【青年とGORIATH】
7月11日の夕陽は、あのときと同じ夕陽だった。
「お疲れ様だな。今日は一段と輝かしい活躍だった」
「隊長は食べないんですか?」
「もうさっき食べた」
エンベルは早朝ぶりの食事を補給していた。今日の日中はちょうど一戦を交えたところで、無事に新フィリスフィア人が勝利を収めた。
彼、エンベルの活躍によって。
「というか、よく間に合いましたね。あの大きいやつ」
「一秒でも早く完成させる、のが目的だ。逆にあれが間に合えば、当分フィリスフィアの未来は保証される。そのための兵器だ」
するとエンベルは立ち上がり、隊長の側を離れた。
「どこへ行くんだ?」
「手伝ってきます」
「嘘だろ......一日動いてたんだ、休めるときに休んでおくんだよ!」
「大丈夫でーす!」
エンベルの野心は必ずしも、戦いに向いているわけではなかった。
親愛の人エンベル、彼の暖かな心は常に他人を支えるところにあった。人がするよりも自分がしたほうが、誰かが幸せになるかもしれない。彼の目指す”肩代わり”は、その実力も相まって、彼が親愛の人たる理由を構成していた。
「この荷物はどこまで?」
「海岸の資料室までだ」
「資料室ですね。それにしてもあそこ、よく残ってましたね」
「そうだな、もう過去について描かれたモノなんてほとんど無くなったと思っていたが...まあ、実際ほぼ空っぽさ。あったのは名前だけだ」
「名前って?」
「お前さんが乗ってたあのデカいやつだよ。あと一緒に、コガネムシの形もな」
「ああ、あのシンボルってコガネムシ...」
遠くで小さく、かきんと金属がなった。
それから遅れて警報が飛んでくる。
「夜襲か? エンベルは行かなくていいのか?」
「行ってきます。一人で運べますか?」
「もちろん」
「じゃあ、行ってきます」
「来たなエンベル」
「はい」
指示を待たず、滑り込むように足を掛ける。
膝をついたような状態で待機しているそれは、ちょうど人間一人がマトリョシカのような構造で乗り込めるようになっている。
搭乗が終わると、背中側のハッチが閉まり、頭部のシャッターが降りる。青銅色の鎧の両肩には、コガネムシ科のシンボルが光る。
フィリスフィア人の開発した戦略兵器、終末の導入をも許さない偉大の化身。
海岸の資料室に唯一残っていたものから名づけられたその鎧の名前は、GORIATH。
今朝以来、二度目の戦線投入である。
『いいかエンベル、相手は一人ずつだ。一人ずつ倒していけ』
シェケムの軍勢を待ち受けるようにして仁王立つ巨体。相手は地平線に遍く機体を煌めかせ、夜の空間にちらちらと輝いている。
その様子を先頭で見ていたエンベルは、通信部隊の連絡を待っていた。
合図が来れば作戦が始まる。この戦いは一か八か、このエンベルの腕にかかっている。
いや、それはこの戦いだけではなく、これから長く続いていく戦いでの話。
戦の体躯GORIATHの力を発揮するときが来た。
『行け』
「シェケムの民の軍勢に告げる。これは今一度の宣戦布告である。我々はエーゲ海への撤退は端から考慮していない。我々の眼前にはもう勝利のみが君臨している。このGORIATHの存在がそれを証明している」
一度呼吸を置く。シェケムの軍勢も足を止めている。
「今朝の戦闘で、GORIATHの威力は身をもって知っただろう。陸海空の全てを我が物とし、遍く戦闘兵器を防ぎ、どんな戦車よりも早く、あらゆる砲撃をも凌駕する火力。仮にそちらが戦術兵器を使おうとも、今朝の偵察機や爆撃機の有り様では、弾頭を迎撃されずに目的地へ届けることさえ出来ないだろう。故に、我々フィリスフィア人の勝利は既に必定である。そこで我々は、シェケムの軍勢に対して”一騎打ち”の勝負を挑むこととする。これは慈悲である。もしも一騎打ちにおいてこのGORIATHに勝てる兵士、兵器があるのであれば、我々は敗北を認め、聖地の所有権がシェケムの民族にあることを認める」
なぜ新フィリスフィア人はわざわざ戦いにリスクをつけたのか。それには、このGORIATHに”聖地奪還の象徴”という付加価値を認めさせることに目的があった。
このGORIATHの存在は、聖地がフィリスフィア人の所有...GORIATHの庇護下にあるものという”認識”を生む。永遠の所有を保証し、永き聖戦に終止符を打つことが出来る。
偉大の象徴であるGORIATHの象徴性こそ、この聖戦の目的であった。
「ならば私が戦おう。私の名前はアベル、第二歩兵中隊の隊長である」
シェケムの軍勢から歓声が上がった。槍の名手であったアベルは、カフトルの聖戦でも多くの功績を残し、王の命を受けてこの戦いの指揮官となった。
GORIATHが一歩動く。青銅で覆われた巨体の足が地面に沈むと、その振動は遠く離れたアベルの元まで届いた。
鎧の節々から排熱の熱風が吹く。
「フィリスフィアの巨人よ、我が槍の餌食となれ!」
このとき、シェケムの軍勢に対してGORIATHの性能は、今朝の一件の噂程度でしか周知されていなかった。
だからこそ威勢よく、彼のような勇者が立ち上がった。
だが実際、彼の技量は”偉大さ”の前には無力であった。そもそも一本の槍程度ではGORIATHの装甲を貫けるはずもない。逆に、先端の重さだけで10kg近いGORIATHの槍は、例え身の丈ほどの盾を持っていようが、受けた形に関わらず、物体を粉々に粉砕してしまえた。
GORIATHの真価を小出しにすることで敵軍を情報を与えず、ただ確実に”敗北”という認識だけを刻み重ねていく。それが今のフィリスフィア人の戦略であった。
英雄アベルとの戦いは、数分と掛からずに終わった。槍に突き穿たれた英雄の体は、衝撃で骨格を失っていた。
「お前たちが信じた神の加護とはこの程度のものか。もしも真に神に恵まれし戦士であるのならば、私に一度でも勝利を収めてみせよ。そうでもしなければ、其が神の存在は”贋作”であるぞ」
結局、指揮官を失ったシェケムの軍勢は撤退を余儀なくされた。
この夜戦も勝利だった。
エンベルは毎朝毎夕戦いに駆り出された。当然、一度も敗北したことはなかった。
そんな戦いに明け暮れる青年にも、刹那的でかけがえのない青春があった。戦いから戻って夜戦が始まるまで、このGORIATHの名前が発見された資料室に向かうことが多かった。
「おかえり、エンベル!」
エンベルと同じ青色の瞳に、美しい褐色の肌。焦げた茶色の長い髪を低く結んでいる、爛漫な少女の姿を見るために、エンベルはこの資料室に帰ってくる。
「何か見つかったか?」
「いいえ...他に手伝ってくれる人もいないし」
「あれ、ジャンおじさんは?」
「最近は専ら軍隊の仕事で帰ってこないの。昔のことを調べるの、絶対大事だと思うんだけど...」
腕を組んでよそに目を向ける少女の姿とエンベルには重なるところがある。
既にこの時代、資料という資料は焼き払われていた。それはカフトルの聖戦によるものも大きかったが、何よりその国民性がそうであった。
「神様は信じるのに、昔話は信じないなんて...どうかしてる!」
「それもそうだね」
「だからいつか、この国に本をたくさん集めて、みんなが読める場所を作ろうと思ってるんだ。だけどこんな戦争中じゃ本なんか集まんないし...」
この国唯一の資料室が所蔵している本は、たったの12冊。どれも掘り出し物である。
「エンベルも戦わないで、一緒に本集めてよ」
「それは出来ないよ」
「だって、もう戦争は勝てそうなんでしょ? 逆にエンベルが負けたら大変なことになるんでしょ? GORIATHなんて、他の誰かが乗ればいいのよ!」
「僕が戦う理由は戦うことじゃない」
「復讐?」
「僕は友人たちの死の意味を探しに行く。だから戦いを捨てない。この戦争の勝敗は、失われた命の価値には関係ない。負けた国の死者が弔われないなんていうのはおかしい」
「それはそうよ」
「だから、死者への巡礼の旅との意味を込めて戦うんだ。フィリスフィア人の勝利のためではなくて、シェケムの民の敗北のためでもなくて、聖戦を永遠に閉ざす、唯そのためのGORIATHだ。GORIATHをそのために使える人間は、きっと僕だけだ」
エンベルは静かに続ける。
「GORIATHはきっと平和の象徴として、そしてもっとすれば負の遺産として人の中に残り続ける。それでも”聖地にGORIATHがある”、それが抑止力になるのであれば...」
「でもそれは正しくないわ。だって、GORIATHへの恐怖が新しい戦争を生むもの」
「そうかもしれない。だけどこれは、僕自身の死者への巡礼だ。遠い未来の出来事は、人間が背負うには大きすぎる。僕が戦う理由は、僕に答えを与えるためだけのものだよ」
「......でもきっと、歴史があれば結果は変わる」
「そうかもしれない。だから、本を集めるのは君だ、アスリ」
青色の瞳が輝く。
「人類は遠い昔に叡智を捨ててしまった。戦うのに貴さなど必要なかったから。今日で40日も戦い続けたことになるけど、そこには知性の欠片もなかった」
「それはきっと、どこでも同じだわ。この資料室の窓から見えるエーゲ海の美しさと同じくらい、変わらない事実」
「でも、エーゲ海の美しさを知る人間は少ないから。自分たちの愚行に終止符を打てる人間を、僕たちは全員探しているんだよ」
エーゲ海に堕ちる夕陽をゆっくり見たのは、あのキャンプのとき以来だろうか。
「いつだって別れは突然だ。僕と君だって、この資料室とだって」
このとき、エンベルは既に軍の招集に気づいていた。それでも彼が資料室の扉を開けなかったのは、窓枠から映るエーゲ海に堕ちる夕陽が本当に美しかったからだ、と言われている。
そしてそれは、エンベルが本当に愛していたものと双肩するほどに、彼の記憶に焼き付いていた。
「遅れました」
「その通りだ、シェケムの民の騎兵隊がすぐそこまで来ている。いずれにせよ、GORIATHを使えば...」
「隊長」
「どうした?」
「資料室に本を寄贈してはいかがですか?」
「本など持っていない。いつ以来だろうな、最後に読んだのは...」
「......分かりました」
膝をついていたGORIATHがゆっくりと立ち上がると同時、背中のハッチと顔面のシャッターが閉まる。前線へと急行する。
遅れてしまったぶん、シェケムの民の前線は上がりに上がっていた。
しかしそこにGORIATHが登場するとなれば、足を止めざるを得ない。
「さあ、今日の相手は誰だ。それとも、早々に戦を諦め、野に帰るがいい」
エルバンの声に応じるよりも先に、一人の青年が前に出でいた。
彼は今までの誰よりも軽装であった。鎧をまとわず、武器すら持っていなかった。
エルバンは内心で焦った。ついにシェケムの民にも兵力が尽きたか。しかし周りを見れば、歩兵騎兵はまだまだ残っている。どうしてわざわざ半裸の男を差し出してきたのか。
「巨兵GORIATHよ。私はお前と違って武器を持っていない。しかし私には、お前が40日もの間嘲り続けた神の力がついている。これが、聖戦であることを忘れたか!」
エルバンはまだ考えていた。彼が何者なのか。そしてそれよりももっと大きく、”戦いとは何か”を思い出そうとしていた。
それはずっと昔、エルバンがまだ生まれるより前にあったはずの人類の記憶。
青年は身を翻した。彼はずっと、GORIATHからそこに隠していたものを遮るように立っていたのだ。彼の背後には、数十センチ長の砲身が隠れていた。
だが、現代兵器の砲撃程度で傷つくGORIATHではない。エルバンはまだ若干の疑念を抱いたまま、青年へと向かっていく。数メートルの槍が巨体と共に彼へと突撃する。
かつん。
このとき、エルバンはまだこれが何の異音だったかを認識できていなかった。
磁鉄鉱、と呼ばれるものだった。
「何?」
先に睨んだのは隊長のほうだった。青年がGORIATHに向かってひとかけの磁鉄鉱を投げつけた様子を見ていて、そのやけな戦い方に味方と目を合わせようとしたそのときのこと。
ちょうど彼らが目を見合わせたタイミングで、夜明けがやってきた。
大地から巻き上がる虹色の光。町の東側から、聖なる夜明けがやってきた。
それはちょうど、資料室の逆側の窓からも見えた。空を通過して西へと向かっていく真っすぐな光。星の灯りも月の灯りも消し去った、一筋の太陽が現れた。
戦場では加えて、凄まじい高音が鳴り響いていた。金属板を糸鋸で無理に切り裂こうとしているときの、不愉快で不気味な金属音だった。
その鳴りどころがどこか。太陽を睨むようにして麓に注視すると、その色彩の閃光は確かにGORIATHを打ち抜いているように見えた。
異音は数分も続いた。それが終わるまで、新フィリスフィア人もシェケムの民も、一歩もその場を動けなかった。
ただ一人、あの青年がGORIATHの首筋に刃を立てたのを除いて。
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