第19話 捨てられないもの


 とりあえず、彼の言う通り。扉の向こう側にいる綾さんと話をすることに。


「あ、あの……どうされました? 美咲さん」

『それがですね~ 航太がお鍋を持って出かけたみたいでぇ~ 私使いたいんですよぉ~』


 綾さんの言っている鍋とは、航太が持って来たおでんが入っていた物だろう。


「それでしたら、航太くんがうちに持って来てくれたんですよ。今返しますんで……」


 そう言って後ろに振り返ると、セーラー服を脱いだ航太が立っていた。

 しかしまだ着替えている最中で、トレーナーワンピースを頭から被ろうとしているが。

 慌てているのか、苦戦しているようだ。


 その時、俺は見てしまった……。

 小麦色に焼けた肌とは違う。ピンク色の小さなつぼみを二つ。


「……」


 こんなに綺麗な形は、生まれて初めて見た。

 俺は人生で二人しか経験がないから、比較のしようがないけど。

 男のものとは思えないぐらい、可愛い……。


 気がつけば、我を忘れて自身の手を前に伸ばす。


 しかし、既に着替えが終わってしまったようで、トレーナーから航太の顔がぴょこんと飛び出る。


「ぷはっ! お待たせ、もういいよ。おっさん!」

「え?」

「着替え終わったから、母ちゃん呼んでいいよ」

「そうだったな……」


 なぜか落ち込んでいる自分に気がつく。

 俺ってヤバいのかな?

 長い間、女性と触れ合っていないから、航太に変な気持ちを抱くとか……。


  ※


「ここにいたんだぁ、航太。あのね、お鍋持ち出した?」


 綾さんが慌てていたのは、息子のことではなく。

 お鍋の方だった。

 航太はそんな母親の姿を見ても、至って冷静で。

 キッチンから鍋を持って、綾さんに手渡す。


「はい、これ。ちょっと、おっさんにおでんをおすそ分けしてたからさ」

「ふぅん、黒崎さんにね……」


 綾さんが俺に視線を向ける。

 顎に手をやり、不思議そうに見つめる。


 ヤバい。何か疑われていないか?

 セーラー服なら、洗濯機の中に放り込んでいるし……。


「ひょっとして……航太は、黒崎さんとお友達になったのかな?」


 と首を傾げる綾さん。

 天然だとは感じていたが、ここまでとはな。


「そ、そうなんですよ! 航太くんが色々としてくれて助かってます!」


 無理やり話を合わせる。

 もちろん、航太も。


「そうそう! おっさんは元カノに振られて、すごく引きずってんの。だからかわいそうで、オレが面倒みてやってるんだ」


 ひでぇ……勝手に話を作りやがって。

 俺が振られたことになってる。


「へぇ~ 黒崎さんって、彼女さんがいたんですねぇ……」

「まあ、3年も前の話なんですけどね。ははは」

「それは寂しいですよねぇ、うちの航太で良かったら、いつでも遊んでくださいな」


 話題を変えて、どうにかその場を凌げたようだ。

 

  ※


 綾さんは自宅で待っている男のために、鍋を使いたかったらしい。

 酒のつまみでも、作るのだろうか。

 息子の航太を残して、ひとりで帰ってしまった。

 結構、薄情な人だな……。


「お、おっさん……」

「ん? どうした?」

「さっきの母ちゃんと話してたこと、本当にいいの?」

「綾さんと話したこと? なんだっけ?」

「オレがこれからも、この家へ遊びに来ること!」

「はぁ……別に構わんが」

「約束な!」

「うん」

 

 なぜか嬉しそうに微笑む航太。

 彼が小指を差し出してきたので、俺は黙って指切りする。


「じゃあ、おっさん。今度はもっと美味しいもんを食べさせてあげるよっ!」

「いや……毎度悪いよ。別に俺ん家へ来るからって、何か持ってくる必要ないから」


 そう言って優しく断るつもりだったが。

 彼の意思は固いようで、眉間に皺を寄せる。


「オレが作りたいから、やってんの! 大体おっさんはすぐにキッチンを汚くするし、食べ物はバランス悪いし……」


 航太の死んだおばあちゃん仕込みってわけか。

 こりゃあ、どっちが年上なんだか、わからなくなってきたぞ。


「わかったよ……好きにしてくれ」

「やった! じゃあさ、キッチンのことで質問があるんだけど、聞いてもいいかな?」

「ん? なんだ?」

「おっさんてさ。料理しないんだよね? なのに……調理器具とか、お皿が可愛いキャラクターで揃えられているんだよ。どうして?」

「うっ……」


 元カノの未来が置いていった物だ。


「そ、それは“あいつ”が昔、買ってきて……そのまま残してたんだ」


 真実を伝えると、航太はにこりと微笑む。

 ただ眼だけは笑っていない。


「いらないよね? そんな前のもの」

「……」


 すぐに不燃ごみとして、処分された。

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