憧憬
佐倉きつめ
憧憬
※あくまで本作品はフィクションであり、実際の人物に一切関係はありません。
自分に存在価値があるとしたら。それはどうやって証明したらいいんだろう。誰かが言ってくれないと、きっと私は一生認められないだろう。
本当の自分のことを。
この町には何もない。約百メートル間隔で置かれた街灯は変えられていない為に時たまチカチカして意味を成さない。うるさいほどに周りに響くのは、列車の音や人の声じゃなくて、騒音レベルに響くカエルの合唱。こういうのを聞いてると本当に馬鹿馬鹿しくイライラする。流し目でそらしている現実を嫌味みたいに突きつけられている気分になる。田舎の代名詞みたいな生活の全てが私の首を絞めてる。
夢見る都会にはいろんな人が居て、きっと望むままありのままに生きていけると。沢山いる中の誰かが、ありのままの私という存在を見つけ出してくれると—-思ってる。
それにしても本当に
「うるさいなあ…」
口にした言葉さえもこだまする前にカエルたちにかき消された。
しびれを切らすように白いケースに入ったワイヤレスイヤホンとスマホを取り出した。
学校の帰りはいつもこうやって現実逃避をする。イヤホンをつけて周りの音をかき消せば余計な苛立ちや失望をしなくて済む。それは自分にも同じように。音楽アプリを開いていつものマイリストをシャッフル再生する。何度も聞き直した曲は息づかいや最初に入る心音の音も覚えるまでになった。サムネは都会の夜景、景色を多くの曲に使用していて、曲調もどこか都会を感じる。全てが私の好みで睡眠導入剤としても使っているこのアーティストはすっかり私の再生履歴を埋め尽くしていた。
いつものように音楽と動画に集中して歩いて、ふっと前を見れば
「うわっあぶな。」
田んぼ脇の用水路に足をおとしそうになる一歩手前だった。こういう危険はあるものの、車がほとんど通ることがないこの道はある意味私には合っているのかもしれないと思ってまた落ちた気分になる。本当に全てが地雷でめんどくさい。
自分に嫌気がさして、また心がすさむ感じがした。こんなことばかりだ、特に登下校は。
生暖かい風が少し膝上のチェックスカートに触れる。少し汗ばんだワイシャツが風を通すと少しばかり気が緩んだ。
隣接する市の高校までは徒歩と電車を経由して約1時間ほどかかる。友達はほとんど市内に住んでいるため自ずと1人の時間が増え、悶々と自問自答する時間も十分にできあがるのだ。そんなことを1年半も続けている。本当にくだらない。うつむいて画面に浸る。
っと---瞬間
「うわっ」
大きな声を出したのは私じゃなくて
でも同時に私も
「いたっ」
おんなじような声を出して思いっきりアスファルトの地面に尻餅をついた。何かに結構な勢いでぶつかった感覚がした。
恐る恐る目を開けると同じように腰当たりを抑えて
「いってー」
と声を上げる綺麗な“女性”がいた・・。
あっけにとられていると、彼女は目を開けるなり四つん這いで私に近づいてきて顔をのぞき込む
「ごめんねごめんね、ここら辺、暗くてよく前見てなくて、大丈夫だった!?」
焦って声をかけてきた彼女に対してすぐに反応することができず、この状況も上手く飲み込めなくて何秒か思考停止していた。
「だ、いじょぶです。すみません…」
なんとか絞り出した謝罪の言葉に彼女は安堵の笑みをうかべてわかりやすく胸を撫で下ろした。
と、とっさにさっきまで焦って声をかけてきたはずの彼女が一時停止した。かと思うと、勢いよく急に空を見上げて黙った。
突然の行動に意味が分からず疑問を抱いて、もしかして頭でもうったのだろうか等とも考え焦って辺りを見渡した。
「あっ!」
急いで足を閉じてスカートを思いっきり素足が隠れるまで伸ばす。恥ずかしい・・・。
というのも見渡した瞬間に目に飛び込んできたのは転んだ勢いではだけたスカートと尻餅をついた反射で開かれた足。つまり下着は丸見えってこと
「ご、ごめんなさいほんとにすみませんほんとに」
謝罪の言葉も、必死で言うこともテンパって何が何だか分からない。ただばつが悪くなってスクバも飛んでったスマホも乱雑にひっつかんで、痛かったはずの体も忘れて走ってその場を去った事だけは心が理解した。
「あっ、まって、ちょっときm・・・」
呼び止められた気がしたけど、そんなの気にする余裕もなかった。只々自分が惨めで恥ずかしかった。こんな小さなことで何かを投げ出して走り去りたくなるくらいに、何かの差を感じたし、心の余裕がないくらい今の状況を体験した自分が惨めに見えた。
---2分くらい全速力で走って、街灯のない寂れた住宅地の一角を曲がる。息が苦しくなって立ち止まったその瞬間に、さっきまでカエルの音にかき消されてほとんど聞こえなかった荒い吐息の音が自分の体全体から反響するように耳を侵食した。枯れるような息の音で呼吸した。
---少し経って息が整ってきたとき。不意に前方から声をかけられた
「つむぎちゃん?、どーしたのそんなところに佇んで」
私をちゃん付けで、そう優しく声をかけたのは
「マユさん。すみません、ちょっと考え事してて」
マユさんだった。
「そうなのね、ほらもう遅いから中に入りなさいね」
家の明かりを見て、少々の落ち着きを取り戻した。
そういって昔ながらの引き戸を開ける。ガラガラと音を立てて空いた引き戸からは玄関の光が差し込んで数メートル離れた私の足下をも照らした。砂埃で少しばかり汚れたローファーが映って、汚いと思った。
「ただいま・・・」
小さく呟いて少し広い玄関に入って戸を閉める。魚の塩焼きの匂いがした。
「おかえりなさい、ごはんできてるけど、さきにお風呂に入る?」
私より先に上がったマユさんが優しく振り向いて言う。
「はい、そうします。」
ニコッと微笑を浮かべて、その場から逃げるように二階の自分の部屋に向かった。階段を駆け上がって直線の廊下を無視して右へ曲がる。一番手前の扉を開けて部屋に入ると淡い香水の匂いに安堵した。入り口からむかって斜め右前に置かれたベッドは今朝寝坊して何もかも脱ぎ捨てたはずなのに、パジャマは綺麗にたたまれて、入室したばかりのビジネスホテルのごとく整えられたベッドの上に置かれていた。
「入ったんだ。また」
他人が勝手に家に入るような、そういう非常識感。そういう気持ちになるの。絶対的な壁があるの、絶対的に隔てたい。負けた気分になるから。そういう意味もない対抗心。
「しょーもな」
わたしも、この空間も全部。
定期的に、こんな気持ちになる。きりがないね、さっきの自分も惨めだった。
いつからかいろんな事全てに、自分の惨めさの加減を数値化して自分を追い込むようになった。自分がしょうもない人間だと、自覚させるようになった。
日常生活の行動のほとんどが地雷になった。
私は何の才能もない、何の利点もないだから少しでも利点を持つ人を見ると差を感じる。自分のふがいなさを再確認する。
「お風呂、はいるか、とりま」
こうやってきりがない自己理論を永遠にやっている。人と話してないとき。ボーッとしてるときずっと。
電気もつけずにベッド下の引き出しをゆっくりと開けて下着を取り出すと、少し空いた入り口の光を頼りに部屋を出た。
静かに階段を降りると
「あっ、つむぎちゃん。やっと降りてきた、お風呂冷めちゃうわよ早く入りなさい」
少し強めに、注意をされた。
「すみません。すぐ入ってきます。」
微笑して、小走りに駆け下りて脱衣所の引き戸を閉めた。
少し熱気を帯びた脱衣所で、これは私が最初じゃないってすぐに分かった。部屋角の洗濯用カゴに衣類を投げ入れて、足早に脱皮した。
換気用に空いた少しばかりのお風呂のドアを開けてひたひたとすでに湿った床を踏みしめる。誰が入ったのか。想像することをやめた湯船にはつからずに壁掛けのシャワーを取って、イスから洗った。
---
夏場のドライヤーをした後が嫌いだ。ロングの髪はドライヤーでかいた汗にひっついてもう一度お風呂に入ることを推奨する。
でも、両手で髪の毛を一瞬持ち上げるとすっと汗ばんだ肌に風が通ってとても気持ちいい。少しばかりそれを楽しんでカゴに放った服を着た。
ガラガラと引き戸を開けるとこもっていた空気が一気に出て、涼しい風が入ってきた。それとかすかにまた香る焼き魚の匂いが感じられた。
その匂いにつられるように廊下の先にある台所へと向かった。
「つむぎちゃん、やっときた。ご飯よそるからさあ、座って」
台所にある机に背を向けていたマユさんがしゃもじを持ちながらゆっくり振り返ってそういった。
「あっ、すみません。お願いします。遅くなっちゃってごめんなさい。」
うつむいて言うと、
多分少し困惑した顔だと思う
「いいのよ、ほら一緒にご飯食べましょ」
一緒に。誰と、それは
「遅かったな、」
この人と
「部活あったから、いつもより遅くなった」
無自覚に素っ気なく。
「そっか、部活頑張ってるのか?写真だったか」
「うん。今度文化祭あるからさ。」
その人の斜め前に座る。
「そっかーもうそんな時期か、」
その人は右手に持ったグラスを一口飲んだ。
「そうよね!文化祭、私も絶対見に行くから!幸彦さんも一緒にいこっ!」
そうマユさんはその人に話しかけて、はいっご飯と私にご飯を手渡した。
「ありがとうございます…」
馴れ馴れしい。
「そうだね、一緒に行こうか、俺も休みを取るよ」
私の方を見ないでマユさんにそういった。それって、私のためじゃないって、わざとやってんの。なんて思う私はひねくれすぎなんだろうか。真正面にすわるのはマユさん。笑い合う2人の会話について行けなかった。
「クラスでは何かやるの?」
っていう問いにも
「まだ決まってないです。」
箸を動かして目の前の者を消化することを優先して、適当に返した。
---
「ごちそうさまでした。」
食器を流しにもっていき、手早に洗う。後ろで
「もういいの?」
「もう少しゆっくり食べたらいいのに」
等と聞こえたが、
「課題あるから」
等と言ってそれ以外耳を傾けなかった。
三つほどの食器を流しの水切り場において
「おやすみなさい」
と一言吐き捨ててキッチンを出た。
突き当たりの脱衣所によって、電気をつけて、歯ブラシを手に取った。
残り少なくなった歯磨き粉の出の悪さに少し苛立った。親指と人差し指の腹でなんとか押すと一回分には多すぎる歯磨き粉が出てきた。
「まじか。」
一言自然に本音が出たが、すぐに口に入れた。口の中に広がるなじまないほどの歯磨き粉もあまり味がしなかった。勿論さっきのご飯も、魚も味噌汁も。全部。味がしないと言うより味を感じる一息すらつかせてくれなかった。窮屈で押し出されるように感じた。
阻害。疎外。どっちだこの場合。
シャカシャカという音だけが響いている。
そうやって口の中を一周して、念入りに磨いた後口の中をゆすいだ。
ふと鏡に映る顔が、醜いといつも通り自然に認知して頬を乱暴につねった。肉をとる感じで。
再び鏡を見て変わらない顔に幻滅した。
それで、やがてしょーもなくなって脱衣所を後にした。
自室に戻ろうと廊下を引き返す途中の台所で、恋人のように談笑する2人を見た。
それで、どうしても気分が悪くて、走って階段を駆け上がったなんて、誰にいえるんだろうか。
誰が、私なんかのことを認めてくれるのだろうか。誰で良いと思った。
先ほど開けっぱなしにした自室のドアを見て少し後悔した。ゆっくり部屋に入ると角の壁にある電気をつけて大きな息を吸って吐いた。そのまま倒れるようにベッドに倒れて、ごろんと仰向けになる。ぼーっと天井を眺めて無心になると布団に疲労がすわれるような感覚がして、一気に眠気が襲ってきた。寝てしまう危機感を覚えて、うなる体を起こした。そして、ぼーっとする頭で部屋角までいって全灯を豆電球に変える。
かすかに照らされた部屋の中でスクバを探ってスマホをとり出した。開くのは某動画アプリ、再生プレイリストは夜に聴きたい曲。シャッフルで。
少し控えめのスピーカーで流したそれはすぐに空間を支配する。全てを忘れるように、ゆっくりと目を閉じた。
---
起きるきっかけになったのは
「分かった。起きるから。、」
愛猫のナギだった。ナギは毎朝6時半になると胸のあたりにとびのって足踏みをして睡眠妨害をしてくる。朝起こしてくるのは嬉しいけど、これは曜日関係なく行われるから少ししんどかったりする。でも
「かわいいから許せるな・・・」
頭を優しく撫でればゴロゴロと喉を鳴らして甘え顔をするのがたまらなくかわいい。もう一度寝てしまうような安らぎを感じて、ゆっくりと起き上がった。
それにびっくりしたのかナギは腕から離れてぴょんっと飛び降りてドアの猫窓から出て行ってしまった。
かすかに腕に残る熱が、淡い寂しさと沈黙を呼んだ。
少しばかりの感傷に更けて、つかの間今日が休みだったことに気付いて、もう一度ベッドに身を投げた。
今日の予定を少し考える。
「文化祭で出す写真撮らなきゃか。」
ふと、来月の文化祭のことを思い出して、まだ写真の提出をしていないことが頭に浮かんだ。
「提出期間先延ばしにして貰ってるんだった。、やば」
納得のいく写真が中々撮れず、部長に無理を言って提出期限を延ばして貰っていることを思い出した。
部長には、校内展示の詳細をださなきゃだの、パンフレットがどーとかなどとグチグチ言われたが、なんとか押し切って期間を勝ち取った。
いつも、少しでも納得がいかないとかたくなに出さない私に、部長もしびれを切らしていた。どうせたいした写真も撮れないくせに。
でも、最低限人間としてやることはやらなきゃな。
暇だし。
「撮りに行くか。、」
こんな田舎わざわざ撮りに行く場所もないけど、行くとしたら…
「あそこかな」
重い身体をどうにか起こして、ベッドからよいしょと立ち上がる。
部屋角の横開きの押し入れを開けて、無理に押し込んだ突っ張り棒にかかった服たちを乱雑に吟味する。これっとハンガーを引っ張って引き抜いたのはカフェオレ色のTシャツとデニム生地のワイドパンツだ。
ハンガーをぽいっとベッドのどこかに放って、パジャマも放り投げてライブの早着替え並の速度で終わらせた。
首を通したTシャツから髪の毛を両手で出すと着替えはほんとに完了した。
ほぼ無意識にカーテンを開けて、部屋を飛び出して脱衣所に一直線…
「あら、つむぎちゃんおはよう。休みなのに早いのね」
とは行かなかった。
「おはようございます、マユさん。ちょっと出かける予定ができて」
微笑。
「そうなのね。どこに行くの?何時くらいになるの?もしかしてお友達と一緒、学校の子?迎えに行こうか」
バーって言われて、1個目の質問とかあんま覚えてない。
違う。またこれかって、呆れて内容はいって来ないの。
「1人、学祭用の写真とりに、夕方には戻ります。」
業務連絡ラインみたい。
「適宜連絡してね、今日は休みだからもしあれなら迎えに行くからね。」
うん。
「七時までには帰ってきなさいね、暗くなるから」
うん
「友達がm「分かったから、連絡も入れるし帰ってくるから。もういいですか」
耐えられなくて。遮るように言った。
「あ、ごめんね、つむぎちゃん、でもわたし、心配で。その、あの人みたいに、」
あの人みたいに、
「私は。そんなことしないですから」
できないですから。
「そうよね、ごめんね。」
そうです。私「私」だから。
その瞬間に覗かせた安堵の顔を見て、酷くそれが軽蔑の意に感じて、足早に立ち去って、奥の脱衣所に向かった。
ドアが開いた脱衣所の鏡越しに、もうマユさんがいないのを確認して少しばかり心を安堵した。
鏡に映った顔は酷く惨めで、歪んでいた。それを直そうと冷たい水をひねって、顔を洗った。ストレートアイロンを160度にして、外ハネした髪をただして、少しばかりの化粧をした。あの人たちに気付かれないくらいの。
---
ようやく、準備ができて。肩掛けの黒いポシェットに財布と携帯、イヤホンだけ入れて、一眼レフの黒カメラはポシェットと反対に掛けた。階段を降りて颯爽と廊下を抜ける。
「行ってきます、」
そう口先で呟いて、レザースニーカーに足を通す。
その後ろから
「ごはんはたべて行かないのか」
ビクッとする。
少し振り向いて
「大丈夫です。急いでるので」
微笑。
「そうか、気をつけていくんだぞ、暗くなる前には」
「帰りますから大丈夫です。急いでるので行ってきます。」
ガラッと引き戸を開けて直ぐに家を出た。勢いよく閉じたドアは、少しばかり跳ね返ってしまったかもしれない。でもそんなのも気にしない。
うつむいて早歩きした。右手はぎゅって肩掛けのひもを持ってた。手に爪の痕ができるくらい握ってた。
早く、早く十分に息のできない世界から出たくて仕方なかった。
世界の音をかき消すようにイヤホンをする。ノイズキャンセリング機能を考えた人って天才だ。この世に私だけが存在している感じ。
いつものプレイリストを流して、ゆっくり息をした。
イントロが流れて、昼なのに淡い夜の寂しさを感じる。
珍しく人気のない朝7時の外。全てが真逆すぎて混乱しそうになってうつむいた。
ちらちらと時々前を見ながらまっすぐに、数分進んだ所で右向き90度の方向転換をした。木の生い茂る坂、木で人工的に作られたらせん階段が目の前を支配している。先を見て少しばかり気が滅入ったが、渋々、重い足をゆっくりと交互に差し出していく。
バラバラの高さに苦戦しながら、登る途中でふと横を見ると、そこに見えたのはただ生い茂った木々だった。
「うわー、まじか」
右を見て分かった。頂上まで行かないとそれなりの景色が見える場所にはならないと気づき、軽く失望する。
何十分か、おんなじ動きを続けた。
後半は運動不足が裏目に出て、最初の倍ほど時間がかかってしまった。ふっと顔を上げると朝日が頂上を示すらしき最後の段を静かに照らしていた。
「やっとだあ、」
人間は終わりが見えると急に今までの何倍も力を出すことがある。持久走とか、最後だけ全速力で頑張れたりしない?そゆこと
最後の階段は少し段の幅が大きかった。それをなんとかふんで頂上の地面を踏みしめた。
今まで動いていた身体を止めると、急に呼吸が速くなる。息苦しくて肩が上がるほどの呼吸を止められない。
ゆっくり、ゆっくり時間を掛けて息をととのえて、思いっきり息を吸って、大きくのびをした。
「んー!やっとだ。」
息を吐く勢いと一緒に、出た声は意外とストレートに出た。
「独り言大きすぎでしょ笑」
心臓が跳ねた。びっくりして、勢いよく振り向く。
右側のベンチでケラケラと笑うのは、黒髪ロングのこの地に似つかわしくないワンピースのおしゃれな女の子。
「す、すみません」
恥ずかしくてテンパって、勢いで謝罪した。
「全然いいけど笑」
そうやって覗かせた笑いには、高い鼻が良く映えて、控えめなピンクブラウンのアイシャドウが光に照らされて煌めいていた。
あれ、。ふと気付く
なんだか感じたことある感覚。それはどこかで、見たことのある
ような
「「あの」」
その声がかぶって。2人とも目を丸くして
「かぶったっ」
そういって吹き出して笑った。
ふとその笑った顔を見ると、綺麗に浮かぶ笑窪。恥じらいなく大胆に笑う“彼女”はありのまま生きる、美しいヒトに見えた。
座って、と笑いながら促されたその手の仕草を見て、私は彼女の横にゆっくり腰掛けた。
笑いの中で口を開いたのは
「昨日あったよね、お姉さん」
お姉さんかな、と年齢的に少し疑問を感じたけど
「やっぱりそうですよね!?」
こっちの方が言いたかった。
「びっくりした、きのうはごめんね。ぼ…あ、私めっちゃ急いでてっ、ほんとごめんなさい。」
?少し、何かが気になった気がしたけど
「全然。こっちこそごめんなさい。ながら歩きしてた私が悪いので」
そう言って、会釈をした。
それにしても
「とても、綺麗ですね、服もメイクも素敵だなって昨日も思ってたんですけど」
ゆっくりと見つめて、その光に照らされたきめ細やかな肌を。
すると彼女は少しぎこちないように微笑して。
「ほんと?…嬉しいな、ありがとう」
ほんとって、少し自信なさげに。でも本当に嬉しそうに。
だから、
「ほんとです!すっごく、素敵で。私とは全然違くて」
自分との差を感じてちょっと、俯いてしまった。
「それはめっちゃ嬉しいな。でも、お姉さんも綺麗だと思う。目とか、すごくしてて」
ゆっくり私をのぞき込んで
「もう少しメイクとか濃い色にしたらキリッとしていいかも。あっ、あくまで勝手な私の意見だけど、気を悪くしたらごめんね。」
少しあたふたして。とても謙虚に振る舞った。
「うんん、そうやってしっかり見て貰ったりしたことないから、嬉しい」
心からそう思って、笑った。
すると、彼女が目線をおとして
「それ、カメラ?」
肩に掛けたカメラを指さして言った。
「あっうん。カメラ、写真撮りに来たの忘れてた笑」
結構ほんとに忘れてた。言ってくれて良かったまである。
「一眼レフ?ってやつ?詳しくないんだけど、写真撮るんだ!」
明らかに興味津々に目を光らせるのが見て取れた。その様子に私も嬉しくなって
「そうなの!私、学校の部活で写真部に入ってて、今日はその写真撮りに来たんだー」
ゆっくりとカメラを撫でながら、そう話すと
「とても好きなんだね、写真撮るの。いいなー、」
少し遠くを見て、寂しそうに呟く彼女の表情が、気になった。
「写真、撮るの好きなんですか、えっと…」
「あっ、私…瑞季っていうの。もしよかったらお姉さんの名前も教えて」
よく分かったなって思った。よく表情を見てる子なんだなって
「私はつむぎって言います。あらためてよろしくお願いします」
「よろしくねっ、てか敬語やめよ?、多分年とかあんま変わんないしっ、お姉さん高校生?」
華奢な肩をかしげて言う
「私は、高2です。」
「じゃあ、お姉さんの方が年上だ、私は、高1。どっちにしても敬語なしでもいい?」
「勿論、。」
急な敬語なしってどうしても慣れない。なんだか少し照れくさくて。語尾が足りなく感じる。
でも、なんだか嬉しくて。胸が温かくなった。
「あ、そうだ。さっきの話だけど、写真撮るのが好きって言うか、なんかさ撮る景色って、綺麗なものとかじゃん。その撮りたいと思うもの選ばれるのって、いいなーって」
羨望ってこういう目をいうんだ。キラキラしてて、でもそれは、どこか切なそうだ。でもさ。
「確かに、綺麗なものは撮りたいと思うけど。でも、そんなこと言ったら、瑞季さんだって、綺麗だし。写真のモデルとかなれそうだし」
本当に彼女は綺麗で。素敵だ。こんなに綺麗なひと、中々いない。そのくらい私は綺麗だと思った。それに
「なんだか、都会のひとって感じで素敵だなって。オーラ感じる笑。あっ勿論いい意味で。」
「そうかな笑、初めて言われたかも。確かに都会のほう?で暮らしてはいたけど。」
「そうなんだ!?羨ましいな。、」
何度も夢見た都会。都会ってこういう人が沢山いるんだ。キラキラしてて、服もメイクも素敵で。勝手なイメージなのかもしれないけど。私はそんな気がした。
そんな私に
「つむぎちゃんは、都会が好き?」
そう、怪訝に聞く
「大好きです。都会の夜景とか、大好きで。都会に行ったら、なんだか、沢山のひとに紛れて誰にも見つからずに自由に生きていけるような気がして。少し飛び出していても、許される気がして。…」
口が先走っているのを感じて我に返る。
「ご、ごめんねなんか、ペラペラしゃべっちゃって、笑」
苦笑いでごまかした。
「うんん、いいんだよ、つむぎちゃんにはそう見えてるんだなって」
そう、優しく笑った。でも本当は、そうは思っていないだろうと、直ぐに分かった。
「でも、私はこういう所が好き、知っているひとが誰もいない、ゆっくり時間が流れているような、自然が全部飲み込んでくれるようなそういう所が好き。」
それはやっぱり私とは真逆のこと。
そう言ってゆっくりベンチから立ち上がって、頂上の踊り場をゆっくりと進んで、木々がはけている村を一望できる地点で立ち止まった。
瞬間、
「そう思わない?」
そういってえがおで振り返った彼女は、見たこともない「あの人」をふと思い出させた。
自由で。酷いヒト。そう言われている。ひと、
何年ぶりだろう。言い表せない気持ち、懐かしくて胸がきゅうてなる気持ち。
なんだか、なんだか
「つむぎちゃん?!」
ぎょっとして、急いで近づいてくる彼女の様子でやっと認識した。
私。
「泣いてるの?…」
そうしゃがんで除いた彼女が言った。
「ご、ごめんなんか。やだ、なんかごめんね、ほぼ初対面なのにこんな、おかしいよね」
ゴシゴシと腕で拭った涙を見て、自分でも驚いた。何で泣いてるか。
なにもかもが久しぶりで分からない。
「だいじょうぶだよ、ちょっとびっくりしただけ、なにか辛いことがあったの?、良かったら話してよ。ほら、何もない人ほど、執着なくてはなせるっていわない?笑」
優しく呟いた彼女は、ゆっくり立ち上がってまた、私の横に座りなおした。
少し間隔を開けて座る配慮とか、そういうもの全部が、自分に刺さった。
今なら、この人なら、言っても言い気がして、だらだらとした感情が、せき止めていないと漏れてしまいそうだ。
その栓を抜いたのは
「でも、自由になるってさ、自分の価値を認めてくれたらきっと実行できるような気がするよね。なんて言うか、必要とされている場所に呼ばれてる気がするって言うか。何言ってんのかよくわかんないけど」
そうやって、言った彼女の感性だった。
それを境にしみ出した感情が、口火を切った。
「ちょっとだけ、私の話なんだけど。聞いてくれないかな…つまらないかもしれないけど…少しでいいから」
とても申し訳ないと思った。でも、
「きくよ、話したいこと話したいだけきくよ」
そう言って。ただ黙って、
「私、ここにいるのが嫌いなんだ。生れたところも知らない。親の顔も知らない。母親は籍入れずに私産んで、小さいころは一緒にいたらしいけど、いつしかいなくなった。今は、母親のお姉さんの家で暮らしてる。、とても良くして貰ってるよ。でもいつもあの人みたいにはならないようにってレッテルを貼られる。仕方ないよね、でも。高校に入学するとき手紙が届いたんだ、」
「それって、?」
「多分。母親。名前とか覚えてないし、変わってて何も分からなかったけど。なんかそう思った。馬鹿だと思わない?笑、捨てた同然の娘に手紙送ってくるとか、どんな内容だよって思った。そしたら、あのときはごめんなさい。正直に面と向かってあなたには話すべきだったと思ってる。そうできなかった私を許してって。今、イギリスにいて詳しくはいえないけどやりたいことやってるって。。才能を買ってくれる人がいて、初めて認められた気がしたって。そういえばお母さん、恋人からDV受けてたらしくて、だから籍入れずに別れたらしいけど。初めて自分自身の存在証明できたのかなって。私なんか、どうしてか、何にも反論できなくなっちゃった。私捨てられたはずなのに、なんかすごく複雑な気気持ちになった。今も、ずっと複雑な気持ち、。」
「今、も?」
そうやって言葉を選んで、私の顔色をうかがいながら、すごく気を遣ってくれてるのが分かって、泣きそうになった。
「う、ん。母親に幸せになって欲しいっていうきれい事みたいな気持ちと、自分の人生と引き換えに私を今の家庭っていう檻に閉じ込めた事への恨みって言うかそういう気持ちと。なんかそういうのがごちゃごちゃになって、おばさんから言われる母親比べる言葉とか、戒めとか期待とか。それが辛くて。」
涙が出る。辛くて苦しい。いつも、逃げ道を考えてる。
「だから私。都会に出て、沢山の人に紛れて、そういう街に繰り出して現実逃避したいのかも。安易な考えだけどほんとにあの景色を見てたら忘れられる気がする。それで、もし私に才能があったら、連れ出して欲しい。もし、あったらね。ほんとの私の存在を、いい子な言うことの聞ける子から払拭して欲しい、か、ら。ほんとのほんとは写真を撮りたい。人も物も全部を撮りたい。それで、。沢山撮って。それで、」
私が私を見失っちゃう前に。
言いたいことを乱雑に羅列してしまった。ぼろぼろ零れてくる本音が言葉の脈略を無視して出てくるの。
頬を伝う涙は止めどなくて、嗚咽が襲ってくる。苦しいのは、涙で零れる嗚咽のせいか、それとも、心が苦しいと言っているのか。どうしようもなくて、ただただ泣いた。
声に出して泣いた。めまぐるしく時が進む世界なら、沢山の人がいる世界なら。誰かが本当の私を認めてくれるんじゃないかって、そういうまだ見ない世界に期待してたの。してるんだよ。
「きっと、素敵な写真を撮るだろうな、つむぎちゃんは。きっと気付いてくれるよ。てか今、僕が気付いたっ。だから、自分を見失わないで。ほんとにつむぎちゃんがやりたいこと、見失ったらだめだよ。、、でもそれって才能とか大きな事じゃなくても、ありのままを、受け入れて、認めてくれる人がいたらきっと自分が生きていて良かったって思えるんじゃないかなって私は思うよ。だから、頑張ろうよ。」
そう言って、隣に座って優しくのぞき込んだ彼女は、ゆっくり私にハンカチを差し出した。
なんだか本当に申し訳なくなった。差し出してくれた、ハンカチが嬉しくて思わず受け取って
「朝からこんな、話しちゃってごめんね。ほんと、意味わかんない話に、付き合わせて、笑」
まだ綺麗に定まらない息をなんとか整えて、彼女を見てわらった。
でもそれは直ぐに、見透かされて
「無理に笑ったりしないで、私の前では、自然でいいよっ、めっちゃ気持ち分かるし…」
「え?…」
さみしそうな目、なんで、なにが
「あっ何でもない。ごめんねー、てか、写真!写真は?どんなの撮るの?良かったらみせてよっ、きれいな景色とか?、楽しい話もしようよ!ね」
明らかに話をそらされた。気がしたけど、なんだか深く掘り下げるのも申し訳なくなって
「え、っとね、」
カメラの電源をつけてカメラロールと見せた。
「え、これどこの?」
「これはー、家の近くの道から見える、山?、」
「えー、めっちゃいいねこれ!」
「そうかな?笑」
大嫌いな景色が、嫌い、位に少しだけ緩和された気がした。少しだけ、
綺麗って認められたら…
それから、どれくらい時間が経ったんだろうか。
カメラロールをあさったり、カメラの取り方を教えたりだらだらと時間が過ぎていった。
「写真めっちゃ楽しー!」
この楽しさ知らなかったの損だ~
そう言って笑う彼女に、自分も久しぶりに楽しさを思い出した。それは、
「私も、瑞季さんと話してめっちゃ楽しい、なんか写真撮るのとか変なプレッシャー感じちゃって。久しぶりにこんなに楽しいと思った、人と話すのも。なんか家のことあって友達とも変な壁作っちゃってたから。どうしてだろ、なんだか瑞季さんとはめっちゃ、自然に話せる気がするっ、あっごめん急に、悪い意味とかじゃないからっ」
誤解を上手く解くように、本音を言った
そしたら彼女は
「いいんだよ、私もなんか嬉しい。つむぎちゃんといるとめっちゃ、自然体でいられる気がする。めっちゃ同感笑」
「それなら、嬉しいや、」
瑞季さんと話すと心がほっとする。これほんと
「それなら良かった。」
えへへ、と照れて見せた彼女はめっちゃかわいかった。
それで
「つむぎちゃんはよくここ来るの?」
そうやって聞いた。
「うーん、写真撮りによく来るかも、あとなんか忘れて清々したいとき?かな、瑞季さんは?よく来るの?ここ、というか住んでるのここら辺?家近いかな」
「あ、えーっとうん、よく来る。今はおばあちゃんの家にすんでてさ、この近くあっちの方」
そういって指さしたのは私の住んでる方向とは真逆の方だった。
「あっちの方向かー、私あっちだからさちょっと遠いね、」
少ししょげてそう言うと
「この山、目印にしたらいいじゃん!」
「え?、」
「この山でまた、話そうよ。つむぎちゃんと話してるとほんとに安心するし楽しい。だから、私今日はもう帰らなきゃ何だ、あしたは?明日、またあえる?」
乗り出すその身に、なんだか自分が必要とされている気がして嬉しくなった。
「うん!明日もまた来る、あさっても、学校終わってから来るそしたらまたはなそ。それに、私も家にいるとなんだか息苦しくなっちゃうんだ。それに、瑞季さんと話すのめっちゃ楽しい。だから、嬉しい。」
嬉しい。
「良かった!じゃあまた、あした!午前中?」
「うん、10時くらい?」
「りょかい!じゃあまた来るね」
気をつけて!そう言って彼女は軽い足取りで階段を駆け下りていった。
すっかりうえに昇った日は、朝よりも木々に隠れて、葉っぱを通して流れる風は生暖かかった。
すーっと大きく息を吸い込んで吐くと、ゆっくりベンチをたって
「帰るか、私も」
謎の充実感で、最初の予定も忘れて、家路につくことを選んでいた。
それから次の日も、また次の日も学校がある日はその後に、私はそこに行くのが日課になっていた。
写真を一緒に撮ったり、学校の話をしたり、瑞季さんは学校が今休みらしく学校の話は聞けなかったが、その代わりに趣味の話などで盛り上がった。
毎日それが楽しくて、居心地の悪い家も、憂鬱な日々もなんだか乗り切れる気がした。メイクも教わった。いろんなやつ。なんだか新鮮で、世間的によく言う楽しい時間は直ぐ過ぎるってこういうことなんだって思った。
そんな、ある日に。
約束に向かうため私はいつものように学校帰り頂上を目指していたのだが、体育着など手荷物が多かった今日は、一度家に帰ってから向かおうと渋々試みた。
支度を終えて、玄関を出ようとしたとき。
それは突然だった…
「ちょっと、つぐみちゃん」
背筋が、凍る感覚だった。
「はい。」
ゆっくりと振り返ると、そこにはマユさんが明らかに不機嫌そうな顔で、立っていた。
先に口を開こうとした矢先、
「またどこかに行くの。最近毎日毎日、どこに行ってるの、誰と。」
そんなの、なんでいま。苛立つ
「でもちゃんと門限は、守ってますよね、」
刃向かったのは、幸運か不運か
「そういう問題ではなくてね、誰と遊んでるのかも最近言わないじゃない、。彼氏でもできたの、?まさか危ない人じゃないわよね、もしそうなら直ぐに会うのをやめなさい、まったくすぐn…「そんなんじゃないです!、違いますからほんとに」
握った手に爪の跡がつくほどきつく
「勝手に判断して、そうやって詮索しないでください」
「なによそれ、私は保護者なのよ、あなたの。あなたはまだ子どもなの。それに、」
うるさい、うるさくて苦しい。だって次に言われるのは絶対
「「あの人みたいに」」
「なったら困るでしょ。訳の分からない人と付き合って、駆け落ちだなんて、そんなことがあったらたまったもんじゃない。ちゃんとした大学に行って、ちゃんと就職して、ちゃんとした人と結婚して。」
「何で」
そう思った思いはいつか言葉になって口から出てた。同じように他の感情もあふれ出して
「何でですか。それって世間体ですか。確かにお母さんは意味わかんないです。マユさんにもせっかくの旦那さんとの時間を私が奪って、本当に申し訳ないと思ってます」
ねえ、止まれないよ。
「でも私、お母さんじゃないです。私は成人してないけど、でも分別のつく子どもです。私は、私は」
どうして、どうして私は
「つむぎ、ちゃん」
「自分の好きなように生きたいです。ちゃんとって何ですか、。この家にずっといることですか。私はいつまでマユさんのちゃんとを生きたらいいですか、わた、しは、」
泣くな、泣くな絶対、絶対泣くな
「ほんとは写真を仕事にしたい、したくて。ほんとうは、この家も少し居心地が悪くて、私はなんだか。疎外されてる気分で。傲慢なのは分かってます。もう何がちゃんとなの、わから、なくて、レッテルを貼られている気分で」
押しつぶされそうだった。
分からなくて、どうして泣いちゃうのかも分からなくて。でも、ただ泣きたくて、
すごく息が詰まった。とても自分勝手な叫びだって、分かってるけど、分かってるのに、
「生活が息、苦しい、です。」
止まれなかった。こういう所を、子どもって言うのかも、そうなのかもしれない。
整わない息が、はあっはあと大きな音を立てて玄関の空間に響く。
「つむぎちゃん、あの、その」
高ぶった声で乱雑に羅列した言葉に、言うすべを失っていたのだろうか。
明らかに混乱した目を、じっと、昂ぶる息を肩で整えながら見つめるしかなかった。
と。
ガラガラっと勢いよく引き戸が開く音に背中がびっくりして勢いよく振り向く。
「ただい、ま。どうした、?」
目を丸くして、突っ立っている人がいた。
その瞬間、なんだか自分が明らかに不利なように感じて、急に怖くなった。
息苦しい感覚、いつもの感覚。
また、苦しい
逃げたい。私を必要としないこの空間から、立ち去って
しまいたいと思ったときには
「!おい、つむぎ、どこ行くんだっ」
足が走ってた。掴みそうになる手をかわして、全力で走った。呼び止める声も聞こえてない。
何を考えてる。あの空間から逃げたい?、違う。違う、。
会いに行かなきゃって、。大事な約束に行かなきゃって、そのことだけ考えてた。
はあはあと切れる息に何の期待もできなかった。、苦しい息に、走ることをやめたくなった。でもやめなかった。なんで?、だって後ろから追いかけられてるかも。って違う
只々、行かなきゃ。行きたいって思った。私が居ていい場所。
私が、
「瑞季ちゃん…」
泣いてた。風を切って、泣いてた
なんだかかっこいい?わかんない
死ぬほど自問自答を繰り返した。意味わかんない言葉を羅列して脳を支配した。目先の目的以外、何も考えなくていいように。
いつもは足取りの重い、不揃いの階段。薄暗くなった景色に焦りを感じた。もう多分七時回ってるかも。、どうしよう、
必死で掛ける。足がもつれそうになったことは何度もあった。でもなんとか、なんとか切れる息を横目に、とうとう最後の頂上の土を踏みしめた。
「瑞季ちゃん、ほんと、ほんとにごめ、」
立ち止まった瞬間に一気に襲ってきた疲労は、大きな息になって、はあはあ、ぜえぜえと大きな音を立てて襲ってきた。腰を折って、膝に手を当てながら息を全力で整える。
でも問いかけは、ただこだまするだけで、応答をしなかった。
ふと見たベンチに、
「瑞季ちゃん、。ほんとに、ごめんね」
もうその姿はなかった。
自分の無力さが露呈して、なんだかとても悔しくて、悔しくて、また死ぬほど、涙を流した。
放心状態で家に帰ったら、絶対怒られると思った。でも、全然怒られなかった。むしろ、ごめんと、ただ謝られた。
今までのことも、ただ、。そうやって、だからなんだか縮こまってしまった。全ての人に申し訳なくて苦しかった。
あの後何日も、あの頂上に行ったけど、瑞季ちゃんに会えることはなかった。そこにあるのは空っぽのベンチといつも変わらない景色だけだった。穴が空いたように留まったその時間は、私の心の時間も止めてしまった気がした。
連絡先を聞いてなかったことを、今の今で後悔した。
多分そんなのなくても、会えると思ってしまっていた。勝手に私は、感情を共有できていると勘違いしていたのかもしれない。そう思った。
空っぽになった心は、死んだサイボーグのように毎日私の足を、頂上に運んでいた。
今日は雨、じとじととした雨。
休みだって言うのに、なんだか冴えない空模様だ。
何もしないまま、実に半日以上が経過していた。一日中時間も分からない景色を、ベッドから眺めていた。
ただ着替えただけ。あと、ご飯も食べたか。
あれから約一週間。彼女には会えていない。
特にやることのない一日にぼーっとするしかなかった。と言うより、
「あれでおわっちゃうなんて、どうしても腑に落ちないや。」
私のせい、なのにね。
もう、四時。今日は何時に行こう。でもこれって、行って意味があるんだろうか。もう、遅いんじゃないんだろうか。
全てを投げ出すってこんな気分か、。
あんなに寝たはずなのに襲ってくる眠気は。一体なんなんだろう。
寝てるときは多分、何も考えなくていいから、好きなんだと思う。全部、夢に移行されるから。
そうやって
(誰、なんで、泣いてるの。とても綺麗な人。どうして、)
どうして
はっと目が覚めたその部屋は、ただ暗くてどれくらい眠ったのだろう。変わらないのはしきりに降り続ける雨だけ。
変な夢を見てた。ほんとに夢?、眠気の脳は本当に働かない。
「あっ!、約束、何時いま、」
放った携帯をひっつかんで「7:00」を回っていた
やばい、やばい?、今日も居ないだろう。
どうしてそう思えない。もう諦めたらいい、私達の出会いも別れも偶然のうちだ。
でもなんだか今日はどうしても譲れない気がした。
どうしようもない衝動に駆られて、もう服も何もかもどうでも良かった。階段をどたどた駆け下りて、玄関に一直線に行く。
いち早く、直ぐにでも。それしか頭になかった。でも
「どうしたの、こんな時間にどこいくの」
そう言われることは分かってた。何でか。分かってた。
でもこの前とは違う。
「ごめんなさい。マユさん、私はどうしても、行かなきゃいけないところがあって。門限過ぎてるのも分かってるし、迷惑を掛けて自分勝手なのも分かってる。でもどうしても、一番大事だと思った友達なんです。」
本音だった。どうしても行かなきゃいけない気がした。何を振り切ってでも、それは逃げることじゃなくて。
「わかった。気をつけていくのよ、。初めて面と向かって、言ってくれたね、つむぎちゃん」
そういって笑っていた。
その習慣、世界と飽和する。
この空間が
「ありがとう。ほんとに、私を信じてくれて」
嬉しいと思った。ほんとうにうれしくて、自信を持って
「いってきます」
戸を開けて、ただ走った。
やっといえたよ。ねえ、
あのときみたいに。全力で走ってた。でもあのときとは、違う。違くて、何かすがすがしい気持ち。どうしても、伝えたくて、この気持ちを伝えたくて、ただ自分のエゴで走ってた。
傘がただ邪魔で、もういらないかも、って思った。そのくらい全力で走ってた。
ただこの、この感情になれたことを、あなたのおかげだと思った。
でもそれが、あなたのおかげじゃなくても。今多分私は瑞季ちゃんに会いたいと思ってるよ。階段を駆け上がるのは何回目。
ピチャピチャと跳ね返る水も、いつもより暗くてぬかるむ足元ももうどうでも良かった。
ただ、
「もうちょっと」
息が上がる。やっとの事で、頂上の地面を踏みしめ、た。
ビクッと。それは人を警戒する野生動物のように、おびえる人影が分かった。
状況まではつかめなくて、少しの間放心した。
でも、直ぐ分かった。
ぐっしょりと濡れた黒くて長い髪。じっとりと肌にまとわりついたあのときと同じワンピースは
「瑞季ちゃん、?」
驚くより先に、その華奢な肌がぬれるのをどうにかして止めようとして傘を差し出す。
気付いたのかゆっくりと彼女は、その顔を上げる。
それはとても一週間前と同じ人だと思えない程やつれている気がした。
その瞬間にとても
「瑞季ちゃん私、本当にごめん。あの日、親と、喧嘩しちゃって。来るのが遅くなってしまって、本当にごめんね。次に会ったら絶対、謝らなきゃって思ってた。ごめんなさい」
沈黙は、雨の音をしきりに大きく目立たせた。
「…と思った。」
だからよく聞こえなかった。
「え?」
思わず聞き返した。
「嫌われたと思った。そうじゃなくてほんとに良かった。」
見て取れるくらい、はっきり安堵しているのが分かった。同時に、疑問を感じた。
「そんなことしないよ。なんで…」
「…」
彼女は黙っていた。
「瑞季ちゃん、もしかしてずっと待ってくれてたの。今日はまた、来るのが遅くなっちゃって。ほんとごめん。」
「今日、も?」
「うん?…」
「もしかして毎日、ここに来てたの」
驚いて身体を跳ねた彼女の毛先からしずくが零れる。
「あの日来なかったのは私のせいだから、それにどうしても会いたいと思ったから」
そういった。すると彼女は
「ほんとにごめん、わざわざ来てくれてたのに…」
「いいんだよ全然気にしないで、私が勝手にやってたことなの。だから」
ね?と彼女を見た。
泣いてる。直ぐに分かった
「瑞季ちゃん、雨もすごいし、帰ろうよ、一緒に、私送っていくよ」
その瞬間、肩をふるわせるくらい酷く泣いたあなたが
「ごめん、ごめん。嘘ついてごめん」
ずっと続けた。
「ほんとは、帰る場所なんてない。ほんとは…」
かすれる声で言う姿に、そんなのどうでもいいって思った。そうじゃなくてもきっと私は、そんなのどうでも良かった。
だから
「いいよ、嘘でもいい。」
いいよ
「だから私の家、一緒に帰ろ、うちに泊まったらいいよ」
そう言って彼女の手を引いた。
「え、まってでも、申し訳ないよそんなの、それに」
「大丈夫。絶対、説得するし。瑞季ちゃんがここでずぶ濡れぬれになってる方が心配」
だから
「一緒に帰ろう」
目をまっすぐに見てそう言った。
「帰りたい…帰りたいよ、」
そういった彼女はとても、小さな子どもみたいで、いい意味で酷く幼く見えた。
「うん、」
微笑む
中くらいのリュックサックをゆっくりと背負って、ベンチを立つ。
2人とも驚くくらいびしょびしょでもう笑えた。
携帯の照明で照らしながら、階段を一段筒確実に降りる。
この沈黙は意図した沈黙だ。
それはどこか安堵さえあった。
聞こえるのはただ降りしきる雨の音と、ぬれきった靴がぐしょぐしょと足を踏み出す度に立てる音だけ。
家の前についた時、嫌に心が引き締まるのは変わらない。
縁の下にはいって、静かに傘を閉じて立てかける。見事に2人ともびしょ濡れだ。
ましてや初めての事だ。大丈夫だろうかと心配になる。
「つむぎちゃん?…」
「ごめん笑緊張しちゃって」
つい苦笑いした。
「ほんとにごめん。私のせいで」
俯いた彼女に
「いいの、絶対大丈夫だから気にしないで。」
息を整えて引き戸に手を掛ける。
ゆっくりと開けた引き戸は、変わりなく大きな音を立てて開いた。
足を一歩ずつ差し出す。後ろにいた彼女にも
「はいって、」そう小さく声を掛けた。
彼女はお邪魔しますと小さな声を出して会釈した。
その音を聞いて廊下沿いの台所からドタドタと足音が聞こえる。
胸が締まる。緊張する。手に汗を握る。
「つむぎちゃんおかえ、り。その人は?」
なにを言われるかがただ怖い。
言葉が詰まる。
何でいえないの、言葉が出ない
ほんと嫌、なんで、どうして
「友達か?2人ともずぶ濡れじゃないか。直ぐに中に入りなさい。」
ぎょっとしたかおでそう言ったのは、シゲルさんだった。その言葉に泣きそうになって
「大事な、友達で、今日どうしても泊めてあげたくて、お願いします。どうかお願いします。」
頭を下げることしか頭になかった。どうしたらいいのか、頼み方も分からなかった。
瞬間。口を開いたのが想像できて、思わず目をつむった。
「つむぎが友達を連れてくるのは、初めてだな。」
そういって、
顔を上げると、優しく微笑んでいた。
「泊まっていきなさい。いいだろ、マユ」
そう、促した。
「え、まあ。そうね、つむぎちゃんが連れてきた子だものね。」
そんな2人を見て、真っ先にごめんなさいが溢れてきた。
私は、
「ごめんなさい。この前もごめんなさい、あんな勝手なこと言って、ほんとに、ほんとにありがとう」
とても嬉しかった。認められた気がして嬉しかった。ゆっくり後ろを向くと、彼女に向かって小さくピースした。
すると彼女は
「笹部瑞季って言います。急に押しかけてしまいすみません。今日はよろしくお願いします。」
そう言って頭を下げた。
「ゆっくりしていって」
その声が玄関に響いて、彼女も泣いていた。
「じゃあ2人とも、おやすみ、あんなにずぶ濡れで帰ってきたんだからちゃんと布団掛けて寝るのよ」
10時を回ったころ、マユさんがそう言って私の部屋の電気を消して出て行った。
しばしの沈黙の後
「本当に、ありがとう…布団も、お風呂も、ご飯までほんとにありがとう。」
ベッド下に敷かれた敷き布団で横になる彼女が口を開く
「全然いいんだよ。でも私もありがたくて感謝してる。今まで友達とか連れてきたことなかったから。ああやって、面と向かって言ったのも初めて。瑞季ちゃんにもほんとに感謝してて、ありがとう。」
「何にもしてないよ。それはつむぎちゃんの努力じゃん」
そうやって素直に褒めてくれて
「ほんとにありがとう。瑞季ちゃんが褒めてくれて、そうやっていってくれて嬉しい。ほんとにめっちゃ助けられたよ。」
少しベッドから身を乗り出して、彼女を見下ろして言う
「こういう話聞いてくれる人って、なんか少なくてさ、ほら家庭事情知るとレッテルを貼られるって言うか。黙って聞いてくれる人が中々居なくて。私は、ただ、そうしたいだけだったんだと思う。だからただ、嬉しかったんだよ。瑞季ちゃんの存在が」
少し手を額に当てる仕草が照れ隠しだと思った。
「何でそんなに。いつも褒めてくれるの、認めてくれるの」
そう嘆いた声はとても震えていて。ないてるんだって直ぐ分かった。
「え?、だって瑞季ちゃんほんと素敵だし。勿論中身もだよ。だから、ほんとのこと言っただけだよ。」
どうしてそんなに疑うのか、分からなかった。泣いてしまうほど、辛い思いをさせてしまったんだろうか。色々が思考を巡った。
「…は、私は、つむぎちゃんが思うほどいい人間なんかじゃない。」
そう言い切った彼女の声は鋭かった。手のひらで覆われた顔から、涙が溢れているのは電気が照らしていなくたって分かった。
「どうして、?、もし良かったら話して。」
手を伸ばしてゆっくり彼女の額に触れる。
「もしこれで嫌いになってもいいから」
「そんなことしないよ、約束するから」
伸ばした手を握って小指を立てる。
「指切り、もし破ったら針千本でもいいよ」
そう言った。
ゆっくりと起き上がって、体育座りをして、きゅうっと肩を縮こめ照るのが分かった。
私はそのまま、耳を傾ける
「“私”はつむぎちゃんが思ってるようなできた人間じゃない。どうしようもない人間なんだ。沢山嘘をついて、ごめんなさい。ほんとは、ここにおばあちゃんちなんてない。親戚だって居ない。」
「うん。」
「綺麗っていってくれて嬉しかったよ。でも全然そうじゃない。ほんとは、ほんとは。ほんとうは…」
過呼吸気味になる背中をゆっくりとさすった。
「大丈夫、大丈夫だよ。」
そう言ってあげるくらいしかできなくて、自分も苦しくなった。
「本当はね、あの日、バレたと思ったんだ。だからあってくれないんだと思った瞬間怖くなった。…は、“僕”は。本当は女の子じゃない。ごめんなさい、本当に本当に騙しててごめんなさい」
一瞬で駆け抜けた驚き、でも次の瞬間には全然本心で平然だった。
「そっかあ、全然わかんなかったや笑」
「え、」
ゆっくりおびえるようにこちらを向く彼女
「それだけ?、驚いたりしないの、気持ち悪いとかないの、なんでどうしてだって、男なんだよおかしいと」
「思わないよ。むしろ女の私より綺麗すぎて嫉妬するレベルだよ笑全然気がつかなかったし。そうだったんだあ。ってだけ。私の中じゃ瑞季ちゃんから何も変わってないよ」
どうして、どうして、と何度も言いながら涙を流す彼女を思わずゆっくりと抱きしめた。
それは、とても守ってあげたいと思ったから。
その涙の意味が分かったから。
「大丈夫だよ。だって素敵だもん、とっても素敵だから、自信もって。」
肩に顔を埋めて泣きじゃくる人は、とても小さく見えて、抱きしめて潰してしまわないか、心配だった。
「それに私、別に性別がどっちだって瑞季ちゃんの存在が好きだから。そんなの関係ないよ。」
信じて欲しくて、大丈夫だよ、と何度もささやいた。
すると彼女は
「あの日、嫌われたと思って苦しかった。気持ち悪いと思う人は沢山居るから、そうだと感じて、勝手に解釈してた。つむぎちゃん。ほんとにごめんなさい」
「全然、謝らないで。私こそ、ごめんね。」
腰に回された手が、かすかに震えていて、とても苦しかった。
「ほんとのこと、話しても、いい。つむぎちゃんになら、嫌われてもいいと思った。」
「だから、嫌わないって。」
「そんなことない」
「あるよ、」
「ないよ」
まっすぐ顔を見た瞬間に時が止まった気がした。
ゆっくりと、唇を動かす、覚悟の目を見た。
「じゃあもし僕が、人を殺したって言っても。」
「うん」
冗談と思ってるとかじゃなくて、
「どうして、そんなに僕を甘やかすの。」
「甘やかしてるんじゃないよ、絶対に意味があるって思うだけ。もしそうだったとしても」
本気でそう思ってるんだよ。
「会えて良かったって思ってるよ。つむぎちゃんみたいな人に出会ってたら、もっとまっとうに生きられてたかな。」
笑った顔が今までで一番哀しい顔をしていて、いたたまれない気持ちになった、
どれだけ大きなものを背負ってきたんだろう。それは背負わないといけないことだったのか。認められる為に当然の報いだったのか。
口火を切ったのは
「人を、殺したんだ。学校の同級生。からかわれるのには慣れてたけど。女装姿の隠し撮りされた写真を拡散されそうになって。家の近くの神社の階段でもみあいになって、それで…、」
震える手に自分の手を添える。その手も震えていた。
「ここに来たのは、ここなら自分のこと誰も知らないと思ったから。誰も知らない場所で、知らないところに、逃げてきただけ。ほんとうは東京から来た。最低だ。本当に、本当にどうしようもない人間なんだ。こんな自分居ない方が良かったのn「そんなことないよ。そんなこと言わないで。」
彼女が目を丸くする。
そんなこと言わないで欲しい。どんな辛いこと経験してきたのか私は知らない。でも、この人も私と同じように居場所を探して、自分を認めてくれる人を探してたのかもしれない。でもきっと私よりも苦しくて、辛くてどうしようもない思いを、してきたんだろうなって。
だから、
「辛かったね。でも、大丈夫。私は瑞季ちゃんが大好きだよ」
そういった私も、泣いてた。それ以上を聞く必要もないと思った。
もし共犯になっていいとも思った。だからただ、傍に居てあげたいと思った。
ねえ、どうして認めて貰いたいと思うんだろうね。
それはきっと安心したいから?存在を確信したいから?
それとも、自分を好きになりたいから?
止めどなく流れる涙は、頬をぬらして、服をも濡らした。
声を出して号泣した。
どっちも。まるで三歳くらいに戻ったみたいに。
ただ、あなたに会えて良かったと思った。でもあなたに、もっと早く会いたかったと思った。
その夜は、半生分くらいの涙を流した。そしていつの間にか眠りについてたんだと思う。
(ありがとう。さよなら)
夢でそう聞こえた気がした、は
次の朝、正夢になった。
「瑞、季ちゃん…」
カーテンの隙間を伝う朝日に照らされて目が覚めた。
隣にいたはずのぬくもりは、ただ冷たく消えていた。夢だったかのように
『本当にありがとうございました。お世話になりました。さようなら 鳴瀬 瑞季』
残されたその手紙はとても無機質で。
どうしてあげたらよかったのだろう。そういう後悔でただ、こころを埋め尽くすしかなかった。
悔しくて、自分のふがいなさで、張り裂けそうな胸の痛みが、涙になって襲ってきた。
「雛崎、準備できたか、次の仕事行くぞ。」
「あっ、いけます、はいっ」
あれから五年。美術系の専門を出て、今は出版社でカメラマンをしている。
彼は上司の林さん。林さんの撮る写真は独特の世界があると会社でも有名だ。
今日は私が初めて、カメラマンとして正式にデビューする日。
「いよいよだな、」
社用車の運転席から投げかけられる期待の言葉に少し緊張が走る
「はい、うまくできるか心配です。」
手に持ったカメラバッグを撫でる。上手く撮れるか、それだけがただ心配だった。もし、被写体となるモデルの期待に応えられなかったらどうしよう。とか
そういうことだ。
「そんなに堅くなるな。おまえなら大丈夫だ。今までの作品や行動を見てても分かる。」
そう、優しく励ましてくれた。こわばった心が解けていくのを感じた。
「ありがとうございます。先輩に言われるとなんか自信持てます。」
「それなら良かった。」
そういって、林さんはふっと笑った。
「そういえば今日は、新人モデルの方の撮影なんですよね。」
「ああ、なまえ、何だっけかな。忘れちまったな。でもすごい、美人らしいな話によると」
「え、そうなんですか?もしかして先輩わんちゃん狙ってます?笑」
しょうもない振りをすると
「おまえマジここで下車させんぞ」
とカマを掛けてきた。
「いやですやめてください笑」
そんな生産性のない会話をしているうちに、撮影スタジオに到着した。車を降りて入り口に向かう。
今日は都内の一角にある、有名な撮影スタジオで撮影は行われる。初めて来たけど、結構大きい、外装は普通のビルみたいな感じ。
手にかいた汗をぎゅっと握った。
入り口を入るとそこは受付になっていた。
「おつかれさまです。○○出版の林と申します。」
「同じく○○出版の雛崎です。本日はよろしくお願い致します。」
受付を済ませると今日の会場である四階スタジオに足を運んだ。
ドクドクと早まる鼓動が、うるさい。モデルの人怖い人じゃないといいな。ああああ、こわー
脳内会議の開始だ。
エレベーターが四階を指す。開くドアが世界を誘う。
「あ、おつかれさまです。○○出版のカメラマンさんはいります。」
誘導の現場アシスタントが声を上げる。それとほぼ同時
「○○さんいいよー!」
機材を動かす音でよく聞き取れない。
斜め右奥のセットに腰掛ける、白いスーツのモデル。その白は元々持った色白の肌にいい意味で一体化している。白い照明が、オレンジのアイシャドウ、その肌、黒くて綺麗に揃えられたショートの髪全てに引き込まれる。中性的な雰囲気が、とても美しかった。今までいろんな撮影現場を見てきたけどそのどこにも当てはまらない個性と唯一無二の存在感を感じて、鳥肌が立った。
「すごい…」
そう言葉がつい出てしまうほどに。
これが、カリスマって言うんだって思った。
吸い込まれるような、綺麗な目。見とれてしまうほどに。
するといったん撮影の区切りがついたのか、アシスタントと共にモデルがこちらに向かってきた。
近づいてくる度に、なぜか頭が回転する。
なぜ。それはただ、綺麗すぎるからだろうか。
ぼーっと考える。
と
「…い、おい、雛崎、挨拶っ」
現実に引き戻された。
直ぐ目の前には、私より背の高い綺麗なその人がいた。
テンパる。
「あっ、す、すみません。新しくカメラマンとして今日撮影させて頂きます。雛崎つむぎです。一生懸命頑張ります。よろしくお願いします。」
深い会釈の後、その綺麗な目とリンクした気がした。
少し驚いた目、疑問に思った。
でも次な瞬間、ふっと、満面の笑みを浮かべて
「今日お世話になります。鳴瀬瑞季です。」
それはどこかで見たことのある。聞いたことのある。響きだった。
次の瞬間、あの日見た、手書きの手紙と、リンクした。
一気にこみ上げる。
彼女は続ける
「つむぎちゃん」
まっすぐな瞳は、あの日と一緒だった。五年前の記憶がただエンドロールのように流れてくる。押し寄せてくる。全部の感情が、一気に、押し込めた感情が一気にわたしを支配したんだ。
ああ、やっと、
これは涙だ。仕切りのないあの日の土砂降りの雨のように流れるのは想いの結晶だった。
ねえ、
「瑞季ちゃん、やっと会えた。」
-撮影後聞いた話で、結局瑞季ちゃんが突き飛ばした相手は生きていたことが判明した。けがをしている事実はあったものの、相手が自分の非を認めて逆に謝罪をしたらしい。それを聞いて心底安堵した。
きっと私達は、それぞれの環境から自分の認められる世界に羨望を抱いたのだと思う。それが都会でも田舎でも、きっとありのままの自分を認めてくれる世界を憧憬に見て、彷徨い続けるのだ。
「--5月号 表紙 モデル:鳴瀬瑞季 カメラマン:雛崎つむぎ」
撮影コメント:---夢に見た景色だって思いました。---
あとがき
小説にこういうシーン入れたいっていう憧憬が多すぎて、収集つかない曖昧な作品になってしまいました。今回も駄作ですみません。
今回紹介した主人公のプレイリストにある曲ですが、「R sound design」様の「エイトリアム」・「Last Blue」と言う曲を元にしております。是非聞いてみてください。
憧憬 佐倉きつめ @kitsume-sakura
★で称える
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