ペンギンループ

惣山沙樹

01

 バイトを終えてホッと一息。今日で三月一日になったが、まだまだ寒い夜だ。

 僕は兄の伊織いおりと一緒に暮らしていて、夕飯は彼が作ってくれる予定。それを心待ちにしつつも、兄の部屋に帰る前に一服したくなって、駅前の喫煙所に寄った。雨が降っていなくて良かった。ここは屋根がないから。

 タバコをダウンジャケットのポケットから取り出し、火をつけた。数時間ぶりの喫煙はやはり旨い。


「ふぅ……」


 灰を落とそうと、灰皿の方に目を向けた時だった。


「えっ?」


 灰皿の横に、ペンギンがちょこんと立っていた。僕のタバコの灰は地面にぼそっと落ちた。


「いやいやいや……なんで?」


 疲れてるのかな。僕は目をゴシゴシとこすった。しかし、目を開けると、やはりペンギンはそこにいた。


「君……迷子?」


 ペンギンは鳴かず動かず突っ立っていた。僕は半分も吸っていないタバコを灰皿に放り込んで近付いた。


「どうしよう……」


 そっとお腹に触れてみた。意外とふわふわしていて柔らかかった。抱き上げると、すんなり僕の胸に収まった。僕はそのままペンギンを抱えて兄の待つマンションへと帰宅した。


「ただいま……」

「おう、しゅん、今日の夕飯は……って、えっ?」


 玄関まで出迎えにきてくれた兄は目を見開いた。


「瞬、それ……ペンギン?」

「うん……喫煙所にいてさ。拾ってきちゃった」

「おい……なんでそんな面倒なことするんだよ」

「だって放っておけなかったんだもん」


 兄はガシガシと髪をかいた。


「まあ、拾ってきちまったもんは仕方ないか。どうしたらいいんだ……風呂場連れて行くか?」

「そうだよね……」


 風呂場のタイルの上にペンギンを置いた。ペンギンは首を左右に振った。兄はスマホを取り出して何やら調べ始めた。しばらくして、兄は言った。


「こいつは……ケープペンギンか? 胸に一本黒い線あるし」

「あっ、それっぽいね」

「ワシントン条約で取引禁止だってよ……なんでそんなのが喫煙所にいるんだよ」

「僕にもわかんないよ。動物園から逃げ出したのかな?」

「動物園までかなり距離あるだろ」


 僕と兄は顔を見合わせ、同時にため息をついた。


「まあ……瞬、とりあえず夕飯食べるか?」

「うん。この子大人しいし、このまま風呂場に置いてて大丈夫そうだしね」


 リビングに行くと、ふんわりといい香りがしてきた。これは……クリームシチューだ。


「俺は先に食ったよ。今温め直すな」


 僕は椅子に座ってケープペンギンのことをスマホで調べ始めた。どうやら絶滅危惧種らしい。イワシやイカ、タコを食べるのだとか。


「兄さん、あの子お腹空いてないかなぁ」

「わかんねぇよ。どのみちうちにはやれるようなもんないし」

「だよねぇ」


 兄はテーブルの上にクリームシチューとロールパンを置いてくれた。ニンジンは星の形にくり抜いてあった。気分が乗った時はそうしてくれるのだ。


「ん……美味しい。ありがとう兄さん」

「おう。さて、あのペンギンどうするかだなぁ……」


 僕と兄が考えついたのは、動物園か警察か保健所。けれど、もう夜の十時を過ぎていた。僕は言った。


「警察なら開いてるけどさ、あの子を保護できるスペースないと思うし、やっぱり動物園が一番だと思うんだ」

「俺も同感。一晩だけ置いといて、朝になったら電話してみるか」


 夕飯を食べ終えて、ペンギンの様子を見に行った。ペンギンはぺちぺちと歩いており、僕を黒い瞳で見つめてきた。


「ふふっ……可愛いなぁ」


 父が苦手だったのでペットを飼ったことはなかったが、生き物は何でも好きだ。人間と違って悪意を向けてこないから。僕はしゃがんで、そっとペンギンの頭に触れた。


「よしよし……」


 兄もやってきて、こんなことを言った。


「今日は風呂入れねぇな」

「そうだね。まあ、そんなに汗かいてないし。我慢できるよ」


 僕はジャージに着替えてベッドに寝転んだ。スマホを見ると、日付は変わって三月二日だ。少しして兄も入ってきて、腕枕をしてもらった。


「兄さん、あの子うちで飼っちゃダメかな……可愛いし」

「このマンションはペット禁止だ。それに、エサどうすんだよ。軽く調べたけど月に十万円以上かかるみたいだぞ」

「はぁ……そっかぁ。ずっと一緒にいられたらいいのになぁ」


 バイトで疲れていたのもあって、眠気はすぐにやってきた。兄の体温と匂いを感じながら、意識を手放した。

 ぐわん……ぐわん……。

 頭の中がかき混ぜられるような奇妙な感覚に襲われ、僕ははっと目を開けた。

 僕は玄関に立っていて、腕の中にはペンギンがいた。


「へっ?」


 僕の正面には兄がいて、こめかみに手をあてていた。


「あれ? 俺……ベッドで寝てたよな?」

「僕もそのはずだけど……」


 兄はズボンのポケットからスマホを取り出した。


「三月一日……?」


 僕もスマホの画面を覗かせてもらった。確かに表示は三月一日の夜十時になっていた。

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