10.苦悩する橘
クラスメイトの櫛引は高橋に用があるというのに、金魚の糞のように付いてくる鈍感主人公のせいでお昼休みは終わってしまった。まじでもう……なんなの!?!
あのゆるふわガールに多少なりとも同情してしまった。
彼女は高橋に用があって話しかけているのに、ラノベ主人公は鈍感力をいかんなく発揮してどうするんだよ。
ラブコメ作品にありがちな鈍感系主人公。読者側として見ている分には多少鼻につくが、ああいう性格にしないと物語がすぐに終わってしまうのでよしとしよう。だが、リアルでやられるとこんなに立腹するとは思いもしなかった。
あれがラブコメ作品の主人公のスタンダードなのか。そう思うとラブコメの主人公って本当に……おっと、これ以上は悪口になるのでやめておこう。
高橋は恐らく天然でやっているからたちが悪い。あれは一生治らないだろう。
今回、櫛引は高橋と話ができなかったということで、俺が代わりにセッティングしてやらないと。いつまでもああだと櫛引が可哀想だ。
次に櫛引が高橋に声をかけるタイミングは放課後。となれば俺のするべき行動は決まっている。五時間目、六時間目と授業を消化していき、帰りのHRが終わるとすぐさま行動開始。俺は手早く帰り支度を済ませ、ダッシュで教室から去る。
これで櫛引は遠慮なく高橋に声をかけ話せるだろう。
ふっ、ちょろいもんだぜ。俺の役目は黒子に徹して二人の恋路を邪魔しないことで――。
「おーい! 橘待てよ! 僕を置いてくなってー!」
「……」
俺は絶句してしまった。ダッシュで教室から抜け出て、駐輪場までスピードを落とさずに逃げ出したが、この鈍感ラノベ主人公こと高橋は俺に付いてきてしまった。
ああ、忘れていた。こいつは勉強ができるだけじゃなく、運動神経も抜群にいいということを。
「あのさ、櫛引に声かけられなかったか?」
「櫛引さん? あー、急用があるって言ったらまた明日でいいよって、まったくもー。急ぎの用があるんだったら僕にあらかじめ伝えてよね。急いで追いかけたから息が上がって――」
「ちげーよ! お前何やってんだよ! 櫛引はお前に用があって声をかけたんだろーが! Uターンして話をしてこい! この鈍感ラノベ主人公! 鈍感系聞き間違えおとぼけ主人公はヘイト集めるだけだからな!!!」
「え、ええ? 僕何かしちゃいましたか?」
「それは別の主人公!!! それは異世界の方だから!!!」
あぶねぇあぶねぇ。危うく手が出そうになったが暴力反対を掲げている俺こと橘千隼はグッと我慢して堪える。
もうあれだ。この高橋浩人という男はラノベ主人公だけではなく、最近流行りの異世界ものの要素も兼ね備えたハイブリッドラブコメ主人公だ。
何かしちゃいましたか? じゃねーよ。はぁ……もう、いいや。
怒りが一瞬にして鎮火し、頭を抱えて溜息をついてしまった。
高橋は何一つ俺の苦労を知らないのか首を傾げている。
しゃーない。今日は諦めて明日にしよう。あとで高橋には手痛いお仕置きをして反省を促しておくことにしよう。
翌日。俺は普段と変わらず教室に入る。相変わらず俺に対して嘲笑や奇怪な目で見てくるが、何の関りもない奴からどう思われようががノーダメージ。
噂話は無くなったが、やはり俺に対して懐疑的な目を向けてくるのは変わらず。
自分の席に着き、しばらくして高橋がやって来た。
うーむ。櫛引はまだ来ていない。朝のHRが始まるまで一五分ほど時間に余裕があるが、果たしてどうなるか。
高橋とあれこれ雑談をしながら櫛引が来るのを待ったが、彼女が教室にやって来たのはチャイムが鳴るギリギリの時間。
大きな欠伸をしながら、だるそうに席についてのを見て次の機会をうかがうことにした。
お昼休みなった。今度こそ、絶対に高橋と櫛引を二人にさせる。
断固たる決意を胸に俺は授業中に練りに練り上げた作戦を決行することにした。
まずはいつものように高橋が俺の席まで来てお昼ご飯を食べる。
能天気な高橋は俺の弁当のおかずを虎視眈々と狙い、俺はL字ブロックを形成して攻撃を無力化。高橋の攻撃をL字ブロックで防ぎつつ驚異的な反射神経で避けていく。そう、これこそ五階級を制覇したあのボクサーのように……。
って、遊んでいる場合ではないが、高橋の機嫌を損ねたり、疑問を持たれないよう慎重に表情に出さないように細心の注意を払う必要がある。
もちろん、櫛引の様子も忘れずチェック。彼女は教室の真ん中で友人数人に囲まれながら談笑している。そこそこ時間も経ったのでお昼を食べ終わったのだろうか、チラチラとこちらの方を見ているようだ。
何回か目が合って、嫌そうに顔を歪めるのを見てしまい申し訳ねぇと心の中で謝罪。ごめんね、高橋じゃなくて。反省してまーす。
「ちょいと、これから職員室行ってくる」
「ん? 何かやらかしたのか? もしかして、さっきの授業中に何かやらしたの?」
「俺をそこらの騒ぐだけ騒いで授業を妨害しているのが面白いと思っている奴らと一緒にしないでくれ。ただ単に授業でわからないところがあったから、それについて聞きに行こうと思ってたんだ」
「そこまで言わなくても……」
高橋は苦笑して頬をかいた。俺としては言い訳はなんだっていいが、職員室で先生に用があるとなればこのイケメンは付いてこないだろうと踏んだのだ。
授業でわからないところなんてない。スマホで検索すれば大体のことはわかるし、最近はAIの進化もあって先生に聞かなくても大半のことはなんとかなる。
あ、そうだ。この際だから中間テストの範囲を聞きに行くか。もうすぐでゴールデンウィーク。それが終わればすぐに中間テストが控えているし。範囲がどこら辺までか事前に知れば、予習も復習も楽になる。
俺は一人で勉強するほうが集中できるし、一人でしたい派の人間だ。
友達と一緒に勉強すれば捗るよ~、と言っている人は詭弁に過ぎないことを自覚するべきだ。
誰かと一緒に勉強をすれば、絶対に集中力が続かずに勉強を止めて遊ぶのが目に見えている。また、授業中にノートを取っていなかったり、そもそも授業を聴いていない奴も混ざってくることも容易に想像でき、彼らが勉強を教えてと頼んでくることは必然。
自分の勉強だけではなく、普段から関りがなくやる気のない連中の勉強を教えるのは、本当に損だしメリットが一つもない。そういうやつらはテスト直前になると慌てて俺のような人に勉強を教えてくれと頼みこむ。
もちろん、無報酬でボランティアで教えてくれと言ってくる。
残念ながら俺はそんな奉仕精神にあふれた聖人ではない。
そういう輩は無視するに限る。
そんな無用な優しさが彼らを助長させ、更に自分の時間を食い物にしていくだけだ。彼らは普段から努力を怠り、それらを友達と言っている仮初の関係の人らと青春というかりそめの幻想に浸るだけ。
……なんだよこれ!? 橘ってこんなことを考えているのか……。
スラスラと悪口が出てくるものだ。そりゃあ、嫌われるわな。
クラスに橘みたいなやつがいたら嫌だもの。俺だって嫌いになる自信がある。
よくまあ、高橋のやつはこんな精魂腐った男と仲良くできるなぁ。
「そんじゃ、行ってくるわ」
「そっか。僕も一緒に行くよ」
「いや付いてくんな! お前はそこで大人しくしてろ。やめろといったろ? 死にたいのか?」
「死なないから。そんなに僕に知られたくないことなのか? あの問題は起こさないことで有名な橘が職員室に用があるなんて信じられないからなー」
「大した用じゃねーって言っただろ? どんだけ俺に付いてくんだよ! ストーカーか? 金魚の糞か? それとも俺に対する嫌だからせか?」
「友達と一緒に居たいと思っちゃダメなのか?」
ぐっ……。なんだよ、そのちょっと悲しそうで寂しげが同梱している笑みは。
これが主人公補正なのか? それとも高橋だからなせる摩訶不思議な技だというのか?
いや違う。これは犬だ。飼い主にねだる犬そのものだ!
くっ……高橋にこんな力があるとは。こんな顔されたらNoと言えない。
俺は頭をくしゃくしゃとかき乱し、がっくりと項垂れながら言った。
「高橋の好きにすりゃいい。俺は行くぞ」
「お、ツンデレ発動した!? もっと喜んでいいと思うよ」
「うっせ! 置いてくぞ?」
「素直じゃないなぁ。君は」
友情パワーによって高橋と櫛引を合わせる作戦はあえなく失敗。これもう無理なんじゃね?
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