第13部 清算の日編 第55話

俺は乾を見ながらオチュアの言葉を思い出した。

『清算の日』はもうすぐそこまで近づいている、時間があまりないと…オチュアは言っていた。


「乾、教えてくれ『清算の日』まであとどれくらいなんだ、いったい何が起こるんだ。」

「彩斗、残念だがな、前にも言ったと思うが俺達にも良くは判らん…だがな700年前まで、前回の『清算の日』を体験した管理者が1人生きていたんだが…。」


俺と四郎と真鈴が乾の言葉を聞いて固まった。


「え?恭介、『清算の日』とは前にも起きているの?」


真鈴が勢い込んで尋ねた。


「その通りだよ真鈴、まさかお前達、自分達が猿から進化した最初の世代だなんて思っていないだろうな?

 まぁ、進化論とか言うものも、あまり正確に今の俺達の事までの道を述べてはいないがな。」

「…。」

「前回は…大洪水だったと言っていた。

 その時に初めて月も地上から見えるように姿を現したと、そいつは言っていたがな。

 そいつはそれ以上の事は知らなかった。」

「月が…。

 大昔は見えなかった…。」

「真鈴、その通りだ。

 目の前に見えるものがすべて真実とは限らないぜ。

 目の前にいても巧みに姿を隠している事だって普通に有るんだよ…。

 それまで姿を見せないでいた月が何故姿を見せるようになったのかは、俺達の預かり知らん事だが。

 ともかく人類と俺達は一度、いや、何度か滅んだと言うか…文明らしきものが根こそぎ掃除されたと言う訳だ…『行李』が収容した者以外はな…。」

「そんな…地を覆いつくす大洪水か…われ達に為す術はないではないか…。」


四郎が呻いた。


「乾、それではノアの箱舟って…。」

「彩斗、あれはな、新しい世代が納得するために作られた話だ。

 誰が考え出したかは判らんが、自分達のルーツを知らないと不安だったのかもな。

 世界中で洪水の話は残っているぞ。

 ノアの箱舟は…全てを知っている存在が上手く『行李』から話を逸らしたのかもな。

 それか、行李に飲み込まれた者達で洪水の時を知っている者が世界のあちこちにいたのかも、それとも新しい文明を築くための礎としてどこかから指導者が送り込まれてその話を広めたのか…俺達にはさっぱり判らんが。」

「乾、それでは俺達が何をどう頑張っても無駄と言う訳かい?

 『清算の日』が始まれば…皆…洪水に…」


乾が嘘を言っている訳ではない事が充分判る俺は乾にそう尋ねながら涙が出て来た。

ユキもお腹の子供も水に飲まれて…みんなみんな海が溢れて水に飲まれて…そんな…。


「彩斗、慌てるな。

 必ず大洪水ですべてが洗い流される訳ではない。

 どうやら、色々なパターンがあるらしいし、それが唐突に起こると言う訳では無い。

 もっとも起き始めたらあっと言う間らしいが…おや?お前、行李を呼び出す印判を持っているな?」


俺が無意識に胸ポケットに入れていた印判の小箱、まだ発動しないように厳重に5つの区画に分けられた印判が入った箱に手を当てていたのを乾はじっと見た。


「いざと言う時の為か…行李の扱いは厳格に資格が定められてはいてな…無資格の者の手にあるとすると…まぁ、今更だから見逃してやるよ、勝手に使えば良いさ…だがな…タイミングが難しいぞ。」

「え?乾、『行李』を呼び出すタイミングが、と言う事?」

「彩斗、正確なタイミングは判らんがな、『清算の日』が発動し始めると『行李』は、『行李』達は印判の呼び出しを無視して一斉に地球の地下深く、地球の核の中まで入って行くんだ。

 『清算の日』の後に新たな種子を地上に吐き出すか…地球が完全に破壊された時は『行李』は地球を出て他の所に…新しい天体かどこかに行くと俺達の間では言われているがな…。

 本当の所は判らんが…。」


なんて事だ…いざと言う時に『行李』が使えない可能性が…。

俺達は乾の言葉を聞いて沈黙した。


「乾…私達はどっちにしろ終わりなの?」


真鈴が乾に尋ねた。

その目も赤かった。


「真鈴、まだどうなるのかさっぱり判らないんだ。

 『清算の日』もいきなり大洪水が起こると言う訳でもないしな…他の何か破滅的な事が…なにかの破滅が急激に襲ってくると言う訳でもないらしいしな。

 それにな、今ジンコは月にいるだろう?」

「うん…。」

「俺達の間でもジンコの事は話に上がっている。」

「…。」

「地球が始まって以来な、月のあの場所までヒューマンが、アナザーでも、ファンタースマでも月のあそこに辿り着いた者は今まで1人もいないんだ。

 これは初めての事だからな、何か新しい事が起きるかも知れない。

 ジンコ達が無事に辿り着けるかどうか…ともかく俺達は今となっては『清算の日』になるべく多くのヒューマンやアナザーを立ち会わせると言う任務が残されているんだ。

 管理者としての最後の務めかも知れない。」


そう言うと乾は月を見上げた。


「…乾、オチュアも同じ事を俺に言っていたんだ。

 沢山の人達に『清算の日』に立ち会わせてと…。」


乾が月から目を離して俺を見た。


「あの不思議な女の子のファンタースマか…。

 そうだな、彩斗。

 それからな…お前達…あまり殺すなよ。」


乾の口から意外な言葉が出た。


「乾、われ達よりずっと強い凶悪なお前の口からそんな言葉が出るとは…われは意外に思うぞ。」


四郎が乾に言った。


「ふふ、四郎、意外に思うかも知れないが、俺は、俺達は無駄な殺しはしなかったと思うぜ。」


乾の苦笑を見ながら俺は思い返して改めて驚いた。

そう言えば…ジンコや凛やリリー達が『行李』に飲み込まれた時も、ミヒャエルを保護した時も、襲撃してきた乾は排除するべき相手以外は誰一人として…怪我を負わせたが、誰一人殺していない事に気が付いた。

乾達は目的達成を邪魔をする者には容赦ない攻撃を加えたが、排除すべき者以外は一人も殺していない。


「…まぁ、そう言う事だ彩斗。

 お前達、何が起こるか判らんが、まだ希望を捨てる訳には行かないぜ。

 これから俺達はその希望を摘み取る奴らを掃除しに行く…その歪んだ考えでこんな事態を引き寄せた藤岡達とな、この事態を利用して私利私欲で行動を起そうとする岩井テレサと真逆なアナザーどもの組織を掃除しなきゃならん…なるべく殺さないつもりだが、難しいだろうな…俺達も…だが…『清算の日』を迎えるお膳立てに必要な事だと思っている……。」


乾がいささか長い沈黙の後でにやりとした。


「いつかまた…お前達と会えれば良いな。

 『ひだまり』の特製イチゴ特盛ショートケーキをまた食わせてくれよ。

 …真鈴…あのランドローバーシリーズⅡ…キャサリン・ジョーンズはそのまま乗っていろ。」

「…判ったわ…乾恭介…。」


真鈴がかすれた声で呟くと、暫く乾をじっと見た後で乾に背を向けて死霊屋敷に歩き出した


「真鈴!」


乾が突然叫んだ。

真鈴が足を止めた。


「真鈴…真鈴…お前さえ…お前さえ良ければ…俺と…俺と来ないか?」


乾は俯き、真鈴は乾に背を向けたまま、じっと立ち尽くしていた。


「真鈴…違う道も…あると思う…お前さえ良ければ…。」


真鈴が乾に振り向き、ゆっくりと乾の方に歩いて行った。

俺も四郎もじっと真鈴と乾を見つめるだけだった。


やがて真鈴は乾の前に立ち、ゆっくりと手を差し伸べて乾に口づけをした。

乾もゆっくりと真鈴の体に腕を回し、2人は抱き合い、熱い口づけを交わした。


永遠に思える時間が過ぎた後、真鈴が乾から体を離した。


「恭介…あなたはあなたの務めを果たして…私も私の務めを果たすわ…私も沢山のヒューマンやアナザーを背負っているの…その後で…。」


真鈴と乾はじっと見つめ合った。


「その後でまた会える時が来れば…恭介…私を迎えに来て…2人とも生きていれば…ね…。

 乾恭介、私が知る限り、あなたは最強の男…生き残って…私も何とか頑張るから…私も頑張って生き残るから…。」

「真鈴…真鈴……判った。」


真鈴は再び乾に背を向けて歩き始めた。

俺と四郎も、少し乾と真鈴を交互に見た後で、乾に軽く頭を下げて真鈴と共に死霊屋敷に歩きだした。

俺が振り返ると、乾はポケットに両手を突っ込んで俺達を見つめていた。


俺と四郎は真鈴に掛ける言葉が見つからず真鈴の後を黙って歩いた。

真鈴が唐突に足を止め、月を見上げた。


「彩斗、四郎、あの乾恭介が怖気付く様な事がこれから起こるわ…。

 そしてジンコは今、あの月にいる何かに接触しようとしている…私達から遥かに離れたあそこで…。」


真鈴の言葉に俺と四郎も月を見上げた。


「恭介は月のあの存在に誰かが近づくのは地球始まって以来だと言ったわ…大洪水が本当にあってその後に月が姿を見せたとしたら、きっと何か意味が有るはず…私はジンコを信じる。

 ジンコが月に行ったのはきっと何かの意味が有るはず、テレサ達がジンコ達を月に送り込んだのは何かきっと意味が有るはずなのよ。

 月が姿を現したのはいつかきっと…ここまでやってきなさいと言う意思表示なのかも…。

 ジンコ達が『清算の日』を回避するヒントを持ち帰るのか…何か別の事があるのか判らないけど…きっとジンコの月の裏側への探査はきっと…きっと何か意味が有るはずよ。

 私は希望を持つわ。」


俺達は黙って月を見上げていた。


ジンコの月面着陸の時間が近づいていた。






続く

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る