心の椅子
夏葉緋翠
案外居るもんだなぁ……
いつ頃だっただろう。
でも私がこの椅子の存在を自覚したのが高校生のあたりだったから、きっとそのくらいの時に耳にしたんだと思う。
誰から聞かされたのかも覚えていないけど。
知ってるかい?
心には容量があるんだ。
一つの部屋だと思ってくれてもいい。
よく人との付き合いで、「広く浅く」とか「狭く深く」なんて聞いたことあるだろう?
あれはその部屋をどんな風に使っているかということなんだ。
「広く浅く」というと、多くの人と関係があるものの、一人一人との関係性はそこまで密なものではないパターン。
そして「狭く深く」というと、そこまで多くの人と関係があるわけではないものの、今ある関係性を長くもち、より深めているパターン。
前者は心のスペースを細かく切り分けて多くの人に渡していくものだ。
スペースは有限だから、より多くの人を入れようと思ったら、相手に渡せるスペースもどんどん小さくなっていく。
反対に、後者は対象となる人数が少ないから、一人一人により多くのスペースを渡すことが出来る。
つまり、一人一人に対してどれだけ自分の心を割くことができるかという話だ。
加えて、一人一人が持っている心の容量はバラバラであるとも言っていた。
100人に自分のスペースを配るとしたら、一辺が10センチくらいしかない、狭いなんてもんじゃ済まされないくらいのスペースしか割けませんでしたという人と、100人相手でも一人一人に余裕のあるスペースを配ることが出来る人もいると……。
初めて聞いた時は、なるほどなぁと感心した。
そして、自分はどうかなと考えてみた時に、クラスの人気者の子みたいに、学年全員おれの友達だぜ!!みたいな感じではないのは確かだった。
じゃあ仲の良い友達が何人いるか、と考えてみると、片手の指に収まるくらい。
でも、だからと言って他の人と全く喋らないわけでもないし、仲良くなかったり、一言二言くらいしか話さないような人たちのことを心に入れていないかと言ったら、たぶん入れてるよなぁ……と、結局何が何だか分からなくなっちゃった。
自分の心もそうだけど、人間関係自体、そんなはっきり分けられるものじゃないよね。
だから私は今の自分がもつ関係性をイメージする時に、その心の部屋の壁を取り払って考えてみるようにした。
確かに人の心に容量があるのは分かるけど、この人は入れなくて、この人は入れるみたいな感じじゃないような気もして。
それでイメージしたのが、心の椅子。
心の中で、私の前にはいくつか椅子が並んでるんです。
一番手前にあるのが、二人がけのふかふかなソファ。
そこには私のパートナーが座ってて、のんびり寝転がってスマホを眺めていたり、本を読んでいたりします。
何か面白い記事なんか見つけたりすると、私の方へ目を向けて起き上がり、空いた一人分のスペースをポンポンと叩いて、おいでと言ってくれます。
その隣には、別々のリクライニングチェアが一つずつ並んでいて、母と父がそれぞれ座っています。
母は背もたれをだいぶ倒してリラックスしているものの、父は微塵も背もたれを傾けることなく、私の動きを注意深く観察しています。
その隣には祖母が。
ロッキングチェアに深く腰かけて、ゆらゆらと揺られています。
時々心配になって顔を覗きに行くと、たいてい穏やかな表情で居眠りをしています。
そして、更にその隣には無愛想な弟が。
いつも通りのマイペースさで、こちらが用意した椅子は放って、自分が用意した人をダメにするクッションにその全身を預けているものの、身体の正面は私ではなく別の方向に向いています。
けど、私は知ってるのです。
なんだかんだ言って、弟がチラチラとこちらに視線を向けているのを。
それを私は気付かないふりをしつつ、小さく微笑むのです。
最前列はそんな感じ。
どことなく皆同じくらいの位置に座っているように見えるけど、少しだけ父が私から離れている気もしますね。ふーむ。
そして、その後ろにはキャスター付きの椅子が四つ、五つくらい並んでいて、そこには大学時代の友人たちが腰掛けています。
如何せんキャスター付きなものだから、少し遠くに行ったり、近づいてきたりと、その時々で距離が変わっていたりします。
確か、少し前はここに高校の友人たちが座ってたんだよなぁ。
そして、それよりも少し遠く離れたところに、職場の先輩や上司なんかがぽつりぽつりと座っているのが見えます。
中でも一番近いのは職場では隣の席の先輩かな。いつも気遣って声をかけてくれる優しい先輩。
けど、心の中ではまだ少しだけ遠いところに座ってる。
ちょっと遠慮しちゃうんだよね。距離感を探ってる段階というか……。
そして、そこからもう少しだけ遠い場所にいるのが配属先の上司。
鋭い目付きな上に、物静かだから少し怖い。
けど、挨拶すると少しだけ口元を緩ませてくれるのは気づいてます。
淡々と話すから冷たく感じる時もあるけれど、ちゃんとこちらを思って指導してくれてるのも、分かってます。
先輩や上司が座る椅子にはキャスターがついていないものだから、自分から近づいていかなければならない。
たぶん何回か自分から近づいていけば、きっとキャスター付きの椅子に座ってもらえるようになると思う。たぶん……。近づき方次第か。
そして、すんごい遠くに一人ぽつんと座っているのが、他の部署だけど業務に関係があるから話さざるを得ない人。
一応心の中にはいるよ。
けど、傷つく言葉を何回か言われたことがあるから、ちょっと遠いところにいるの。
まぁ……この人はこのくらいの距離にいてもらおうかな。
時々少しだけ勇気出して何歩かは近づいてみようとは思うけど。無理に近づく必要も無いしね。
おや。目の前だけかと思いきや、ふとした時にその存在感を出してくる人が一人。
中学時代にお世話になった部活の顧問の先生が、私の真後ろに座ってました。
いっつも試合の時にピンチになると、自分の後ろにパイプ椅子を出してどっしりと座って喝を入れてきたなぁ。
勝ってる時は居ないのにね……。
それでも、その檄を飛ばす声にはいつも背中を押され……いや蹴飛ばされていたような?
なかなか勇気を出せない私は、先生のその強すぎる言葉のせい(おかげ)で乗り越えられた事が沢山あったんです。
だから、今でも私の心の中では、先生は私の前じゃなくて後ろに、それもあの時と同じ少し錆び付いたパイプ椅子に座って貰っています。
時々振り返るとそっぽ向いてたりするけどね。
そんな風に、心の中の私の周りには、色んな椅子に座った色んな人たちが居ます。
なんか心の容量って言われると、自分の心狭いなぁ……なんて思ったりして、勝手に少し凹んだりしてしまうくらいのメンタルなもので。
だから、私は自分の心には壁がなくて、狭いとか広いとか、大きい小さいとかもなくて、その中でのその人との距離感がそのまま相手との心の距離って思うことにしました。
まぁ文字にするとそのまんまなんですけどね……。
そして、自分の心の中に現れる人はその都度変わってもいいんです。もちろん同じ人がずっと座り続けていてもいいだろうし。
さて、皆さんの心の中ではどんな人が、どんな椅子に座っているんでしょう。
椅子がずらりと並んでる方もいれば、四方八方を囲むように誰かが座っているなんてこともあるかもしれないですね。
誰がどんな風に座っているのか、そしてどんな椅子に座っているのか。
皆さんの心の分だけそのパターンがあるんだと思います。
時々想像してみると、懐かしい記憶が呼び起こされたりして、少しだけ笑えたりするかもしれません。
暇潰しだったり、頭の整理なんかにも繋がるかもしれませんね♪
心の椅子 夏葉緋翠 @Kayohisui
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