第一章②

 このように一瞬にしてクラス全員のハートをいろんな意味でキャッチした涼宮ハルヒだが、翌日以降しばらくは割とおとなしく一見無害な女子高生を演じていた。

 あらしの前の静けさ、という言葉の意味が今の俺にはよく解る。

 いや、この高校に来るのは、もともと市内の四つの中学校出身の生徒たち(成績が普通レベルの奴ら)ばかりだし、東中もその中に入っていたから、涼宮ハルヒと同じ中学から進学した奴らもいるわけで、そんな彼らにしてみればこいつのふく状態が何かの前兆であることに気付いていたんだろうが、あいにく俺は東中に知り合いがいなかったしクラスのだれも教えてくれなかったから、スットンキョーな自己紹介から数日後、忘れもしない、朝のホームルームが始まる前だ。涼宮ハルヒに話しかけるというの骨頂なことを俺はしでかしてしまった。

 ケチのつき始めのドミノたおし、その一枚目を俺は自分で倒しちまったというわけだ。

 だってよ、涼宮ハルヒはだまってじっと座っている限りでは一美少女高校生にしか見えないんだぜ。たまたま席が真ん前だったという地の利を生かしてお近づきになっとくのもいいかなと一瞬血迷った俺を誰が責められよう。

 もちろん話題はあのことしかあるまい。

「なあ」

 と、俺はさりげなく振り返りながらさりげない笑みを満面に浮かべて言った。

「しょっぱなの自己紹介のアレ、どのへんまで本気だったんだ?」

 うで組みをして口をへの字に結んでいた涼宮ハルヒはそのままの姿勢でまともに俺の目をぎようした。

「自己紹介のアレって何」

「いや、だから宇宙人がどうとか」

「あんた、宇宙人なの?」

 大まじめな顔できやがる。

「……違うけどさ」

「違うけど、何なの」

「……いや、何もない」

「だったら話しかけないで。時間のだから」

 思わず「すみません」と謝ってしまいそうになるくらいれいてつな口調と視線だったね。涼宮ハルヒは、まるで芽キャベツを見るように俺に向けていた目をフンとばかりにらすと、黒板の辺りをにらみつけ始めた。

 何かを言い返そうとして結局何も思いつけないでいた俺は担任の岡部が入ってきたおかげで救われた。

 負け犬の心でしおしおと前を向くと、クラスの何人かがこっちの方を興味深げにながめていやがった。目が合うと実に意味深な半笑いで「やっぱりな」とでも言いたげな、そして同情するかのごときうなずきを俺によこす。

 なんか、シャクにさわる。後で解ったことだがそいつらは全員東中だった。



 とまあ、おそらくファースト・コンタクトとしては最悪の部類に入る会話のおかげで、さすがに俺も涼宮ハルヒにはかかわらないほうがいいのではないかと思い始めてその思いがくつがえらないまま一週間が経過した。

 だが理解していない観察眼のない奴もまだまだいないわけではなく、いつもげんそうにけんにしわを寄せくちびるをへの字にしている涼宮ハルヒに何やかやと話しかけるクラスメイトも中にはいた。

 だいたいそれはおせっかいな女子であり、新学期早々クラスからりつしつつある女子生徒をづかって調和の輪の中に入れようとする、本人にとっては好意から出た行動なのだろうが、いかんせん相手が相手だった。

「ねえ、昨日のドラマ見た? 九時からのやつ」

「見てない」

「えー? なんでー?」

「知らない」

「いっぺん見てみなよ、あーでもちゆうからじゃわかんないか。そうそう、だったら教えてあげようか、今までのあらすじ」

「うるさい」

 こんな感じ。

 無表情に応答するならまだしも、あからさまにイライラした顔と発音でこたえるものだから話しかけた人間の方が何か悪いことをしているような気分になり、結局「うん……まあ、その……」とかたを落としてすごすご引き下がることになる。「あたし、何かおかしな事言った?」

 安心したまえ、言ってない。おかしいのは涼宮ハルヒの頭のほうさ。



 別段一人で飯うのは苦にならないものの、やはりみながわやわや言いながらテーブルをくっつけているところにポツンと取り残されるように弁当をつついているというのも何なので、というわけでもないのだが、昼休みになると俺は中学が同じでかくてき仲のよかったくにと、たまたま席が近かった東中出身のたにぐちというやつと机を同じくすることにしていた。

 涼宮ハルヒの話題が出たのはその時である。

「お前、この前涼宮に話しかけてたな」

 なににそんな事を言い出す谷口。まあ、うなずいとこう。

「わけの解らんこと言われて追い返されただろ」

 その通りだ。

 谷口はゆで卵の輪切りを口に放り込み、もぐもぐしながら、

「もしあいつに気があるんなら、悪いことは言わん、やめとけ。涼宮が変人だってのはじゆうぶん解ったろ」

 中学で涼宮と三年間同じクラスだったからよく知ってるんだがな、と前置きし、

「あいつのじんぶりはじよういつしている。高校生にもなったら少しは落ち着くかと思ったんだが全然変わってないな。聞いたろ、あの自己しようかい

「あの宇宙人がどうとか言うやつ?」

 焼き魚の切り身から小骨を細心の注意で取り除いていた国木田が口をはさんだ。

「そ。中学時代にもわけの解らんことを言いながらわけの解らんことを散々やりたおしていたな。有名なのが校庭落書き事件」

「何だそりゃ?」

せつかいで白線引く道具があるだろ。あれ何つうんだっけ? まあいいや、とにかくそれで校庭にデカデカとけったいな絵文字を書きやがったことがある。しかも夜中の学校にしのび込んで」

 そん時のことを思い出したのか谷口はニヤニヤ笑いをかべた。

おどろくよな。朝学校来たらグラウンドにきよだいな丸とか三角とかが一面に書きなぐってあるんだぜ。近くで見ても何が書いてあるのか解らんから試しに校舎の四階から見てみたんだが、やっぱり何が書いてあるのか解らんかったな」

「あ、それ見た覚えあるな。確か新聞の地方らんってなかった? 航空写真でさ。出来そこないのナスカの地上絵みたいなの」

 と国木田が言う。俺には覚えがない。

「載ってた載ってた。中学校の校庭にえがかれたなぞのイタズラ書き、ってな。で、こんなアホなことをした犯人はだれだってことになったんだが……」

「その犯人があいつだったってわけか」

「本人がそう言ったんだからちがいない。当然、何でそんなことしたんだってなるわな。校長室にまで呼ばれてたぜ。教師総かりで問いつめられたらしい」

「何でそんなことしたんだ?」

「知らん」

 あっさり答えて谷口は白飯をもしゃもしゃとほおった。

「とうとう白状しなかったそうだ。だんまりを決め込んだ涼宮のキッツい目でにらまれてみろ、もうどうしようもないぜ。一説によるとUFOを呼ぶための地上絵だとか、あるいはあくしようかんほうじんだとか、または異世界へのとびらを開こうとしてたとか、うわさはいろいろあったんだが、とにかく本人が理由を言わんのだから仕方がない。今もって謎のままだ」

 俺ののうには、真っ暗の校庭にしんけんな表情で白線を引いている涼宮ハルヒの姿が浮かんでいた。ガラゴロ引きずっているラインカーと山積みにしている石灰のふくろはあらかじめ体育倉庫からガメていたんだろう。かいちゆう電灯くらいは持っていたかもしれない。たよりない明かりに照らされた涼宮ハルヒの顔はどこか思いめたそう感にあふれていた。俺の想像だけどな。

 たぶん涼宮ハルヒは本気でUFOあるいは悪魔または異世界への扉を呼び出そうとしたのだろう。ひょっとしたら一晩中、中学の運動場でがんばっていたのかもしれない。そしてとうとう何も現れなかったことにたいそうらくたんしたに違いない、とこんきよもなく思った。

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