練習船で異世界に来ちゃったんだが?! ~異世界海洋探訪記~

@SamyGrad

練習船、異世界へ

第1話 衝撃

 航海訓練所の大型練習船「海鵜丸うみうまる」は太平洋上、ハワイへ向かう航路上に居た。

 将来の国際海運を担う航海士オフィサー機関士エンジニアの卵、まだ学生の彼らを一人前の船乗りに育て上げるのがこの練習船の役目で、今はその最終過程、半年間の長期航海をしている真っ最中だ。


 総トン数は5800トンを超える航海訓練所最大の練習船たる海鵜丸は、今70人からなる乗船実習科の実習生と、その教官たる士官ら乗組員を乗せ、航海速力にて航行中。


 時刻は0300を過ぎようかという深夜で、この時間帯の当直という貧乏くじを引いた航海科・機関科総員24名の実習生たちは、襲い来る眠気に耐えながら直立姿勢を維持していた。

 特に船橋当直につく航海科の実習生など悲惨なものである。なにせ夜間を航行する船は航海灯以外の灯りを点灯してはならない。つまり完全な暗闇のなか、見張りをし、舵をとり、計器を見つめつつそれら作業を副直が統括しなければいけないのだ。それが4時間ぶっ通し、それも彼らの背後でその一挙手一投足を見張るは鬼の一等航海士Chief Officerである。


 そんな上の地獄に比べれば、船底の機関制御室など天国のような環境だと、俺はつくづく思う。俺の振り分けられた実習班を受け持つ若手の三等機関士3rd Engineerは温和で、滅多なことでは怒らない。

 そのうえ航海中の機関室は本当に仕事がない。特に夜間は、当直など必要ないのではないかと思うほどやることがない。実際その通りで、普通の商船なら機関士は夜寝られるのだ。M0船というやつで、要するに「何か異常があったらアラーム鳴らして」と設定だけしておいて、後は何もせずおやすみというわけである。

 3/Eはそういう“普通の商船”を動かす大手海運会社から出向してきた人なので、夜間の機関当直にそこまで気を張り詰める必要がないことを重々承知している。だからこの当直で俺がやったことといえば、機関室の見回りが数度と、あとは制御室の椅子に座って雑談する程度である。


「暇だねぇ」


 と語るのは当の3/Eである。

 お前がそれを言っていいのか、とは思うが、実際暇なのだから仕方ない。まだ大学1,2年生のころにやった短期実習であれば、ここでちょこっと座学の授業が挟まるのだが、とうに基礎教育を終えた俺達には座学で学ぶことなどほとんどない。

 結果、本当に雑談しかやることがなくなる。

 内容もまたとりとめのないもので、その日にあった笑い話や上官への愚痴(一度1等機関士1st Engineerの愚痴を言っているところにバッタリ1/Eが入ってきた事件以来、この話題は減っている)、その他ニュースのあれこれである。

残念ながら(?)恋バナといわれる類のものはない。何となれば、機関科というのは今も昔も女性人気は地の底にあり、今回乗り込んだ30余名のうち女子はたったの1名である。その貴重さのあまり男どもがもてあまし、色恋沙汰に発展しないのは良いのか悪いのか。

 しかし航海科はまた事情が違うようで、4~5割ほどを女子が占めるのはなんとも不公平なものである。


 ともかくだ。俺たちは暇だったのだ。

 それも長期航海の真っただ中で、投錨も入港もずっと先という、本当になんのイベントもない日常のワンシーンだった。


 だからこそ、俺はその直後に起きた事件に、心臓が止まるかと思うほどの衝撃を受けた。



 ドォンッ!!!!!


 それは最初、雷鳴というよりは爆発音に聞こえた。腹の底に伝わる振動と、構造材の軋む音。その音は機関士ならば一生に一度でも聞きたくはない音だった。

 機関室は可燃物と爆発物の宝庫だ。もちろんそれら全てには二重三重のフェイルセーフが備わってはいるが、それでも事故は起こるときには起こる。そして、そういうときに起こる事故というのは、たいてい船が沈没するに至るほどの重大事故であることのほうが多い。

 そのことを本能に近いレベルで刷り込まれてきた俺たちだから、衝撃の数秒後には教官も実習生も関係なく、皆が一番近い計器や窓に張り付いて状況を確認していた。


 主機や発電機、補助ボイラに異常な数値は現れていない。グラフィックボードにも警告表示はなく、機関室内警告灯も見る限りでは非点灯。


五十嵐いがらし、補機室にナンバンNo.1 Oiler居るから状況聞いてきて!」


 うちの班で一番すばしっこい五十嵐が使命され、彼は「はい」と勢いよくそれだけ答えると制御室を飛び出した。


「実習生で各段の目視に行きましょうか?」

「任せる。こっちは船橋に問い合わせる」


 俺が進言すると、3/Eは視線を移さず即答する。それは実習生の指揮権を任せるという意味だった。

 この当直の副直サブワッチは俺だ。だから制御室に残っている実習生たちが何をするかは、俺が決めて采配しなければならない。


「俺と村田むらた大平おおひらは上段。東沢ひがしざわ米山よねやま古川ふるかわ内藤ないとうは中段。久保田くぼた本田ほんだ木下きのした渥美あつみは下段でそれぞれ見回りを実施。なにか異常があればマイクで報告、ではかかれ!」

「「「「「かかります!」」」」」


 みんなが一斉に、けたたましい騒音を奏でる機関室に飛び込んでいく。耳栓をつけるのは忘れない。あらゆる周波数の音がバカみたいな音量で飛び交う機関室に防護もなく入っては、あっという間に難聴になってしまう。


 俺は最下段の機関制御室の2重扉をくぐると、階段というより梯子に近い急なラダーを2度上がり、上段にたどり着く。後に続いてきた村田、大平とともに、それぞれ手分けして各機器の状態を確かめることにした。

 上段には主機のシリンダ上部、排気・掃気集合管、過給機のほか、ボイラ関係の各弁、もっと上には冷却水の膨張タンクや、煙突がある。どれも放ってはおけない大事な機器たちだ。いや、機関室内に放っておいていい機器があるわけではないのだが。


 ともかく村田と大平はさっさとボイラや煙突の方に行ってしまったので、俺は主機の状態を確かめることとした。革手袋を脱ぎ、シリンダカバーに繋がる燃料パイプに手を触れる。

 このパイプは燃料噴射ポンプからシリンダ内の噴射ノズルに繋がっていて、カムによって動作する噴射ポンプが1サイクルごとに規則正しく燃料を送るから、さながら人の心臓のような拍動が手に伝わってくる。異常な高温も感じられないし、拍動に乱れがあるようにも思えない。少なくとも燃料関係は平気だろう。

 燃料パイプに触れながら、俺は首を主機の間に突っ込み排気温度を示す温度計を確認する。これにも異常はない。機関制御室のグラフィックボードに表示された値との差異もなく、なんら危険域ともいえない温度だ。

 これを6つあるシリンダのすべてで繰り返したが、特に異常は見受けられない。村田と大平も降りてきて、とりあえずどこも異常はなさそうだと言うから、そのことをマイクで制御室に報告しようとすると。


『船橋より、先ほどの衝撃は落雷によるものと報告。繰り返す、先ほどの衝撃は落雷によるもの。なお本船はスコールに遭遇したため、機関室内の乗組員・実習生は動揺に注意すること』


 と制御室内の3/Eから放送が入り、続いて天候状態が思ったより悪く、急な操船の可能性があるから主機をスタンバイにし、発電機と空気圧縮機を並行運転にせよとの指示が追加で入る。


「あークッソ、あとちょっとで当直交代なのに!」


 村田が主機の騒音にも負けない大声で文句を垂れる。それはそうだ、なんだったらもう次直起こしの時間である。

 そうは言っても仕事は仕事だ。


「言うな言うな。とりあえず下段と中段の連中にやってもらおう」


 俺はひとまず制御室に作業指示の了解を返答すると、次いで下段の実習生に発電機の運転指示を、中段の実習生に空気圧縮機の運転指示をそれぞれ出す。


 発電機は下段に3基あり、運転機がなんらかの理由で危急停止しても、スタンバイ機がすぐさま作動し船全体の機能を損なわないようになっている。しかし今回のような主機スタンバイ_つまり船橋からの指示で主機の回転数を即座に切り替えなければならない状態では、そのスタンバイ機始動までの時間すら惜しまれる。なぜならば、巨大な質量と慣性力を持つ船舶は、スタンバイ機の発電機が始動するわずか6秒の間に、致命的な衝突を招きうるからだ。

 だから、予め予備機を運転状態にさせ、万が一にも電力供給を止めないようにしている。

 主空気圧縮機も同じ理由だ。ディーゼルエンジンは始動や回転数の変更、また機関の逆転の度に圧縮空気を必要とする。


「上段の仕事はないみたいだけど、私たちは制御室に戻る?」

「ああ、そうしようか」


 大平の言葉に従い、念のため上段の機器に異常は見られないことを報告して制御室に戻ろうとした。


 _その時。



 ドオオオォォォォン!!!!!!!!


 先ほどのものをはるかに上回る、尋常ではないほど巨大な衝撃が俺たちを襲った。

 また落雷… いや違う! 身体がふわりと浮き上がるような感覚。見れば村田と大平も同じように浮き上がり、ワークスペースの工具も乱れ、重力の束縛を失っている。

 船全体が自由落下している… そんなまさか!


 その、あまりにも現実離れした光景と感覚に目を回す時間は、数秒となかった。


 直後、身体中が下向きの強烈な加速度に引っ張られる。下手なアトラクションでもそうそう味わわない、おぞましい感触。

 頭から叩きつけられる…! そんなことを考えるヒマすらなく、俺たちの意識は暗転した。

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