第39話 二人だけのうそ


 約束の日曜日、当日。俺は朝早く起きると、押し入れの中を漁っていた。

 航太と一緒にランチするぐらいなら構わんが、母親の綾さんがいる。

 いつものように、ボロボロの半纏はんてんを羽織るわけにはいかないだろう。


 学生時代に買ったジャケットが、まだ残っているはずだ。


「お、あった」


 少し埃っぽいが、まあ良いだろう。

 これで親子デートが出来る……って、別に綾さんと仲良くなるためじゃない。

 航太に恥を欠かせないため。


 ~数時間後~


 玄関の扉を開けると、アパートの廊下に航太が立っていた。

 俺のファッションを見るや否や、「うげぇ」と顔を歪める。


「おっさん、なんでいつもの半纏じゃないんだよ?」

「そ、そりゃ……あれだと、綾さんに悪いだろ」

「別に母ちゃんは気にしないって。あ、まさか変な期待してんのか!?」


 そう言って、俺へ詰め寄る航太。

 低身長だから、どうしても上目遣いになる。


 俺だってそんな意味で、おしゃれをしたわけじゃないのに……。

 なんだか、腹が立ってきた。


「するわけないだろ! だったら、高熱のお前にあそこまでするか!」

「え……?」


 唇を大きく開いて、驚きを隠せない航太。

 きっと、この前の解熱剤を思い出したのだろう……。

 仕方なかったことだが、彼のお尻の中へ指を入れてしまった。


 紅潮する彼の頬を見て、俺も当時の記憶を思い出す。


「そ、その……悪い」

「いいよ。オレが頼んだことだし……」


 しばらく沈黙が続いたあと、お互い視線を逸らす。

 俺も顔が熱くなってきた。

 気まずい空気が漂っているなか、ひとりの女性が現れる。


「ごめんなさぁ~い。髪のセットに時間が掛かって……あら? 二人ともどうしたの?」


 母親の綾さんが勢いよく、家の扉を開く。

 しかし、自宅の目の前で固まっている俺たちを見て、首を傾げる。


「航太、ほっぺ赤い? また熱が出てるのかしら? それに黒崎さんも顔が真っ赤ですよ」


 これに大人の俺が、答えないのもおかしいので。

 その場しのぎの嘘をついてみる。


「あ、綾さん。こんにちは! その……さっきまで航太くんと、”あっちむいてほい”して遊んでたんすよ!」

「え? あっちむいてほい……?」

「そうそう! 航太くんが負けて怒ったから、大変でしたよ。はははっ!」

「へぇ~」


 本当に、綾さんが天然で良かった。


  ※


 美咲みさき親子を連れて、喫茶店、”ライム”へ向かう。

 二人ともこの店は初めてらしいので、俺が説明してあげることに。


「ここ、俺が学生時代からやっていて。未だに地元の人から愛されている、隠れた名店なんすよ」

「そうなんだぁ~ なんか楽しみになったきた。ねぇ、航太?」


 綾さんに話を振られた航太だが、どこか不満そうだ。

 腕を組んで、視線は道路へ向けられている。


「別に……おっさんの学生時代とか、興味ないね」


 ひょっとして彼は、俺の若い頃……学生時代に、元カノの未来と来ていたことを想像しているのか?

 まあ、間違ってはいないけど。

 彼にはあまり、未来のことを考えて欲しくないな。



 店の扉を開くと、いつも通りマスターがカウンターの奥で、グラスを磨いていた。


「あ、いらっしゃい。翔ちゃん」

「ちっす。テーブル席使っていいですか?」

「もちろんだよ。あら? 今日はいつものボロ半纏じゃないね。ひょっとして、デートかい?」


 といやらしく笑うマスター。

 しかし、俺の後ろに立っている女性を見て、そんな余裕は消え失せる。

 

 誤解のないように、俺から紹介しておく。


「マスター、こちらアパートのお隣りさん、美咲さんね」


 俺がそう言うと、綾さんが頭を深々と下げてみせる。


「こんにちはぁ~ 今日はよろしくお願いいたします」


 いつものことだが、彼女は胸元がザックリ開いたニットのワンピースを着ている。

 つまりマスターに向けて、頭を下げるということは、胸の谷間が露わになっているのだろう。

 その姿を見て、頬を赤くするマスター。


「い、いや。こちらこそ、よろしくお願いいたします……」


 まったく、狙ってやっているとは思えないが、誤解を生む女性だ。

 あとは、息子の航太だ。


「マスター、それからこの子が、美咲さんのお子さんで。航太だよ」


 俺が彼の名前を発しても、反応がない。

 後ろを振り返ると、少し頬を赤らめて立っていた。

 なるほど、緊張しているのか。


 見かねた綾さんが、航太を押し出して、無理やり頭を下げさせる。


「ほぉら、挨拶は?」

「痛いよ! 母ちゃん……、オレは航太です」


 恥ずかしがる航太を見て、マスターは優しく微笑んだ。


「航太くんだね。随分と可愛らしい顔をしてるから、女の子かと思ったよ。よろしくね」

「は、はい……」


 おかしいな。俺がこんな扱いをしたら、いつもは怒り出すのに……。


 元々、マスターは子供好きなこともあって、航太を見てかなり気に入ったようだ。

 テーブル席に通されたあとも、お子様ランチのおもちゃを持って来て。

「好きなのをどうぞ」

 とサービスしてくれたが……。


 幼児向けだったので、航太は遠慮がちにおもちゃを選んでいた。

 懐かしい紙風船。

 使い道がないだろうに。

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