木彫りの像

荒川 長石

I

 男は大学卒業とともに小さな事務所に就職したが長くは続かず、その後もいろいろな会社を転々とした。ある小さな出版社で働いていた時、そこでデザイナーをしていた女と結婚した。男はそれまで母親と住んでいた青山のマンションを出て、やはり都心にあるアパートの部屋を借りて夫婦で暮らし始めた。その後も男は何度か職場を変えたが、どの職場も自分の住んでいる場所から二十分以内で行ける場所にあった。

 男の趣味はオーディオだった。あるとき男はスピーカーを自作することを思い立った。パソコンで設計図を描き、ハンズで木の板を寸法通りに切り穴も開けたものを買ってきて、ボンドで張り合わせた。角にはカンナとやすりをかけて丸みを持たせた。砥の粉を塗り、最後は弦楽器にも使われるというセラックニスで仕上げた。

 スピーカーの足にしようと思って買ってきた木材が余ったのを見た男は、なぜかそれで木彫りの像を作ろうとおもいたった。のこぎりで切り込みを入れてだいたいの形をつくり、あとは小さな彫刻刀で少しずつ時間をかけて削った。大人になってから彫刻を作るのはそれが初めてだったが、やり始めると夢中になった。できあがったのは直線的な輪郭からなる素朴かつどこか未来的な像だった。どこか自分に似ているような気もした。ちょうどその像が完成したころ、それまで勤めていた会社がつぶれた。男は新宿駅南口の通路に面した旅行代理店に転職した。

 男はそこで客への対応や事務と同時に、店に掲げるポスターやパンフレットの作成も担当した。デザイナーの妻からソフトの使い方は習って知っていたが、店ではその高価なソフトを買ってもらえなかったので、家のパソコンでデザインを仕上げ、店で印刷した。それでも店にある安いプリンターではきれいな色は出なかった。

 男の父はかつて浅草で土産物屋をしていた。店で売る土産物を作る工場は埼玉にあった。男は何度かその工場で経理の手伝いをさせられたことがあった。学生の時に一度、それからその後にも何度か。しかし男は店の経営にも経理にも興味が持てなかった。工場に行くのは嫌でたまらなかった。社長の息子だからと特別待遇を受けるのも嫌だし、またそういった態度の裏には隠された妬みや憎しみがあるような気もした。父が死んだ時、男は母の反対を押し切って店の経営権を叔父に売った。今ではその叔父の息子が店を経営している。

 数年前、男の母親がガンにかかった。手術のあとしばらくは経過は順調だったが最近になってまた転移が見つかった。母はいま死につつあった。もし母が亡くなれば、青山のマンションと、かなりの額の金融資産が男に相続されるはずだった。男は母の回復を願いながらも、母が亡くなったあとのことも考えずにはいられなかった。夫婦の間には子供はなかったので、母の遺産は彼ら二人が一生働かずに暮らしていくのに十分なはずだった。

 ある日、男は木彫りの像を店に持っていった。男はそれを奥の応接室のテーブルに置いた。それは中国の扇子やオーストラリアのボアブの実の間に何の違和感もなく紛れ込んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る