エピローグ:epilogue

 夜が明け、俺は一週間ぶりの眠りから目を覚ます。

 この不思議な体になってから、もう何年経ったのだろうか。

 懐かしい夢を見ていたような気がした俺は、『レーベン城』の自室で目を覚ますと、卓上にある日付表を確認する。

 ……もう百年は経ったのか。時の流れは早いものだ。

 吸血鬼には人間が必要とする睡眠も食事も半分以下で足りてしまう……今こうして久しぶりに見た夢から覚めた俺は、昨日あったことを思い出していた。

 昨日はたまたま、軍部で訓練中のラミアたちに会い、またいつもの調子で彼女が挑発してきたものだから……軍部の屋根を突き破り、空で殴り合いの大喧嘩をしたのだった。

 ユカシルにまたこっ酷く叱られ……疲れた俺はそのまま寝てしまったのだった。

 ……俺は今の吸血鬼の姿の自分が嫌いだ。

 毎朝顔を洗って鏡を見るたび、己を見つめ返してくる紅い瞳にため息をついている。早く、早く呪いを解きたいのに……西の島国の調査はあと少しのところで、魔王がなぜ生まれたのか分かりそうなところで、いつも『邪魔』が入り込む。

 俺が黒魔術の修行を積んだ成果から編み出した、小さな黒い蝙蝠のような形をした『空飛ぶ眼』は、あのパルカが使っていた黒い蜥蜴の形をした『這い寄る眼』より遠くを監視する事ができる上、大陸から海を渡った探索ができるのだった。

 俺は周りに見つからないように、できるだけ小さくその眼を作って飛ばすのだが……

 呪いの島は思っていた以上に広く、最初は血の消費量が多かったためか、ある程度再生ができる俺の血の再生速度も追いつかず、自室で倒れているところを見つけたユカシルから血を分けてもらって彼に毎回叱られていた。

 次第に俺が眼を使って見たものから作られた『呪いの島の地図』が出来上がり、俺はその中心地にあるいかにも怪しげな『黒薔薇の城』に目星をつけて調査を始めた。

 ……しかし、どうしてか。俺がどれだけ慎重に眼を操縦しても、中にいる『黒猫の獣人』が俺の眼をプチッと躊躇いも無く潰す……この眼は俺の目の感覚と繋がっているので、潰されたなら……当然痛い。

 クロイツェン帝国建国五周年の時に開設された『クロイツェン帝国大学』に今の十字団の研究室があるのだが……この前は普段ラミアたちが御用達にしている染色屋に頼まれ、『青薔薇の色素分離』の実験をしたのだ。その実験の中でなかなか毒素の強い塩素を使っているときに潰された。

 俺は目の痛みで悶絶する拍子に、塩素の入った瓶を放り投げてしまい……研究室内に毒素をぶちまけた。他の吸血鬼の研究員は俺が薬品を放り投げたのを見て逃げたおかげで、誰も怪我人は出なかった……部屋に置いて行かれて『あらゆる痛み』と共に完全再生した俺は怪我人には含まれないのだった。

 俺はしばらく塩素で侵される全身の痛みで研究室内を転げ回っていたが、誰も助けに来る事はなく、換気のために窓に手を掛けるまでの三十分弱の間、じたばたと悶え続けた。

 ……さらにその前は帝国大学で毎年開催している学術発表会で、俺が見つけた新種のヘビについてその蛇の分類を説明している途中で潰された。

 いきなり甲高い奇声を上げた俺は、空飛ぶ眼を使うことに反対するユカシルに見つかってしまった。大衆の面前で1時間に及ぶ説教を喰らい、折角の発表ができなくなってしまったのだ。恥ずかしさで頭が一杯だった。

しかし、成果もあった。国外では迫害されてしまう吸血鬼たちを守るため、八十年程前から鎖国体制をとっているクロイツェン帝国なのだが……俺は眼を至る所に飛ばして、みんなには内緒で、独り密かに諜報活動をしていた。そのおかげでなんとなくではあるが、帝国の外の時代の流れを感じ取ることができていた。

 ……そんなある日。大陸の砂漠で『面白い二人組』を見つけたのだ。

どうやら彼らは旅の最中らしく、俺の眼は風の魔術を使って空を飛ぶ彼らとすれ違った。気になって少し途中までついて行くことにした。

 しばらくすると『金髪の少女』を抱えていた『白猫の獣人の彼』が魔力切れを起こし、そのまま下に構えていた大きな蛇の口の中に落ちていった。

 獣人の男の『不敵な笑み』が気になった俺は、蛇に見つからないよう、さらに『彼ら』を観察することにした。

 この蛇はこの砂漠の東の地にある森に生息する蛇の雌蛇だった。

まさしく俺があの発表会で発表し損ねた異国の大蛇で、俺はあの蛇の雌蛇が砂漠にいる人間やその他獲物を胃液がかかりづらい長い食道部分に収めると、子に与えるため巣がある森に帰る習性を知っていた。

 『あの獣人はもしかして、俺の知らない何かを知っているのか……?』

 彼らについて行くことにしたのだった。


***


 彼らが蛇に飲まれてから三日が経った。大蛇に飲まれる前の彼らの装備を見た限り、もう食糧は底をつく頃ではないか?

 ……そろそろ助けてやろうかと思い眼を大蛇の近くまで飛ばしていると……

 刹那、大きな雷が母親蛇に落ちてきた。

 俺は咄嗟に空を見上げる。なんだ? 雷雲なんて無いのに何処から落ちてきたのだろう。俺は必死に彼らの戦いの軌道から外れ、辺りを見渡そうと視点を動かす。そこには先ほどまでいなかった黒い狼がいた。

 ……新種のオオカミか? と思ったがよくよく見ると獣化した獣人だ。行動にしっかりとした知性がある。発表できる新種を見つけたと思った俺は少し肩を落とした。

 ……俺はボコボコという泡の音を聞き自室に視点を戻す。

 まだ練習中の炎の魔術で熱していた丸底フラスコの水が沸騰したようだ。椅子から立ち上がって朝の紅茶を淹れに行く。

 茶葉をティーポットに入れたあとだ。あの白猫の獣人が『銅の槍』に貫かれた蛇の腹から出てきて、彼が放った大きな赤い炎が狼に襲いかかった。

 炎は黒狼に直撃した。あれは俺でも完全再生に五秒はかかるだろうな……と焼かれている黒狼を眺めていた。

 しかし、彼ら『獣人』は『人間よりもはるかに上回る魔力量と魔術に対する耐性を持っている』。きっとこの黒狼は大丈夫だろう。と俺が見ていると、やはり狼は無事だったらしく炎の中から飛び出してきた。

 その様子を見た獣人の男が体を低く構え始める。どうやら彼も『獣化』するのだろうとその様子を見ていた……のだが。

 ……彼が化けたのはあの黒狼より遥かに大きい、

 白猫の『バケモノ』だった。

 俺はこの時初めて『獣人が呪われた存在』=『魔獣』を知ることとなったのだった。

 そのバケモノは先ほどよりも更に大きな炎を食らわせた。

 それは遠くにいるはずの俺の眼をかすめて狼に当たる。炎の熱さに少し声を上げたが、耐えられないほどの痛みではない。俺は構わず観察を続ける。

 俺はいつの間にか黒狼が咥えていた金髪の少女を見て、彼らが二人とも無事であることを確認した。

 ……バケモノが何か話したようだ。『空飛ぶ眼』には『聴覚がない』のだ。俺にはこの場にある音波を聞き取ることができないので読唇術を使いたいところだが、俺にはまだ獣化した獣人の言葉を読み解く技術は無いのでわからない……

 その言葉を受けて黒狼はまた大きな雷を白猫のバケモノに向けて放った。

 今まで見た電撃の中でも中々大きいものだったが、バケモノは最も簡単に片腕で払ってしまった……そしてバケモノが大きな口を開けて空を仰ぐと、再び大きな赤い炎の渦が俺の眼を巻き込んで、眼は焼き払われてしまった……


***


 俺は眼を焼かれてしまったので、その後のことは観察できなかった。

 焼かれた痛みに悶絶した拍子で先ほど淹れたばかりの紅茶をぶちまける。まだ冷ましていた途中のそれが膝にかかった俺は、熱さに耐えかねて座っていた椅子から転げ落ちると、机の角に肘をぶつけてティーカップを落とし割ってしまった……かなり痛い。

 ……しばらくして俺は紅茶に塗れた体を起こして考え始める。

 この世界に迫るかも知れない脅威が新たに生まれた。

 あの『黒薔薇の城の女王』め。

 人間の次は獣人まで自身の命のために、その呪いで彼らも『血の使徒』とするか。

 ……これは俺たち帝国の中だけで解決できる問題では無いのかも知れない。

 俺が考えているとカップが割れる音を聞いたのか、鬼の形相をしたユカシルがやって来る。

 ……八つも離れている小さな弟からの説教をまた延々と聞くのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る