124.先生の本音

 火曜日。高橋は日に日に感情がコントロールできずものに当たることが増えていった。あいつらしくないと言えばそうだが、それだけ追い詰められていると言えるかもしれない。


 綾瀬や櫛引、柊に細なんとか。高橋の周りにいる人も彼に影響され、徐々に空気が重く、攻撃的になったり感情的になって口喧嘩をするほどまでになってしまう。


 高橋は喧嘩を仲裁するが、ただでさえハロウィンパーティーの件でストレスが溜まっているのに仲間内で喧嘩が生まれてしまい、更なる心労が彼の肩にのしかかる。


 大変かもしれねぇが、これを乗り越えれば高橋は更なる成長のきっかけとなるだろう。友達が苦しそうな顔をしているのを隣で見ているのは胸が締め付けられるが、独り立ちを促さないと高橋はいつまで経っても主人公になれない。




 お昼休みの時間。教室内はどんよりとした息苦しい空気に包まれ、こんな状況で大人しく本を読むことができないので、俺は一人になれる場所を探しに教室を出た。


 とはいえ、一人になれるところは一階のゴミ捨て場の近くの花壇しかない。

 俺はそこに行って花を傷つけない端っこの方に座り、晴天の空を眺めた。

 あの地獄のような暑さから、心地よい日差しとひんやりとする風に変わった秋。


 もう少しで冬になる。ああ、なんて秋は短いんだろうか。

 そんなことを考えていると誰かの話声が聞こえてきた。


 そういえば、この近くに教員用の喫煙スペースがあるんだったか。

 禁煙化が進んだ現代では喫煙者は肩身の狭い思いをしている。

 昔は喫煙者が多数派だったが、時代とともに減少していく一方。


 喫煙者が少数派になった以上、彼らにもタバコを吸う権利があるはずだ。

 もっと少数派の意見を訊け、と言う。だったら、彼らにも救いの手を伸ばすべきじゃないだろうか。


 そんな俺には関係のないことを考えていると、その声はどこか聞いたことのある二人組だとわかった。


「先生のおかげで休日に学校に行く羽目にならないようで安心しましたよ」


 田中先生の声だ。


「ええ。休日にぃ、出勤はしたくありまぁ、せんからねぇ」


 渡部の声だ。俺のクラスの担任の田中先生と渡部。

 二人はタバコを吸いにゴミ捨て場近くの喫煙所に来たらしい。

 その会話もどこか彼らの本音が出ているようだった。


「ハロウィンパーティーか。僕たちの時代にそんなものありませんでしたからね。ここ十年くらいで急に普及しましたよね」


「ええ。コスプレをしてぇ、何が楽しいのかぁ、理解できませんぁ。それに、生徒たちはぁ、暴れたいだけのぉ、理由を見つけてぇ、騒ぐだけですからぁ。禁止すべきですぅ」


「学校で問題を起こされたらたまったもんじゃありませんよ。高橋君に言われたときは思わずいいよと言っちゃったけど、やっぱり学校の備品を壊されたら大変なことになります。僕の責任にされたらたまったものじゃありませんよ。本当に」


「……」


 二人の笑い声が周囲に響く。

 俺は田中先生に対して特にこれといった印象がない。

 悪い人でもいい人でもない。どこにでもいそうな先生だと認識していた。


 案の定、本音では高橋の提案をめんどくさがっていたか。

 ま、そんなもんだと思う。先生だって一人の人間。


 学校がない日は休みたいし、生徒には面倒事を起こしてほしくないのが本音だろう。だけどなんだろうか。渡部はいいとして、田中先生が普段から思っていることをこんな場所で聞くと大なり小なりショックを受ける。


 ああ。俺が思い描く素敵な先生は創作の中にしかいない。

 どいつもこいつも自分の保身や都合しか考えない。


 生徒を正しく導こうとか、生徒のためだったら……。

 それは幻想。理想と現実のギャップのせいで俺は二人に向けて飲み終わった空き缶をぶつけようと思ったが、そんなことしたら停学処分をくらうかもしれないのでやめた。


「ハロウィンだけじゃなくてクリスマスも禁止にした方がいいかもですね」


「そうですねぇ。クリスマスに面倒事はぁ、嫌ですからねぇ」


「僕たちの方で色々と働きかけましょう。渡部先生ならきっと校長も話を聞いてくれるはずですから」


「ええ。私と校長ぅは、何十年来のぉ、お友達ですからぁ。私に任せてぇ、ください」


「ええ、ぜひとも」


 二人の声が聞えなくなった。おそらくタバコ休憩を終えて職員室に戻ったのだろう。俺は静かになった花壇で一人空を眺めながら呟く。


「……クソが」


 俺はこれまでリスペクトできる先生に出会ったことがない。

 中学生の時、一人だけこの人は信頼できると心から思える先生がいたが、その人は真面目だったが故に心が壊れてしまった。


 おかしいと思った。ただ機械的に授業を行い、適当に生徒と付き合う先生は今も先生でいて、あの真面目で授業を少しでも楽しんでもらおうと創意工夫を凝らし、生徒一人一人に向き合って寝る間も惜しんで俺たちのために尽力したあの先生は、壊れてポイ捨てにされてしまった。


 風の噂ではすでにもう……。


 いい人は早死にする。なんでこの世界はそんな人が不幸な目に合うのか理解できないし理解したくない。この世はおかしい。でも、それに慣れていかないと俺は大人になれない。


 そんな矛盾を孕み、俺たちは大人になるしかないのだろうか。

 クソが……最悪の気分だ。

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