第2話 デッドシップ

___『次のニュースです。

先月、航海訓練所の練習船「海鵜丸」がハワイ沖で行方不明となっている事故について、国土交通省は、洋上で救助された乗組員及び実習生への聞き取り調査において、複数名が「事故当時の状況が記憶にない」と証言していることが関係者への取材で明らかになりました。

今回の事故では、乗船していた実習生70人中24人が未だ行方不明となっており、実習生と船体の捜索が急がれています。

防衛省自衛隊は捜索のため護衛艦および航空機を派遣する意向を表明しており、また米海軍も合同で捜索にあたることを……』_____






 何分… 何時間経ったか分からないが、ともかく俺は目を覚ました。

 自然に目が覚めたというより、あんまり暑くて、息が詰まるように苦しかったから慌てて起きたという感じだ。


 とにかく暑い。そして空気が淀んでいる。海鵜丸は決して新しい船ではないが、そうにしてもこれだけ、まるで帆船の機関室みたいに暑くなることがあっただろうか…?

そこまで考えた俺は妙なことに気が付いた。暗いのだ。目が覚めたのに、辺り一面真っ暗で、おまけに恐ろしく静かだ。…嫌な予感がする。


 俺はポケットをまさぐって懐中電灯トーチを取り出し点灯する。埃が舞っているようで、トーチの先からは薄い光線が現れた。


「おい、みんな大丈夫か?」


 暗くて静かな機関室の中、声がよく響く。

 完全に電源を喪失してしまっているようだ。主機や補機のみならず、空調装置の音も聞こえなければ、もちろん蛍光灯も消灯している。近くにあった燃料パイプを手すり代わりに掴むと、冷たかった。

 俺はトーチを振り回して辺りを伺う。近くに倒れていた大平と村田はすぐ見つかった。


「おい平気か。村田、起きろ!」


 肩を掴んでゆさぶると、村田はうーんと言いながらゆっくりと起き上がった。


「あれ… なんだこれ、どうして暗いんだ?」

「分からん。ただブラックアウトしているらしい、非常電源も届いてない」


 背後で大平も目を覚まし、また下の中段や下段でも何人かが眠りからさめるうめき声が聞こえてきた。


「ああマジかよ… 金元かなもと、どうすればいい?」


 村田に聞かれ、俺は一瞬思考が飽和する。

 どうすればいいだって? そんなのは俺が一番聞きたいよ。ブラックアウトからの復旧なんて教科書でしか知らない。そんなのができるのか?

 いやそれよりも、士官の助けを呼ぶべきだろうか? 不用意に実習生が動くべきでは…


「ま、まずは… 人員を掌握しよう。下に降りて、みんなを制御室に集めるんだ。3/Eもそこに居るはず…」

「分かった。放送は使えないから、口で伝達しよう。金元は先に制御室に降りてくれないか? 俺たちの中で一番機関に詳しいだろう、状況が知りたい」

「分かった…」


 俺はバネ仕掛けみたいに跳ね上がると、そのままラダーを降りて最下段の制御室に向かう。正直内心はパニックになりかけていた。こんなイレギュラーな状態を預かるのは嫌だ。すぐにでもプロの、教官や他の乗組員たちに丸投げしたい気持ちだった。

 けど、今サブワッチとして実習生の指揮に責任を持つのは俺だ。だから俺は、ラダーを降りながら腹いっぱいに力を込めて叫んだ。


「実習生は制御室に集合! 実習生は制御室に! 各段で班員を呼び戻せ!」



 制御室に着いた俺は、愕然とした。

 誰も居ないのだ。3/Eも、ナンバンも、誰も居ない。ただ電灯と空調の切れた暑苦しい制御室の中に、制御卓と配電盤がシン…と死んだように鎮座しているだけである。


「なんだこれ… みんなどこにいったんだ?」


 配電盤の裏にも、脱出経路の梯子の上にも、扉を開けた居住区の向こうにも人影は見えない。まるで、乗組員全員が退船したかのようだ。

 …そんな馬鹿な事あるはずがない。


「3/E、どこですか! ナンバンは、誰か居ませんか!」


 どれだけ叫んでも返事はない。次第に半分泣いているようになった俺の声は、ただ誰もいない暗闇の船内に反響するだけで、実を結ぶことなく消えていった。


 そうこうしていると、次第に俺の班員がぞろぞろと制御室に集まってきた。

 たぶん、俺の顔は焦燥しきっていたのだろう。村田は不安そうに「金元、どうした?」と聞いてきた。


「…制御室のあたりに教官は誰もいない。五十嵐、ナンバンはどうした? 補機室で一緒にいたろ?」


 俺がそう問うと、五十嵐はまだ覚めきっていない目を覚ますために被った安全帽をぴしゃりと叩き、答える。


「ああ、うん。ナンバンに状況聞いて、発電機は今のところ異常ないって聞いたから、そのあと下段のみんなと合流して2号発電機を回してたんだ。そしたら急に気を失って… 気づいたらナンバン居なくなってた…」

「そうだ。気を失うまで、ナンバンは俺たちの作業を監督してたんだ。それまでは別に異常ななかったんだけど…」


 下段にいた班員が口々に言う。すると、その他の実習生もざわめき始めた。


「教官がいないって、どういうことだよ?」「まさか…総員退船した?」「俺たちを置いてか? そんなことあるわけないだろう」「じゃあなんだっていうんだ!」


 まずい。皆イレギュラーな状態でパニックになり始めてる。この状態でそれは良くない。ブラックアウトは、ただでさえ危急の事態だというのに。


「待て、落ち着け! いいか、まずは人員を確認する。番号、イチ!」


 俺が焦っている場合じゃない。リーダーはリーダーらしく、みんなを統率しなきゃならないんだ。

 こうやって点呼の発破をかければ、実習生たちは本能的に反応するはずだ。


果たして「…に!」「さんっ!」「し!」と予想通りに番号は続き、最後に渥美が12と言って「機関科1班、12名よろし!」と締める。良かった、ともかく実習生は1人も欠けてないみたいだ。


「よし…良し。3/Eがこの場に居ない以上、現状の責任者は俺ということになる。とりあえず、状況がハッキリするまでは、俺の指示に従ってくれ。いいな?」

「…そうだね、それがいいと思う。じゃあ、まず何をする?」


 大平が尋ねる。彼女は機関科唯一の女子実習生だ。理知的で冷静な彼女の表情に、焦りの色は見えない。


「まずは電源を復旧するのが先決だ。大平、2人ほど連れて、非常用発電機を回してきてほしい。残った全員で、船橋に向かって船内を捜索する。乗組員かほかの実習生を探すんだ」

「待った。制御室を無人にしていいのか? 配電盤操作に人を割かなきゃ危険だろう」


 村田の指摘はもっともだ。確かに配電操作をする人間が居ないのは不安ではある。しかし、今はそれ以上の懸念があった。


「母線に電力が来ていない時点で、バスタイブレーカーとフィードバックブレーカーは自動操作されているから、何もしなくても電力は来るよ。それに、換気装置の止まった機関室内にいつまでも居る方が危険だ。……暑いだろう? ここ」


 窓のない機関室は、通風装置が止まってしまえばほとんど密室だ。煙突付近の開口部なんてたかが知れている。実際、制御室内のアナログ温度計は30℃を超えている。

 みんなの作業着も汗が滲んできていて、何人かはもう限界という表情だから、熱中症を防ぐためにも一度機関室外に移動した方がいい。


「そりゃあまあ… そうだな」

「よし。大平は非常用発電機を回したら第1教室で待機していてくれ」

「分かった」




 俺たちは機関室を中段から出て、上甲板アッパーデッキを捜索していた。ここには実習生居住区と、第2教室、食堂がある。

 恐れていたとおり、ここにも誰もいない。失礼を承知で立ち並ぶ居室の扉をひとつひとつ開けてはみるが、そこで眠っているか、談笑しているはずの非直実習生たちの姿はなく、ただ彼らの私物だけが忘れ去られたかのように置かれているだけだ。


「どうだ?」

「ダメだ。風呂場も洗濯室も操舵機室も、誰もいねぇ」

「食堂も同じだよ。士官食堂も探したけど、司厨の人すらいない」


 米山と古川が落胆した様子で答える。すると続いて、1つ下のセカンドデッキを捜索していた内藤と久保田が上がってきた。


「こっちもだ。乗組員居住区にも居ない」

「誰一人か?」

「誰一人だ」


 若干予想はしていたが、それにしても最悪だ。いよいよ本当に、自分たち以外の人間はこの船から居なくなってしまったのかもしれない。


「…まだ、船橋には人がいるかもしれない。まずは船楼甲板SSデッキに行ってみよう。話はそれからだ」


 根拠はない。これは、予想というより俺の願望に近い言葉だった。暑さから来るそれとは違う汗を拭いながら、俺たちは恐る恐る、SSデッキに続く階段を上がる。


 SSデッキには俺たち機関科1班の居室がある。中の様子はまったく変りなく、ここだけは俺たちを安心させた。

 室内の丸窓スカッツルからは日光が差し込んでいた。俺が最後に確認した時刻は0320だったはずだが、日が昇るほど長い時間気を失っていたのだろうか?


「なあ、おかしくね?」


 村田が言う。


「なにが」

「俺の腕時計アナログだけどさ、まだ4時ってことになってるぜ? 日付も変わってない。なのに外は日が差してる」


 確かに妙な話だ。言われて俺もポケットから自分の時計を取り出す(腕に巻くのは汗で蒸れるから嫌いなのだ)。

 俺のものも電池式で、電波時計ではない普通のアナログ時計だが、村田の言う通り今日と変わらない日付の午前4時過ぎを指していた。


「確かに変だが… うーん。ともかく、今は船内の捜索を優先しよう。諸々の状況は落ち着いたときまとめて整理すればいい」


 俺は念のためこの疑念をメモに残しつつ、そのまま船首側の第1教室に向かう。


「ここにも、誰も居ないな」


 両舷に大きな窓がある第1教室は、電源が喪失した今にあっても明るかった。しかし相変わらず空気が淀んでいる。空調装置が停止しているからだ。


「そこの防水扉ヘビードアを開けてこようか」

「そのほうがいいかもな。このままじゃ窒息しちまう」


 すると、突然バツンという音とともに背後の通路から教室にかけての電灯が順繰りに灯っていった。電気が供給されたのだ。


「大平はうまくやったみたいだな」

「船内空調って非常電源で動いたっけ?」


 電源を取り戻し、文明の明かりを手に入れたことで、俺たちの中にほんの僅かながら余裕が生まれる。状況は大して好転していないが、少なくとも船内システムは正常に動作していることが分かったからだ。

 それで俺がふぅっと息を吐き、五十嵐がヘルメットを脱いで汗を拭っていた、そのとき。


 バタバタと、船首側の前部階段を何人かが降りてくる音が聞こえた。


「…! おい、今の!」


 言われるまでもない。


「誰か! そこに居るのか!」


 俺は大声で叫び、階段教室を駆け降りる。

 すると、奥の防火扉の向こうから、作業着を着た人影がひょっこり顔を出した。俺たちとほとんど同じ、けれどほんの少し意匠の違う服。

 航海科だ。


「航海科1班だ! そっちは?!」

「機関科1班だ。機関当直についていた。そっちは船橋か?」


 すると航海科の実習生は突然膝から崩れ落ちる。心から安堵して、脱力したというようで、呼吸も荒く、とても話を聞けるような状態じゃない。

 仕方なく、俺は彼の後ろに続いてた何人かの同じ班らしい実習生に話を聞いた。


「何があったんだ?」

「それが… 俺たちもよく分からないんだ。急に天気が悪くなって、チョッサーがスタンバイエンジンの指示を出したんだよ。そしたら落雷があって、気を失った。目が覚めたら昼間で、しかも僕たち以外誰も居なくなっちゃって」

「私たち、船橋から暴露甲板まで探したんだけど、誰も見つからないの。そっちは?」


 やはりと言うべきか、航海科の方も同じ状況のようだ。

 落胆はしたが、それでもまだ、同じ実習生が残っている安心感の方が強くて、俺は比較的落ち着いて喋ることができた。


「こっちも同じだよ。セカンドデッキからここまで探したが、誰も居ない。とりあえず今は非常用電源を復旧させたところだ。そっちの副直は?」

「俺だよ」


 奥から長身の男が現れた。大学の講義で見たことがあるような気がする。


高三原たかみはらだ。状況を整理したいんだけど、そっちに余裕あるかな?」

「機関科の金元。余裕なくはないけど、できれば電源の本格復旧を先にしたいかな。とりあえずこっちは機関科1班の12人が揃っていて、内3人が今こっちに… ちょうど来たところだ」


 船尾側から大平たちがやって来た。


「オーケー。ウチは総員12名、内4人を船橋で見張りにつかせている。今のところどこかに座礁したりする恐れはなさそうだけど… 発電機が復旧したら内線でここに連絡してくれ」

「よし分かった。村田、五十嵐、一緒に来い。発電機を復旧するぞ。残りはここで待機だ」


 息つく暇もなく、俺たちは再び機関室に戻ることになった。

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