第20話

「エレン、まさか、聞いて……」


 柱時計の影から現れたエレンを見て、アレスが愕然と呟く。しかしそれも一瞬で、すぐに表情を引き締める。普段エレンに向ける顔とは違う、王子としての顔だった。


「本当、なの……国を滅ぼすって、帝国を……?」


 嘘だと言って欲しい。そう言わんばかりにゆるゆると首を振る。

 けれど無情にも、アレスはそんなエレンの問いを肯定する。


「その通りだよ」

「どうして、そんな……!」

「避けられないからだ」


 淡々と。どこまでも冷静に、アレスは応えた。

 エレンは反射的に、踏み出しかけた一歩を戻してしまう。

 サンルームの中、燦然と陽の光を浴びながら、アレスは口を開いた。


「今でこそ国交も樹立されてはいるが、王国と帝国の対立の歴史は長い……それこそ、千年前には世界を二分する大きな戦いがあったほどだ。今の平和だって、危ういバランスの上に成り立っているに過ぎない。何らかの拍子でそのバランスが崩れれば、行き着く先は――エレン。君も見ただろう」


 アレスが真っ直ぐにエレンを見る。たったそれだけなのに、エレンはびくりと肩を震わせてしまった。


 帝国と王国の対立。その行く末を、エレンはこの目で見てきた。

 多くの兵士がぶつかり合い、田畑は焼かれ、無辜の民が大勢死んだ。帝国民も王国民も関係なく。

 その一端を担ったのは――紛れもなくエレン自身。そしてアレスもまた、その光景をその目で見てきた。でも――


「で、でも未来は変えられる……」


 エレンは食い下がった。


「わたしはコニー――孤児院の子が死ぬのを防いだ。男爵家の人とだって仲良くできた……! 未来に、絶対なんてないんだよ……!」

「確かに変えられるだろう」


 エレンの論説を、アレスはあっさりと受け入れる。


「でも戦いはいつか起こる。僕らの世代じゃなくても、いつか」


 ――必ず。


「だから……滅ぼすの?」

「そうだ」


 アレスが頷く。


「滅ぼされなければ、こちらが滅ぼされる。ならばその前に滅ぼすしかない」


 海のような蒼い双眸には、まるで氷のように冷たい光が宿っていた。


「……男爵家や、帝国領の人たちは、どうなるの……」


 エレンは戦慄く唇を必死に動かした。

 アレスは答えなど最初から決まっていたように答えた。


「エレンのいた孤児院のみんなについては、王国に避難できるよう手配しよう。前回の二の舞には決してさせないと誓う。けれど他は――」


 それ以上は言葉にすることなく、伏し目がちに視線を落とす。長い睫毛が、彼の目元に影を作った。


「……なんで」


 なんで。


「なんで、なんで、どうして」


 どうして。


「どうして!」


 気付けばエレンは早足でアレスに詰め寄っていた。

 服を掴んで、縋るように見上げる。そんなエレンにアレスは一瞬ぐっと押し黙り、けれど堪えきれなかったとばかりにエレンの手首を掴んだ。


「仕方ないんだ! じゃないと……じゃないと君が世界を――!」


 声を荒らげる。けれど何かを思い出したかのように、続く言葉を飲み込む。

 それからギリと奥歯を噛み締めて、血反吐を吐くように言った。


「君だって、選んだんじゃないか。――大切なものが一つじゃないから、どれを選んで、どれを捨てるかを」


 どこか恨み辛みにも似たその事実に――

 エレンは何も、言い返せなかった。


 アレスがハッと我に返り、エレンの手首を放す。エレンもまたアレスから手を放し、一歩下がる。

 放された手首はよほど強い力で掴まれたのか、彼の指の跡がくっきりと赤く付いていた。


「……ごめん。言い過ぎた」


 アレスが謝る。けれど、自身の言ったことは決して否定しない。


「僕はもう、何も奪われたくない」


 そう抱き締めてくる彼の腕を、エレンは拒めなかった。

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