歌うたいの黄色い帆船
秋喬水登
第1話 春をよぶ歌姫
彼女は若い頃世界の舞台を転々と周った有名な歌うたいでありました。
その声は透き通るソプラノで、公演した街にはひと月春が早く来ると噂されるほどでした。
ある国の王様は彼女の歌のために金の音楽堂をつくり、またある国の将軍は彼女を自分専用の歌姫にしようと、珊瑚や真珠を散りばめた肖像画を作らせ、贈りました。
彼女は音楽とおなじくらい自由を愛しておりましたので、権力者の差出すどんな贅沢にも首を縦にふることはありませんでした。
彼女が「春の空に飛ぶ雲雀のように気ままに歌っていたいのです」と可愛らしい声で断ると、王様たちは自分たち強欲であったことが恥ずかしくなりました。
彼女は声の美しさのみではなく、見映えもたいそう際立っておりました。
絹のような艶やかな黒髪と黒曜石の瞳、薔薇の花びらの唇と東洋の磁器のような白い肌はまるで芸術品であるかのようでした。
彼女が舞台にたち、ほっそりとした腕が広げられ、背筋を伸ばして歌うとき、照明がなくとも天から光が降りてくるような錯覚さえ起こるようでした。
それほど美しい彼女でありましたので結婚を申込む者も世界中から押し寄せました。
その中には有名な映画俳優や、大富豪もおりました。
が、やはり彼女が首をたてにふることはありませんでした。
贅沢な屋敷に住み、大勢の召使にかしずかれる毎日など、退屈に違いないと思ったのです。
「誰も私を籠に入れないでください。自由に歌っていたいのです」としおらしく可愛い声で彼女はうつむきました。
求婚者たちは彼女を悩ませたことを悔やみ、泣く泣く諦めるほかありませんでした。
そのようにして人々に愛され、求められて歌い続けて来た彼女もいつしか年老いていきました。
春を呼ぶと言われた透き通るソプラノがだんだんと出しにくくなり、素晴らしい振動を喉に伝えてきた背骨の優雅な曲線も、だんだんと曲がっていったのです。
絹糸と讃えられた豊かな髪にも白いものが増えていきました。
ある年の春の舞台の練習で一番の高い音をだせなかったとき、彼女は潔く歌を歌うことをやめました。
波うつ長い髪を束ねてまとめ、お金持ちの後援者からもらった宝石や衣装を売り払い、そして、付き人たちに暇をだすと、部屋に溢れた荷物を旅行鞄ひとつにまとめました。
歌を聞かせる側ではなく、今度は様々な舞台や芸術を見聞する自由きままな旅をすることにしたのです。
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