第2話 回想~ジョシュア~
医務室のドアを閉めた途端に寂しくなって引き返したくなったものの、生徒会長としての役割を放棄するわけにはいかない。そんなことをすればジェシーが気にしてしまうだろう。
(ジェシーに何もなくて良かった……)
突然倒れた時には毒でも盛られたのかとひやりとした。ただ気を失っていると分かり安堵したものの、会場に戻る気にはなれずに医務室の外で彼女が目を覚ますのを待っていたのだ。
王位継承権が低い第三王子とはいえ、ジョシュアは王族だ。政略結婚は当然のことで、一時の感情で行動することなど立場上許されない。
ジェシーに対する想いは恋情ではないが、それでもジョシュアにとってジェシカは特別な存在だった。
一緒にいると心が安らぐことに気づいたのはいつ頃だっただろうか。
今年の入学生に平民の少女がいることは情報として知っていた。ひと昔前ならいざ知らず、今は平民でも少なからず魔力があることが判明しているため珍しいことではない。
ただ四大属性ではなく、希少な光属性を持つことから治癒魔術を学ぶべく入学を認められたのだ。
希少な光属性だが、貴族の養女になっていないことから聖女になるほど魔力が高いわけではないようだ。であれば軽度な不調や擦り傷などを癒せる程度だろう。だが思春期に魔力量が増加するケースもあることから、学園で知識と技術を身に付けながら様子を見ることになっている。
聖女レベルの人材などそう簡単に現れるはずがないが、命を狙われる可能性が高い王族は一人でも優秀な医師や治癒師を求めるのは自然なことだった。
(だから最初はただの好奇心というよりも義務的なものだったのに……)
学年が違うため接点はなく、王子である自分が会いにいけば不要な憶測を招くため、食堂へ足を運びどんな少女か確認することにしたのだ。日頃は専用の個室を使うが、時々学園内に目を配るためにも利用していたため不自然ではない。
「美味しい、幸せ~!」
小さな声ではあったが、はっきりと聞こえてきた独り言にちらりと視線を向ければ、目的の少女はへにゃりと眉を下げ満足そうな笑みを浮かべている。
「嫌だわ、卑しいこと」
「平民には過ぎた食事なのでしょう」
少し離れた場所で令嬢たちが囁いている声はこちらまで届いていた。自らの優位性を確信した上での小さな悪意は不愉快であるものの、いちいち咎め立てれば切りがない。
少女の様子を確認すれば、聞こえていなかったのか変わらない表情で白身魚を口に運んでいた。
(……食事に夢中で気づかなかったのか)
笑いが込み上げてきて口元を隠す。侍従が不思議そうに見つめているのが分かったが何となく説明する気になれなかった。無邪気な様子に先ほど感じた不快感が消え、むしろ爽快な気分すら感じて、彼女に対する好奇心が芽生えた。
次に彼女を見かけたのは中庭の片隅だ。
生徒会業務の一環で通りかかるとベンチに腰を掛けたジェシーはマフィンにかぶりついたところだった。淑女の食事を凝視するなど失礼なことだと思ったものの、既に視線が合った状態でジェシーも驚いたように目を見開き固まっている。
「人がいるとは思わずに失礼した。美味しそうなマフィンだね」
このまま通り過ぎるのも不作法だろうと思って声を掛ければ、ジェシーは我に返ったように慌ててマフィンを咀嚼して答えた。
「いえ、失礼じゃないです。お天気が良かったので外で食べたらもっと美味しいだろうなと思って。あ、良かったら食べますか?」
ジェシーは鞄から紙袋に包まれたマフィンを取り出すと、ジョシュアに勧めてきた。王族である以上知人であっても監視のない場所で作られた食べ物を不用意に口にすることなどできない。先ほどの言葉もただの社交辞令だった。
「ありがとう。気持ちだけ受け取っておくよ」
「たくさんあるし、一人じゃ食べきれないから大丈夫ですよ?」
遠回しに断れば、遠慮していると思われたらしい。
(ああ、彼女は私が王子だと知らないのか)
そう思った時、ふわりと甘い匂いが香った。飾り気のない茶色の菓子に興味をそそられ手を伸ばす。後ろで息を呑んだ侍従の反応を尤もだと思いながら、半分に割って渡すと意図を察して一口食べてから頷いた。
その瞳にはどこか困惑した色を含んでいたが、ジョシュアは気にせずマフィンをかじる。立ったままカトラリーを使わずに食べるなど不作法だったが、何故かそれが自然な気がしたのだ。
「……美味しいね」
普段口にする菓子のほうが高級な素材を使っているし、繊細な口当たりと複雑な味わいだと言うのに、素朴でやさしい甘さが妙に美味しく感じられた。
「ありがとうございます!そう言ってもらえると嬉しいです!」
表情だけでなく声や身振りで、全身で喜ぶジェシーの姿に心が浮き立つような高揚感を覚えたものだ。それからジェシカと親しくなるまでにそんなに時間はかからなかった。
「ジョシュア様は王子様だったんですね」
そう告げられた時にはもう終わってしまうのだと思った。自分の身分を知らないジェシーとの何気ない会話はとても楽しかったが、知られてしまえば同じようにはいかないはずだ。分かっていたのに落胆が胸に落ちる。
「物語の王子様みたいだなって思ってたけど、本物の王子様だからちょっとびっくりしちゃいました。ところでジョシュア様、今日のお菓子は新作なんですよ」
「え……」
自信満々に差し出されたのは確かに初めてみる菓子だったが、ジョシュアはそれどころではなかった。
「ふふ、型抜きクッキーにジャムを載せて焼いたんですよ。とっても可愛いでしょう?」
いつもと変わらない様子のジェシーにジョシュアは戸惑いを隠せない。そんなジョシュアにジェシカは残念そうに告げた。
「むむ、さてはジョシュア様は見たことがあるのですね。いつかジョシュア様が知らないお菓子を作ってみせます」
そう意気込むとジェシーはジョシュアに構うことなく、さくさくとクッキーを食べ始めた。
「……気にしていたのは私のほうか」
「え、何か言いましたか?」
何でもないと告げてクッキーを食べれば甘酸っぱくて、とても幸せな味がした。学園にいる間はジェシーとの時間を大切にしよう、とジョシュアは心に決めたのだった。
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