第19話 罪悪感と嘘

柔らかな日差しが木々の合間を縫ってテーブルの上に模様を作っている。ゆらゆらと風で揺れるその光の模様を見つめているのは、ただの現実逃避にすぎない。


「ジェシカ嬢、俺は何か君に嫌われるようなことをしてしまったのだろうか?」


込められた切実な響きに顔を上げると、エイデンの悲しそうな瞳と目があった。

エイデンがこんな風に感情を表すのは珍しい。


「いえ、そのような事は……。ただ、エイデン様には婚約者がいらっしゃいますし、適切な距離感が大切だなと自覚したので……」


そう告げながらも自分の言葉に言い訳がましさを感じるのは、罪悪感からだろうか。エイデンからすれば急に素っ気ない態度を取るようになった自分に、戸惑いや不快感を覚えるのも当然だ。

だがジェシカではなく、自分に原因があるのだと考えたエイデンにジェシカは申し訳なさを感じていた。


「そうか。俺が闇属性持ちだから怖くなったのかと考えてしまった」

「そんなこと、思うはずがありません!」


思わず立ち上がって答えたジェシカに、エイデンは僅かに目元を緩める。


「ああ、すまない。君がそんな風に思うわけがないな」


(何だろう……すごく悪いことをしている気がする……)


穏やかに微笑むエイデンにジェシカは胸がぎゅっと苦しくなった。エイデンは善意でジェシカに魔術を教えてくれていただけだ。自意識過剰だと気づいたばかりなのに、二人きりだからと構えてしまった。


「俺が卒業したらジェシカ嬢に魔術を教えてやれなくなる。卒業までは時間があるから、またいつでも演習場に顔を出してくれ」

「はい、ありがとうございます」


エイデンの申し出は有難かったものの好意に甘えるつもりはない。それでも慮ってくれたことは嬉しくて、ジェシカは笑顔でお礼を言った。


「他に何か困っていることはないか?」

「いえ、大丈夫ですよ」


困っているとすれば現在の状況だが、本人を前に言えるはずがない。

お茶会が始まってすぐにメーガンは忘れ物をしたと言って席を立ってしまったのだ。


よくメーガンはエイデンとの仲を応援するようなことを口にするが、今回については二人きりにしようという意図はなかったとジェシカは思っている。

エイデンが来るまでは二人で持ち寄ったお菓子や、準備してくれた紅茶について楽しく話していたのだが、エイデンが来た途端に感極まったように涙ぐみ悶えるのを堪えているような有様だったのだ。


(キャパオーバーでとりあえずその場から離れようとしただけだと思うんだけど、果たして戻ってこれるのかな?)


「あと十五分ほど経っても、メーガン嬢が戻って来なかったらお開きにしよう」


エイデンからの提案にジェシカは内心ほっとしながら、頷いた。主催者であるメーガンに失礼にならない程度の時間であり、このような場面を見られれば非難されかねないジェシカへの配慮を感じられる。


(エイデン様はあまり表に出さないけど、細かい気配りが上手な方なのよね)


メーガンはエイデンが好きすぎて方向性が少しおかしなことになっているものの、婚約者なのだからいずれは然るべきところに落ち着くはずだ。だがエイデンがメーガンのことをどう思っているかは分からない。

家格の問題なのか、エイデンはメーガンにも一歩引いたような態度で接している。少し気になったものの、部外者であるジェシカが口を出すべきではないだろう。


「ジェシカ嬢、よければ読んでみてくれ」


エイデンが取り出したのは、通常の本よりも一回り小さめでやや分厚い革装本だ。少し古そうな状態だが丁寧に保管されていたようで、つやのある滑らかなカバーは趣があり美しい。


「光属性の魔術師が手掛けた本らしい。きっと君の役に立つ」

「ありがとうございます。……ですが、これは貴重なものなのでは?」


希少属性の持ち主が書いた本であれば、王宮図書館などの持ち出し禁止本に指定されていてもおかしくない。万が一にでも汚したり、なくしてしまったりすれば弁償できるような代物ではないのだ。

そう説明すれば、エイデンはこともなげに言った。


「君のために買ったものだから気にしなくていい」

「え、駄目です!それは気にしますよ!」


すでに王宮魔術師として働き始めているとはいえ、そう簡単に高価な魔術書を買えるものではないだろう。興味がないと言えば嘘になるが、さすがにそんなものを受け取るわけにはいかない。


「では、これは君に貸すことにしよう。それなら気にならないか?」


魔術書があれば実際に練習をしなくとも実技の役には立つかもしれない。むしろこちらを借りたほうが演習場に行かない理由にもなるだろう。


「……お言葉に甘えてお借りします。エイデン様、ありがとうございます」


無言で頷くエイデンだが、口元が僅かに弧を描いている。



「ジェシカ!」


突然響いた声に、ジェシカは飛び上がりそうなほどに驚いた。エイデンは目を細めて冷ややかな眼差しを背後に向けている。


「コナー様、どうされましたか?」


駆け寄ってきたコナーにジェシカが尋ねると、コナーは固い表情のまま告げた。


「サミュエルが呼んでいる。急ぎの用件らしい。――そういうことなので、失礼します」

「ジェシカ嬢、メーガン嬢には俺から伝えておこう」


エイデンに改めてお礼を告げて、ジェシカはコナーに付いていく。急いでいるせいか、いつもより歩くのが速い。


「コナー様、サミュエル様はどちらにいらっしゃいますか?」


置いていかれてしまってはまずいので、場所を確認しておこうと声をかければ、コナーははっと気づいたように足を止めた。


「……悪い。あれはジェシカを連れ出すために嘘を吐いた」

「え………」


実直な性格のコナーが嘘を吐いたということに呆気に取られていると、コナーからさらに信じられない言葉が飛び出した。


「エイデン殿にはあまり近づかないほうがいい。あの人は少し危ういところがある」


少し前ならジェシカもそう思っていたことだ。だが改めてエイデンの行動を考えるとそんな風には思えなくなっていた。


「エイデン様には魔術を教えていただいているだけです。面倒見が良くとても優しい先輩ですよ」


闇属性だから、と寂しそうに告げたエイデンの顔がよぎる。コナーもそんな風に誤解しているだけではないかと安心させるように言葉を重ねたが、コナーの表情は晴れない。


「ジェシカはそうでもあの人は違うかもしれない。それにだったらどうして二人きりでいたんだ?」

「メーガン様もご一緒でした。少し席を外されてしまったから、さっきは二人でしたけど」


関係を邪推されたようで嫌な気分になりながらも、きっぱりと告げるとコナーは困ったような表情を浮かべた。


「……しばらく俺がそばにいるようにするから、ジェシカはなるべくエイデン殿とかかわらないように――」

「結構です」


ジェシカはコナーの言葉を遮るように言った。これ以上の言葉を聞きたくないと思ったからだ。


「以前もお伝えしましたが、私はコナー様の妹ではありません。エイデン様もそうですが、婚約者といる方とは親しくするつもりはありませんから、気に掛けていただかなくて大丈夫です」


早口でそう伝えるとジェシカは戸惑うコナーに構わずに、その場から離れたのだった。

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