第2話 吸血姫なのに聖女だと誤解されました
「聖女様の封印が解かれて、大変嬉しく思います。それで、なんとお呼びすればいいのでしょうか?」
「……テレネシア」
それが、私の名前。
でも、『聖女』なんて神聖そうな異名がつくことは一度もなかった。
私は
最強の吸血姫、ヴァンパイア・プリンセス、傾国の吸血姫、なんて呼ばれていました。
だから聖女テレネシアなんて呼ばれても、まったくピンとこない。
もしかしたらまだ私は封印されていて、夢でも見ているというほうがしっくりくるくらい。
「それにしてもテレネシアとは、なんと美しい響きでしょうか。封印の聖女様の名前は長らく不明のままでしたから、これは世紀の大発見ではないですか!」
さっきから私の名前を呼びまくっているこの人間の男は、大神官ドルネディアスというらしい。
さっきお互いの自己紹介をした時に、この教会という場所の責任者だと言っていた。
見たところ二十代くらいかしら。
衣服は豪華だから、どこかの貴族だった可能性もある。
整えられた黒髪も、新月の闇夜のように美しい。
それにどういうわけか、ドルネディアスからは懐かしい匂いがする。
でも、いったいなんだろう。わからないわ。
「それで、大神官ドルネディアス……これはいったい、どういうことなのかしら?」
「聖女テレネシア様は封印から目覚めたばかり、混乱するのも当然のことです。ここは神聖ウルガシア王国の首都にある教会です」
「そんな国、聞いたことないわね……」
「聖女様が封印されてから建国されたので、無理もありません」
それなら納得だわ。
人間の国なんて、数十年、長くとも数百年もあれば滅びてしまうもの。
雑草のように移り変わりが早いから、いちいち覚えておくのも面倒だった。
「私が封印された時、勇者がいたでしょう。あの者はどうなったの?」
「建国王のことですね。我が神聖ウルガシア王国を創った初代国王こそ、聖女様と一緒に魔王と戦った勇者なのですよ」
「あの勇者が、王に……?」
「初代国王陛下はこうおっしゃっていたそうです。名も知らぬ銀髪の聖女が
どうやらあの勇者は、私が吸血姫の魔族だと気づかなかったようです。
魔王を封印したのも、私の力だと勘違いしていたみたい。
しかも私のことを、聖女だと思い込んでしまったなんて……。
あれはただ純粋に、あの封印石の力だったのにね。
私を封印した『封印石』は、壊れてしまったようです。
テーブルの上に置いてある封印石が、真っ二つに割れていた。
おかげでこうして、私の封印は解けたのでしょう。
だからこのまま人間ごっこをするつもりはない。
「悪いのだけど、私は聖女なんかじゃないの。あなたたちよりも、もっと
「ええ、存じておりますとも。テレネシア様のその美しいお顔と光り輝く銀色の髪を拝見した際に、悟りました。さぞかし名のある貴族のご令嬢だったのでしょう」
たしかにヴァンパイアの貴族であることには、間違いはないのだけど……。
それに、私のこの容姿を人間になんか褒められても、別に嬉しくはない。
でも、
「褒めてくれるのはいいのだけど、私はこのままここにいるつもりはないの」
「ご安心くださいませ、聖女テレネシア様は建国王の命の恩人だとうかがっております。我が国でも貴族並の待遇でおもてなしさせていただきます」
「いえ、そういう意味ではないだけど……とにかく、私はこの辺でおいとまさせてもらうわ」
「まあまあ聖女様。ここは良いところですよ」
席を立って退室しようとする私を、大神官ドルネディアスが体を張って阻止してくる。
軽く手で払えばこんな人間、すぐに吹き飛ばすことができます。
でも、そんなことをしたら、か弱い人間は死んでしまうもの。
そんな可哀そうなこと、私にはできない。
弱き者を守るのが、強き者の義務なんだから。
通せんぼをする大神官に「そこどいてくださるかしら」という意味を込めて無言で笑みを向けます。
すると、部屋の外から誰かが大声をあげながら走ってきました。
緊急事態とった雰囲気です。
「た、大変です大神官様! 突然、街に魔物が現れて、こちらのご令嬢が!」
教会の関係者らしいその男が、一人の少女を運んできました。
十代半ばくらいのその少女は、右腕と右足を失っている。
まるで巨大な化け物に体の右側を噛み千切られたかのよう。
「この娘、たしか公爵の一人娘ではないか! すぐに神聖魔法で治療をおこなう!」
大神官ドルネディアスが慌てながら、部下たちに指示を飛ばす。
寝台に横になったその少女の周りを、大神官ドルネディアスと他の神官たちが取り囲んだ。
「いいか、お前たち。あの公爵の一人娘を死なせるなんてことがあれば、どうなるかわからない。絶対に死なせるな!」
「「「「《
大神官ドルネディアスたちが、少女に回復魔法をかける。
だが、少女の手足が元に戻ることも、傷口から流れる血は止まることはなかった。
動揺する神官たちの人垣を割って、少女の顔をよく観察してみる。
「これは呪いね」
少女の傷口から、
まるで魔王の
──そういえば、魔王はどうなったのかしら。
私と一緒に封印されていたはずだけど。
「とにかく、ただの回復魔法ではその子の傷は治らないわ」
この少女が命を取り留めることはありえない。
ただの人には治すことはできないほどの、重症を負っているのだから。
「このままだと、確実に死ぬわね」
人間は血を大量に失うと、それだけで死んでしまう。
なんてか弱い生き物なのかしら。
血が抜けて白くなったその少女の顔を撫でながら、胸の鼓動が高鳴るのを感じた。
──なんだか、喉が渇いてきたわね。
どれほどの間、封印されていたのかはわからない。
それでも、ヴァンパイア鬼であるこの体は、血を欲してしまう。
ヴァンパイアの王族である私は他の者よりも吸血衝動は少ないが、我慢を続けても百年は持たない。
やけにあの赤色の液体が美味しそうに見える。
何十年封印されていたのかは知らないけど、そろそろ限界が近そうね。
「ハァ、ハァ…………別に、いいわよね」
ヴァンパイアであることが人間にバレても、別にいい。
だって私は、聖女なんかじゃないんだから。
それにこの子の心臓は、もうすぐ動きを止める。
その前に一口くらい、いいわよね。
少女の傷口に手で触れようとした瞬間、大神官がハッと声をあげた。
「聖女様、まさか、神聖魔法をお使いになってくださるのですか!」
……え?
神聖魔法って、なに?
「聖女にしか使えないというあの伝説の神聖魔法であれば、この娘も助かります。どうか、聖女様のお力をお貸しくださいませ!」
大神官は膝を折り、私に両手を合わせて懇願してくる。
周囲の神官たちもだ。
まるで私を敬うように、一心に言葉を続ける。
「どうかお助けを!」
「我々では力不足」
「聖女様にしか、その娘は救えないのです」
「女神に与えられたというその聖魔法で、我らをお救いください!」
ちょ、ちょっと待ちなさい。
──神聖魔法って、なにー!?
私、吸血姫だからそんな魔法、知らないんですけど!
「でも、このまま見捨てるなんて、可哀そうよね」
私が何もしなければ、確実にこの少女は命を落とす。
出会ったこともない人間だから、私には関係はない。
それにさっきから聖女だと誤解されて、かなり迷惑している。
だから、助ける義理はない。
それなのに、どうしてもこの人間を救ってあげたいという気持ちが、徐々に込み上げてくる
こんなだから、博愛主義だなんて言われるのでしょう。
でも、そうやって私はずっと、生きてきたから……。
「聖女なんて知らないけど、私を褒め称えるその姿勢は気に入ったわ。賛美の言葉として受け取ってあげましょう」
──《
吸血姫の王族にしか使えない、紅血魔法の奥義。
魔力と血を媒介にして、体の組織をすべて再生する。
新鮮な魔力の血液によって、止まりかけの心臓は再び動き始める。
ドクッドクッドクッ!
この娘から流れ出た血を使って、体を再生させる。
でも、もったいないことをした。
一口くらい、飲んでおけばよかったかも。
「…………これで、わかったでしょう」
血を使って体を再生させた。
こんなこと、普通ではありえないということが理解できたのでしょう。
大神官たちが、驚愕の表情でこちらを見ています。
私は、聖女なんかじゃない。
それどころか、人間ですらないの。
だって私は、ヴァンパイアの王女。
ヴァンパイア・プリンセスと呼ばれる、吸血姫なのだから。
これで人間ごっこもおしまい。
目覚めたばかりだとはいえ、こうして人間扱いされるのも
短い間だったけど、封印を解いてくれたことは感謝しているの。
だからこのまま、私は何も言わずに去らせてもらいます。
息を吹き返した少女を最後にひと目見てから、部屋の出口へと向かう。
すると、大神官が私の前に立って、また通せんぼをしてきた。
「聖女テレネシア様ッ!」
「ぶ、無礼者! 私の手を握るなんて、許されると思って──」
「さきほどの《
わわーと、部屋中が歓喜の声に包まれる。
泣いている者もいた。
な、なんで?
「私は聖女じゃないって、何度言ったらわかるの?」
吸血姫なの。
いい加減、気が付いてちょうだい。
「テレネシア様がただの聖女であるはずがありません。なにせ、聖女が使うとされる《
え、どういうこと?
紅血魔法を使ったのに、神聖魔法だと勘違いされているってこと?
私、吸血姫だから、その神聖魔法がなんなのかまったく知らないのですが……。
「テレネシア様はただの聖女ではありません。伝説の大聖女様です!」
ちょっと、勝手に盛り上がらないでちょうだい。
私は聖女じゃなくて、吸血姫なんですけどー!
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