午前3時

伊藤ゆうき

彼女と喧嘩した日

こんな時間に目が覚めたのは、きっと寝る二時間前に電話であいつに言われた一言のせいだろう。

「もういい。」

しかし、よく言われるからなんてことはない。と思っているが、蓄積されたその言葉が積もり積もり、頭の中のゴミ箱的な容器から溢れ出し、溢れたそれが憲法を記憶から消された犯罪者のように暴れだし、脳を飛び越え体を揺らし、揺れた体が脳を起こした。

こんな時間に目を覚ましたのはそんなもののせいな気がする。

「女の気持ちが分かってない。」

さっきの言葉の次に溢れそうな言葉だ。

言われた数と同じだけ決まった言葉を心の中でつぶやいてきた。

「分かるわけ無い。男なんだから。」

これはあいつから発せられる一言の後にオートで出てくる心の声。しかし、心の声とは裏腹に、毎回同じ言葉が口から出ていく。


「ごめん。」


今は布団の中、頭の中であいつの声が同じ言葉を繰り返す。

「もういい。女の気持ちが分かってない。もういい。女の気持ちがわかってない・・・。」

胸から込み上げ逆流する、不満を持った血液が、脳みそを、失敗した作文用紙のように勢い良くくしゃくしゃにしたところで意思とは関係なく、僕は今までにないほど腹筋を最速で使い起き上がった。かゆくはないのに、頭を思いっきり掻きむしり、息を吐いてから見た時計は朝の3時。

これからどうするか。

寝るか、起きているのか。そもそも寝られるのか。もともと明日はあいつと会う約束で居たが昨日の電話の内容できっとそれも無くなったような感じだった。

30分ふとんの中で考えた後、残されている選択肢が一つだけになったところでふとんから出た。

昨日飲み残したワインをマグカップに注いだ後、パソコンの電源をつけ、何もせずに放って置く。

出口はあるんだろうか。考える内容は、あいつから出る女の気持ち。

 彼女から発せられた何気ない会話の中の言葉を一つ一つ集め、彼女の立場から気持ちや感情の種類を理解しようと一生懸命シュミレーションした。いつもは「分かるわけがない」という一言で幕を閉じるテーマだが今日は違った。あいつを、この問題で不快にさせるのは今回でおしまいにしたかった。

しかし15分ほど考えたところで頭の中がごちゃごちゃになり収集がつかなくなって諦めた。小3のときに姉の大切にしていたカセットテープの中を面白がって引き出し続け、戻さないと怒られることに気付き、伸びまくって絡んだテープをいくらがんばっても戻せなくて渋々諦めたときと今の気持ちは似ていた。

マグカップを持ち、幅50センチほどのベランダに出ると表の通りでは規則的に並んだ街灯と、それと同じだけの明るさの月が、同じ役割を持って浮かんでいる。

マグカップに入っているものを飲み干したところで、ワインのボトルを部屋に忘れてきたことに気付く。この時間で全て飲んでしまうつもりだから、取りに行き、また同じところへ戻ってきた。

記憶を無くしてベッドに倒れこむか、何かしらの答えをどこからか見つけて、それにより平和な心を取り戻し、静かに眠るかの、僕はどちらかを得るつもりだった。

今頃あいつはぐっすり寝ているに違いない。身勝手な脳みそがそう考えると僕の意思を無視し、何枚かの寝顔映像を作り上げ僕に見せてくる。それは僕の心拍数を上げ、不快な気持ちを与える他には何もない。マグカップに入ったものを半分ほど飲み、早くアルコールが回ることを願った。

ため息と同じ数だけマグカップに口をつけ、そのあとつぶやく。

「どうすればいいんだよ。そんなこと言ったって。」

彼女から言われ続け、溢れた言葉がまだ頭の中で繰り返している。ため息、口をつけ、つぶやく。空になれば又ワインを注ぎ、また口をつける。そうだ。思い出した。キッチンの一番下の引き出しに半年前にやめたタバコの残りが入ってたはずだ。それを取りにいき、ライターが見当たらなかったのでコンロで火をつけた。ベランダに戻り思いっきり煙を吐く。久しぶりの煙を喉と肺で味わい、吐き出された煙を消えるまで目で追った。そういえばやめた理由も彼女だった。思い出せば悔しさとふがいなさが込み上げ、手すりの淵でタバコをもみ消した。マグカップを持ち、口をつけ逆さにし、全て飲み込むと、隣にあるボトルも同じように口をつけ逆さにして空にした。やりたいことが決まった。それが終わった後、心に平和が戻るとは思わないが、なぜか今やらなければ自分が弱くなっていく気がしたのだ。

ゴミ箱を部屋の真ん中に置き、彼女のもの、彼女が置き忘れていったもの、プレゼント、お土産、一緒に買ったもの。その他、彼女が関わっているものを全て入れていった。部屋をくまなく探す。見つければ投げ入れた。もうないことを確認し、パンパンになったゴミ箱を見るとそこだけが重力が違うように見える。頭に血が昇り、息が上がっている。頭を掻きむしったところで自分でも驚くような低い声が出た。気付いたときには前にあるゴミ箱をサッカーのPKの様に蹴飛ばしていた。中身が勢い良く飛び、部屋の一面にそれが広がった。それをただボーーっとみている時間が、5秒だったのか5分だったのかは分からない。彼女との全てが崩れ、なくなった。僕は君の言う通りにはならないし、僕たちの関係の主導権がそっちにあるわけでもない。僕がその気になれば、君との全てを蹴飛ばせるのだ。

そのあとの行動は理屈じゃなかった。あえて例えるなら火事だから逃げた。そんなもののようだったと思う。

すぐにテーブルの上にある給料の残りを掴み部屋を飛び出した。自転車に飛び乗り立ち漕ぎで走り出す。空が白くなり始めている。息がもう上がっている。自転車のチェーンがギシギシと音を立てている。革靴を履いて出てきてしまった。寝巻きのスウェットとは合ってない。

40分かけて市場に向かった。市場と言っても花の市場だ。無理なお願いかと思っていたが難なく引き受けてもらえた。また自転車にまたがり、次はある弁当屋。そこも用事が済んだら次へ急ぐ。本屋、CDショップ、コンビニ、アクセサリーショップ、靴屋、あるメーカーのアパレルショップ、有名なケーキ屋、ワインショップ。店から出て行くごとに増えていく荷物。自転車のカゴはもちろん、ハンドルにも、買ったものが入った袋が左右に暖簾のようにいくつもぶら下がる。汗をかくシーズンではないが、Tシャツは汗でびしょびしょだ。夜明けから走り続けたが、全てのものを手に入れたらもう11時を回っていた。後は最終目的地に行くだけ。全てのアイテムを手に入れた勇者がボスのところへ向かうのだ。

あともう少しというところで雨が強く降ってきた。そう言えば予報で雨といってたっけ。別に問題はない。濡れたって別にかまうもんか。僕は更にスピードを上げていく。50メートルほどの上り坂だって大丈夫。近道の階段も自転車を担いで登った。いつからか僕は強気になっていた。最終目的地のアパートに着いた僕は、自転車を止め、荷物を全て持ち、迷うことなく彼女の部屋の前まで走った。途中、手に持つたくさんの買い物袋が壁や立てかけてある誰かの自転車や階段の手すりにぶつかった。ドアの前に着いた時には息は切れ、雨のせいで髪の毛はもちろん靴の中までびしょびしょになっていた。

インターフォンを押して彼女が出て来るまでに息を整える。3回目のインターフォンを押そうとしたところでそっとドアが開いた。



「え?ヒデ。どうしたの?びしょびしょじゃない。」


「・・・・。」


「ヒデ?」


「・・・。女の気持ちなんて分からない。俺は男なんだから。分かるわけがない。それはこれからも、ずっとそう。俺はそういうやつなんだ。意見は聞く。けども理想のオーダーメイドにはなれない。だけど俺は・・・。ミカの好きなもの、たくさん知ってる。池上の弁当屋のから揚げ弁当にオーロラの写真集、パフィーのDVD、ディズニーランドのチケット、ムーンストーンのネックレス、エアフォースワン、トミーのシャツ、キルフェボンのチーズケーキにカッツのワイン、それにこれ・・・、カスミソウを主役にブーケを作ってもらった・・・。全部びしょびしょに濡れてるけど、雨も好きだろ。」

僕が言い終わると、涙がこぼれた。ミカではなく僕の目から。ミカは笑うと僕の頭を撫でる。そこで緊張の糸が切れたのか、走り続け疲れたからなのか、手にある荷物と膝が落ちた。操り人形の糸が切れたように。膝を曲げたミカの顔が目の前にあった。



「ヒデ、汗くさい。それに、少しお酒くさい。入って。体拭かないと風引くよ。」



「ああ。ごめん。」

「こんなに私の好きな物買ってきて、どうしたの?」


「ああ、ごめん。」


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午前3時 伊藤ゆうき @tainohimono

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