時計仕掛けのオレンジ 渡る世間は詐欺(師)ばかり  V.5.1

@MasatoHiraguri

第1話 はじめに

  還暦を迎え、これが最後という気持ちで行った欧州旅行で、不思議な女の子に出会いました。

また、この旅行に於けるさまざまな人たちとの奇遇や見聞から、「ヨーロッパの(キリスト教社会)の方が、今の外来種偽日本人による我が国より、よほど嘘のないストレートな社会」のような気がしました。

  ドイツのある町の(ゲストハウス:簡便で安価な宿泊施設)に一泊し、翌朝7時半に出立して8時のバス(ヴェネツィア行き)に乗りました。

バスは2階建てで、1階は満席でしたので2階に上がると。数メートル先に座っている女の子がこちらに向かって手を振り「オーイ、ハポネス !」なんて叫んでいる。ハポネストとはスペイン語で日本人のことです。私はてっきり自分の後ろに別の日本人がいるのかと思い、後ろを振り返りましたが誰もいない。

すると、その娘は「お前だ、お前。こっちへ来い。」なんて、私を指さして言う。私が怪訝な顔つきでしかし、可愛い女の子に指名されたので内心ウキウキしながら近づくと、彼女は自分が窓側へより、「ここだ、ここだ。」と通路側の席を指さします。朝っぱらから、いきなり美女と相席なんて「こいつぁ春から縁起がいいわい(三人吉三廓初買)」の気分です(2月中旬)。

「わたしはチリ人(南米)なの。あなたは夕べ○○というゲストハウスに泊まっていたでしょう。わたしもいて、あなたが日本人だとわかったわ。だから、あなたがバスの階段を上ってきた時、すぐに気づいたの。」なんて、嬉しいことを言ってくれる。

女の子から声をかけられたという以上に、中国や韓国といったアジア人を含む様々な国の若者が何十人も「たむろ」するヨーロッパのゲストハウスで、一目で「日本人」と認識してくれたことに、なによりも嬉しくなりました。

人間、なんと言ってもidentity。政府の押しつけるIDなんて、子供のおもちゃのようなもの。「オレは日本人であるという自分の意識」と「お前は日本人だという他人の認識」が一致することで得られる「自己同一性(identityの一致)」に優る歓びはありません。金を持っているとか格好や肩書きで日本人、ではないのです。

たまに行く八百屋の爺さんは、私を見て「おお、フーテンの寅さんが来たで」なんて言う。私が「渥美清は韓国人ですよ。」と言うと、「ええやないか、映画では日本人や。」と言われて複雑な気持ち。

因みに、わたしは海外で注意するのは「韓国人の男(たち)とは付き合わない」ということ。 ニンニク臭いとかそういうことではなく、彼らは基本的に「カメレオン的性質」。 ですから、彼らと一緒にいると、彼らの同化作用によって、私という存在までもが曖昧になる・薄められるような気がするのです。

中国人というのは、オレは中国人だ、という強烈な自意識由来の、濃くて大きい存在感があるので、自然と彼と我の境界が明確になり、正しい意見交換・意思疎通ができる。しかし、韓国人というのは、口だけは韓国人ですが「本当に自分が韓国人である」と、真に感じても・考えても・信じてもいない。

  (10年近く前、「韓国の若者の6割が海外移住を希望」という調査結果がネットに出ていました。それを台湾の語学学校に通う女の子に話すと、「100%よ」よ真面目な顔で言われました。愛国心なんてない。みんな韓国という国から出たがっているんだそうです。)

大韓民国という国ができたのは1948年です。

かつて、アメリカのケネディ大統領は「300年程度の歴史では、アメリカ人はアメリカ人になり切っていない。本当に血が混ざる・アメリカ人という意識が明確になるには1000年かかる。」と言ったそうです。

ケネディはアイリッシュ(アイルランド系)ですが、アイリッシュという民族・人種は、アメリカでは最も自分たちの民族意識の高い人種であり、彼らの長い歴史によって血が熟れている(混ざりきっている)ので、(私の経験からすると)一般のアメリカ人に比べ、格段に精神的に安定している。

特に、アイリッシュの女性は(昔の)日本女性に極めて近い、という感じを受けます。「私はアイリッシュよ」という強い自覚を自然に持ちながら、その故に謙虚で控えめ、安定しているので、周囲の人と上手くやっていける。アメリカ人というロボット的な人間に必須のマニュアル不要の、完成された人格を持っています。

韓国人という「精神的に血の薄い人間」は、在来種純粋日本人やアイリッシュのような濃い人間に混じりたがる。彼ら自身のidentityが希薄なために、いつでも他人になりすまして「本来の自分から逃げようと」している。「他人に成りすましていれば」失敗しても恥ずかしくない、という擬似的な安心感を求めているかのようだ。

そんな彼らとは「赤と黒」と、明確に自分の思想信条・習慣文化を区分しながらその上で互いに融合する、という相互の働きかけ・付き合いができないのです。

最近、高校ラグビー界で朝鮮学校(北朝鮮人)が強くなっているということですが、ああいう「オレは朝鮮人だ」と、明確に自分たちを区分して100パーセント日本人ばかりの世界(高校選手権大会)に挑んでくるというのは、強い弱いは別にして、それだけでスッキリとした清々しさを感じます。

移民大国を目指すというおかしな今の日本の政策ですが、やがて、在日ベトナム人高校生、在日クルド人高校生のチームがひしめき合うというのは、かえって愉快かもしれません。


  大学日本拳法でも、(大学から始めた)1年生の頃はどこの誰だかわからない・はっきりしない拳法をしていても、2・3・4年生となるうちに、輪郭がくっきりとした、その人の・その学校の拳法という「味わい」が出てくる。


  関西の場合は3歳とかの頃からやっている人が多いので、そういう方は、大学で日本拳法を卒業しても、声や姿だけでその存在感がにじみ出ている。

  男でも女でも少し接すれば(話をすれば)、彼らの眼付・顔つき・表情・声・話しぶりから、その明確な「違い」が、違和感ではなく親和感となる。

  そんな人を、女性も含め何人か記憶していますが、これこそ素の人間(在来種日本人)として生きたいという私にとっての、一つの貴重な証(マイルストーン)といえるのです。

2024年2月21日

V.1.1

平栗雅人

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