小さな爆弾

反宮

小さな爆弾


 僕は一発の爆弾だ。

 屋上の縁に立ち、快晴の空を眺める。

 大きく息を吸い、春の匂いを味わいながら生暖かい空気で肺を満たす。

 僕がこれからしようとしている事は、例えるなら壮麗な風景画に真っ赤なプチトマトを至近距離から思いっきり投げつけるに等しい蛮行だ。多くの人は憤怒し、非難し、糾弾するだろう。

 だが、構わない。

 やってはならない事であるのを承知の上で尚、やらなければならない事がある。そこに選択の余地はなく、その主観の前では、善悪の定義など意味をなさない。今更、この世の理不尽に異を唱えても無駄と言うのなら、むしろその理不尽を己が権利として行使させて貰おうではないか。

 束の間のテロリスト気分を堪能する。世界が酷く綺麗に見えた。目に見える物は見えない物を覆い隠す。それがきっとこの世界の真理なのだ。でなければ僕の心がこんなによどんだ黒色である筈がない。校庭に咲く桜の薄紅色うすべにいろも、遠くに見える青々とした山々の都会とのコントラストも、全てが嫌味な程に美しく、この醜悪な世界を飾っている。


 一カ月前、この学校で、一人の女生徒が自殺した。

 その少女の名はシノ。

 僕の──初恋の相手だった。

 シノは内気で、どこか達観しているような性格だった。お互い日陰者同士だったが、たまたま誰もいない図書室の片隅で、同じ作家の本を読んでいたのをきっかけに知り合った。当時の僕は、たったそれだけの事で日常が色付いたような錯覚におちいったのを覚えている。

 それから、僕とシノは毎日、放課後に図書室で会うようになった。約束なんてしていない。ただ、いつも会えるのを期待していた。きっとシノも同じだったはずだ。


 そんな日々が続くうち、シノがイジメられている事を知った。

 ここで僕は最大の罪を犯す事になる。

 シノは元々家庭環境にも恵まれていなかったみたいで、お父さんに殴られたなどと自重気味に言いながら腕のアザを見せてきた事があった。その時の痛々しい笑みは、未だに脳裏にこびりついている。

 学校でのイジメはどんどんとエスカレートし、とっくに度が過ぎていたのを僕は知らないフリをしていたのだ。

 我ながら最悪だ。どうしようもない言い訳で無力を正当化し、都合の悪い事からは目を逸らし、思考停止しながら自分だけシノとの時間を満喫していたのだ。シノの苦しみに寄り添う勇気が、僕には無かった。


 ある日、シノのクラスの前を通りかかった時、教室の中から足を止めざるを得ない程、世にもおぞましい会話が聞こえてきた。

 どうもいじめっ子達が、シノを先輩に犯させるとかなんとか、そういう話だった。僕は目の前が真っ白になり、話していた女子達に詰め寄った。

 今思えば皮肉な事に、僕はここにきて初めて勇気を持って行動する事ができたのだ。

 必要な情報を聞き出した僕は、上履きのまま学校を飛び出して、駅前のカラオケ店の部屋をしらみ潰しに駆け巡った。三店目にしてようやくシノ達のいる部屋を見つけたが、もうその時には全てが遅かった。何もかも、遅かったのだ。

 その時僕は、世界の真の姿が見えた気がした。

 結果的に、この件が表沙汰になる事は無かった。

 シノを襲ったヤナギハラと言う男の父親が警察のお偉いさんで、学校やメディアに手を回して揉み消したのだ。

 それから暫く経って、シノが自殺したと知った。


 ──そして昨日、僕は図書室でシノが読みかけにしていた本のページから一枚のメモを見つけた。

 僕はポケットからそのメモを取り出し、今一度目を通す。


『どうして世界はこんなにも私にきびしいんだろう


 どうして世界は私を助けてくれないんだろう


 私が弱いからなのかな


 つらいことばかりだ


 きっとあの人も、こんな私のことなんて好きになってくれないに決まってる


 そう思うと、胸が苦しくなる


 ああ、みじめだ


 神様、どうしたら私は幸せになれますか? 


 どうか教えてください


 もし幸せになれないと言うのなら、願わくば


 せめて私に、嫌な物を全部吹き飛ばせるような、小さな爆弾をください』


 …………。


 そのメモから手を離すと、風にのって花びらのように舞い、何処かへと飛んでいった。

 時刻を確認し、屋上から真下を覗くと、そこには数人の男女が集まっていた。

 ここからでは顔は見えないが、誰だかは分かる。

 何故なら、僕が呼び出したのだから。

 シノをイジメていた連中だ。

 ヤナギハラであろう男がタバコを吸っているのが、ここからでも分かった。最後の一服だとも知らずに呑気なものだ。

 さて、いくとしよう。シノのもとへ。

 僕は両手を広げ、屋上から飛び降りた。

 真っ逆様まっさかさまに落ちていく途中、空中にシノの姿が見えた気がした。


 ──ああ、そこにいたんだね。

 そんな悲しそうな顔をしないでおくれ。

 ほら、これが僕からの──贈り物だ。


 僕は一生分の声量を吐き出すように叫ぶ。


「ヤナギハラアアアアァァァッッ!!!!」


 ヤナギハラ達が上を向いた。

 ヤツと目が合う。とんだマヌケ面だ。

 報いを受けろ。


 ────くらえッッ!!!!





 最後に聞こえたのは、女どもの悲鳴と、何かが潰れるような鈍い音。

 こうして、僕という小さな爆弾が一つ、このクソッタレな世界に落されたのだった。


 



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小さな爆弾 反宮 @mayo9029

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