『セクシー田中さん』問題で感じた事を箇条書きにて

水撫川 哲耶

『セクシー田中さん』問題で感じた事を箇条書きにて

■「原作通りに映像化されなかった」というのが、自死の理由になるのだとしたら、これまでに何人もの原作者が他界しているハズ。


■死人に鞭打つようで申し訳ないが、やはり本人のメンタルの弱さの問題、改竄以外に死を考える理由、すなわち『鬱症状』や『プライベートでの人生の行き詰まり』があったとしか思えない。改竄はあくまで最後の一押し的な理由であって、メインではない。


■ミヒャエル・エンデが『ネバーエンディングストーリー』のラストに納得がいかず訴訟を起こした様に、業界と闘う方が後進の為になったハズ・・

否、図らずも今回の自死で、その業界の体質改善への契機が生まれたのは皮肉。


■その『業界の体質』、TV曲や制作会社の「映像化してやっている」という上から目線はあると思うし、その考えの下に『ストーリー・テーマの変更』が横行しているとも思う。


■脚本家が「原作者から横槍が入って、ラスト2話の脚本を急遽、原作者当人が担うことになった」というのも、その業界の原作を軽んじる考えが根底にあっての事と思う。

(原作者と脚本家・演出家をすれ違わせた。しっかりと話が練られていない)

つまり脚本家はその行き違いの犠牲者であって、ネット民が叩くような「自分の作品であるかのように改竄した」という事はないと思う。


■(それら業界の姿勢を別として)、他人の手が入った時点で、原作者そのままのイメージを伝えるのは不可能。

それこそ背景をアシスタントに任せた時点で、もう原作者の抱くイメージとは完全に同じにはならない。


■実際、映画やドラマの『解説サイト』では、ほぼ全てのサイトに『原作と映像化された本作との違い』という項目がある。


■原作者は「違う要素が入ってくるのは仕方がない」と諦めるか、どうしても原作通りにして欲しいなら、それを契約で縛るしか手がないと思う。


■ネット民の「TV局・制作会社、許すまじ!!」という風潮は、いつものように単に自分のフラストレーションをぶつけている、或いは、創作クラスタ(なんと日本国民の100人に1~2人程が投稿サイトで小説を書いているのだとか)が、自分の作品が改竄された時のケースをイメージして、過剰に攻撃的になっている。

つまり『事件に自己投影』している。

私怨をぶつけているだけで、本当の意味で芦名妃名子を悼んではいない。

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『セクシー田中さん』問題で感じた事を箇条書きにて 水撫川 哲耶 @MinagawaT

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