第18話 組合旗船 サン=ヴォルファ
「うーん…… 7メートルちょいってとこかな」
おもりを付けた巻き尺を引き上げながら、村田が言う。
ハッタキラ諸島最大の有人島、リデロ島は国際船主組合が旗船を置く候補地のひとつだ。
ここは年間を通して気候が穏やかで、嵐の訪れることもなく、かといって凪ぐこともない。
帆船にとっては天国のように航行のしやすい海域で、それゆえに多くの貿易船が通過する海上交通の要衝でもある。
しかし、ここは近隣の大国、モルト公国とルアン共和国の双方に属さない自治行政の置かれた島だ。
と言うのは、もともと無人島だった、その存在すら認知されていなかったここを、街が生まれるまでに発展させたのは、他でもなく中立の船主組合だからだ。
その船主組合に話を通すために、俺たちは上陸した。
上陸メンバーは船長の高見原と機関長の俺、それに補助で1/Eの村田と、事務長の永井。それに案内役のエリーシャ船長と、ジルルも一緒だ。
ちなみにエリーシャ船長のエルハロは、俺たちを錨地まで誘導する水先案内の任を終え、今はここに入港し補給を受けている。
改めて見ても美しい船だ。流麗なクリッパーバウは、初めて乗った練習帆船の日本丸を思い出させる。
「港の水深は問題なさそうだな。係留装置の強度は見ただけじゃ分からないけど… まあ、やってみるしかないな」
「だな。けどこの距離じゃトランシーバーも通じないし、入港は一度船に戻ってからだ」
異世界なので、当然スマホも圏外である。
海鵜丸はここから2マイルの地点に錨泊させているので、今すぐ連絡をとるのはちょっと無理な相談だ。
「それは追々話し合いましょう。ほら、あそこにある一番大きな船が私たちの本部、組合旗船“サン=ヴォルファ”です」
と、エリーシャ船長が港の建物の影からも見えるほど、巨大な船影を指し示す。
遠くからでも分かる、異様なまでに巨大な船だった。
脅威の5本マストを天に掲げるその威容。
おそらく海鵜丸より大きい、150メートルはありそうな巨体はでっぷりとしていて、手前のエルハロとは対照的な箱舟の印象を受ける。
「あそこに現在の本部機能が集約されています。ほとんど移動しませんから、本当は船に本部を置く意味はあまりないのですが… まあ、そこは伝統というもので」
活気に満ち溢れた港町を案内しながら、エリーシャ船長は組合の歴史を軽く説明してくれた。
それによれば、組合とはかつて存在した亡国の海軍を母体として発展したものだという。
名だたる海軍国だったその亡国は、その精強な艦隊を駆使して当時の覇権を握っていたものの、ある時天災によって一夜にして滅んでしまったそうだ。
わずか生き残った王族と亡命政府は、海上に残っていた艦隊に逃げ込み、その艦隊旗艦を臨時首都として海上国家の建設を宣言。
やがて時が経ち、政府は組合へと形骸化し、主産業だった傭船事業はそのまま存在意義へと変貌して今に至る…
「組合がその中立性を維持できているのは、そもそもの母体が主権国家だったからという歴史があるのです。さて…」
説明を聞いているうちに、俺たちは旗船のいる1番岸壁に着いていた。
やはり大きい… 木造帆船としてあり得るのかと目を疑うほど、それは巨大な姿だった。
舷門に続く通行橋は荷車もそのまま通れるほど大きく、ゆるやかな勾配が付いた特別製のようで、俺たちはそこを通って船内に入る。
オフィスビルがそっくりそのまま船内にある。
第一印象はそんな感じだった。
船内は外観ほど広い印象はない。
最も広いスペースは舷門から入ってすぐにある広間で、おそらく船体中央の下層にあたるここには、受付と思しきカウンターが置かれている。
エリーシャ船長が受付の男性に2,3何事か伝えると、彼は驚いた様子で奥に向かって行った。
「しばしお待ちください」
と言うので、俺は待つ間に辺りを観察してみることとする。
ロビーは人であふれていた。
まるでデパートか何かのようだったが、ここに居るのはおそらくほとんどが仕事を受けに来た船乗りなのだろう。
若干小汚い印象の男たちの風体は様々で、白人も黒人もおり、また他には獣の耳を生やした者や腰に翼を持つ者も…… ってケモミミ?!
凄く、物凄く気になるが、とりあえず聞くのは後にしよう。
永井もこっちを見ながら(アレ見たよね?! ねっねっ?!)という顔を向けてくるが、本題を片付けるのが先だ。
ふと、誰かに袖を引っ張られているような感覚を覚え、傍らに視線を向けてみると、ジルルがそわそわしながら俺にピッタリと寄ってきていた。
「ジルルはこういう人混みは慣れない?」
と聞いてみると、ジルルは自身が俺にくっついていた事実に始めて気づいたというふうに「はわわっ?!」と驚いて離れる。
「そ、その… 王都も船も、知っている人たちばかりでしたから。こうやって知らない人がいっぱい居るところというのは… はい、慣れないですね」
と言うと、彼女はそっと、今度は少し頬を赤らめながら再び俺の袖を掴んだ。
すると村田が(お前意外に子供に好かれるんだな)と目線で言ってくるので、こちらは(だろ?)という意味を込めて若干ドヤ顔をする。
それを見た永井が「もしもし海上保安庁?」などと冗談を言うので、「異世界に居ないだろ」などとツッコんでいると、先ほどエリーシャ船長から言伝を預かったらしい受付の男性が戻って来た。
男性はエリーシャ船長と短く会話すると下がり、少し遅れて彼女が振り返って俺たちに言った。
「ではこれより、皆さんには我々の現総督。つまり組合の最高責任者と会っていただきます」
俺たちは最上部、船尾船楼の暴露甲板に通された。
陽光のよく当たるそこは、甲板というよりはテラスと呼ぶ方が適切と思えるほどに整えられ、そこが来客用の応接間の役割を担うことが分かる。
甲板上に観葉植物や花壇の置かれる異様な光景のなか、中央の天幕の中、豪華なティーセットの置かれた机の傍らに立つ恰幅の良い男が三指の礼をする。
合わせてこちらも敬礼し、船長・機関長の名乗りを上げると、後ろから辺りに好奇心旺盛な視線を巡らせていた3人が慌てて続く。
「国際船主組合、現総督のルドルヒェ・イェルフォです。どうぞよろしく」
ルドルヒェと名乗ったその男は、俺たちに着席を促す。
貴賓をもてなすためであろうソファーに座った一同は、そのあまりの柔らかさと反発力に驚いた。
側で控えていた給仕が茶を淹れるなか、ルドルヒェ総督もまた向かいの席に座り、こちらをゆっくり伺いながら話を切り出す。
「いくらかお話は伺っています。なんでも、沖に居るあの船の乗組員だとか」
総督は船首右舷方向を見ながら言う。
ここからでも、錨泊中の海鵜丸は良く見えた。なにより周囲の船が木の一色であるのに船体が白いのだからなおさら目立つ。
「事情を、もう少し詳しくお聞かせ願いたい。あなた方が、“異世界からやって来た”という、その経緯も」
問う総督の声色はあくまで好意的だったが、よく肥えた顔に埋もれた眼光は、一瞬の警戒の隙も許さぬ鋭さがある。
この男こそが総督。
数百にのぼる武装船を束ね、それを仕切る人物だった。
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