

「お願い」

 両手まで合わされた。俺は「ああ」とか「うう」とかうめき、それをこうていの意思表示と取ったのか、朝倉は黄色いチューリップみたいな笑顔を投げかけて、また女子の輪の中へもどって行った。輪を構成する女どもが残らずこちらを注目していたことが俺の気分をさらにツーランクほどダウンさせる。

「キョン、俺たち友達だよな……」

 谷口がろんな目で俺に言う。何の話だよ。国木田までが目を閉じうでを組んで意味もなくうなずいている。

 どいつもこいつもアホだらけだ。



 せきえは月に一度といつの間にやら決まったようで、委員長朝倉涼子がハトサブレのかんに四つ折りにした紙片のクジを回して来たものを引くと俺は中庭に面したまどぎわ後方二番目というなかなかのポジションをかくとくした。その後ろ、ラストグリッドについたのがだれかと言うと、なんてことだろうね、涼宮ハルヒが虫歯をこらえるような顔で座っていた。

「生徒が続けざまにしつそうしたりとか、密室になった教室で先生が殺されてたりとかしないものかしらね」

ぶつそうな話だな」

「ミステリ研究会ってのがあったのよ」

「へえ。どうだった?」

「笑わせるわ。今まで一回も事件らしい事件に出くわさなかったって言うんだもの。部員もただのミステリ小説オタクばっかで名たんていみたいな奴もいないし」

「そりゃそうだろう」

ちようじよう現象研究会にはちょっと期待してたんだけど」

「そうかい」

「ただのオカルトマニアの集まりでしかないのよ、どう思う?」

「どうも思わん」

「あー、もう、つまんない! どうしてこの学校にはもっとマシな部活動がないの?」

「ないもんはしょうがないだろう」

「高校にはもっとラディカルなサークルがあると思ってたのに。まるでこうえんを目指す気まんまんで入学したのに野球部がなかったと知らされた野球バカみたいな気分だわ」

 ハルヒはお百度参りを決意したのろい女のようなワニ目で中空をながめ、北風のようなため息をついた。

 気の毒だと思うところなのか、ここは?

 だいたいにおいて、ハルヒがどんな部活動なら満足するのか、その定義が不明である。本人にも解っていないんじゃないのか? ばくぜんと「何かおもしろいことをしてて欲しい」と思っているだけで、その「面白いこと」が何なのか、殺人事件の解決なのか、宇宙人探しなのか、よう退散なのか、こいつの中でも定まってない気がする。

「ないもんはしょうがないだろ」

 俺は意見してやった。

「結局のところ、人間はそこにあるもので満足しなければならないのさ。言うなれば、それを出来ない人間が、発明やら発見やらをして文明を発達させてきたんだ。空を飛びたいと思ったから飛行機作ったし、楽に移動したいと考えたから車や列車を産み出したんだ。でもそれは一部の人間の才覚や発想によって初めて生じたものなんだ。天才が、それを可能にしたわけだ。ぼんじんたる我々は、人生をぼんように過ごすのが一番であってだな。身分不相応なぼうけんしんなんか出さないほうが、」

「うるさい」

 ハルヒは俺が気分良く演説しているところを中断させて、あらぬ方角を向いた。実にげんが悪そうだ。まあ、それもいつものことだ。

 多分、この女は何だっていいんだろう。ツマラナイ現実からゆうした現象ならば。でもそんな現象はそうそうこの世にはない。つーか、ない。

 物理法則万歳! おかげで俺たちはへいおん無事に暮らしていられる。ハルヒには悪いがな。

 そう思った。

 つうだろ?



 いったい何がきっかけだったんだろうな。

 前述の会話がネタフリだったのかもしれない。

 それはとつぜんやって来た。



 うららかな日差しにねむさそわれ、船をこぎこぎ首をカクカクさせていた俺のえりくびがわしづかみにされたかと思うとおそるべき勢いで引っ張られ、だつりよくきわみにいた俺の後頭部が机の角にもうぜんげきとつ、俺は目の前にときなみだを見た。

「何しやがる!」

 もっともないかりをもってふんぜんり返った俺が見たものは、俺の襟をひっつかんでっ立っている涼宮ハルヒの──初めて見る──赤道直下のえんてんじみたがおだった。もし笑顔に温度が付帯しているなら、熱帯雨林のど真ん中くらいの気温になっているだろう。

「気がついた!」

 つばを飛ばすな。

「どうしてこんな簡単なことに気付かなかったのかしら!」

 ハルヒは白鳥座α星くらいのかがやきを見せる両眼をまっすぐ俺に向けていた。仕方なく俺はたずねる。

「何に気付いたんだ?」

「ないんだったら自分で作ればいいのよ!」

「何を」

「部活よ!」

 頭が痛いのは机の角にぶつけただけではなさそうだ。

「そうか。そりゃよかったな。ところでそろそろ手をはなしてくれ」

「なに? その反応。もうちょっとあんたも喜びなさいよ、この発見を」

「その発見とやらは後でゆっくり聞いてやる。場合によってはヨロコビを分かち合ってもいい。ただ、今は落ち着け」

「なんのこと?」

「授業中だ」

 ようやくハルヒは俺の襟首から手を離した。じんじんする頭を押さえて前に向き直った俺は、全クラスメイトの半口あけた顔と、チョーク片手に今にも泣きそうな大学出たての女教師を視界にらえた。

 俺は後ろに早く座れと手で合図し、次いであわれな英語教師にてのひらを上に向けて差し出して見せた。

 どうぞ、授業の続きを。

 なにかつぶやきつつ、ともかくハルヒは着席し、女教師はばんしよの続きにもどり……

 新しいクラブを作る?

 ふむ。

 まさか、俺にも一枚めと言うんじゃないだろうな。

 痛む後頭部がよからぬ予感を告げていた。

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