真夏の果実

夏香

真夏の果実

 八月の太陽が容赦なく照りつける昼下がり、祐一ゆういちは自転車をいで空港のレストランへ向かっていた。二時までにレストランへおしぼりを配達する約束だったのだ。

滝のように流れる汗をき、レストランに入ってゆくと、ウェートレス姿の美咲みさきが待っていた。

「遅いじゃんッ! もう三時半だよッ!」

 美咲がテーブルを拭きながら言った。祐一は、ワリイワリイと手を顔の前で合わせた。これからまだ島の観光ホテルにバスタオルを配達しなきゃならないと言い、祐一はまた慌てて自転車を漕いでいった。

「うちにも、おしぼり忘れないでよッ!」

 美咲が、祐一の後ろ姿に向かって叫んだ。美咲の家は、この八丈島で居酒屋をやっていて、夜は居酒屋で働き、昼間は八丈島空港のレストランでアルバイトをしていた。

 夕方、美咲が一人で居酒屋にいると、祐一がギターを抱えて入ってきた。

「いらっしゃ……なんだ、お客さんかと思った」

 美咲がカウンター越しに言った。祐一は、店の奥の椅子に座り、ギターの弦の調整などをやっている。

「いいかげんにあきらめたら、八丈島出身のロック歌手なんて聞いたことが無いよ。それより家業の洗濯屋さんを継いだらいいのに」

 美咲が呆れた顔で言う。八丈島の高校を卒業して三年。祐一は、家業のリネン業を手伝いながら、いつか大物のロック歌手になるという夢をもっていた。

 美咲は祐一の幼なじみでありクラスメイトだった。祐一は、美咲の家が居酒屋をやっているので彼女に頼み、たまに店で歌を歌わせてもらっているのだ。

「歌手じゃねえよ、ミュージシャンだよ」祐一が言った。

「どこが違うのよ」

 美咲がカウンターに頬杖ほうづえをついて言う「だいいちロック、ロックていうけど、祐一の歌ってたまに演歌に聞こえるよ」

「女にロックがわかるかよ」

「学校の音楽の授業中、居眠りしてた人に言われたくないわ」

「俺はいつかは世界の矢沢やざわみたいになってやるんだ」

 祐一が天井を見上げ、ガッツポーズで言った。

「世界のヤザワって、誰よ? セカイノオワリなら知ってるけど」

「知らねえのかよッ! 矢沢って言やぁ矢沢永吉やざわえいきちだろうが」

「だから誰よ、それ」

 祐一は、矢沢永吉のカッコよさを、まるでウィキペディアのように解説した。

「そんな中年オヤジの歌手じゃなくて、もっと最近の歌手を目標にしたら」

 美咲はコップを拭きながら、呆れた顔で言った。

「だから女は困るんだよ」

 祐一は言いながら、ギターをジャカジャカジャンと弾いている。

 美咲は、ギターを弾く祐一の横顔を、何気なく見つめた。

 高校のクラスメイトたちは、卒業すると半分は都内の大学へ進学し、やがては島を出てゆく。そして十年後にはほとんどの同級生たちは島を出ていってしまう。この八丈島は羽田から飛行機で三十分程度なので、みんな隣町へいくような感じで気楽に島を離れていってしまうのだ。

 祐一ともいつまでこうしていられるだろうか。そう思うと祐一の下手なロックでも、癒しの音楽のように聞こえてしまう。

「今度、俺、オーディション受けるんだぜ」

 祐一が不意に言った。

「えッ! オーディション……」

 美咲が思わず手を止めた。あまりに突然のことだったので頭の中が白くなる。

「どこで? 都内?」

 祐一が、当たり前だと言った。

「それで? オーディションに合格したら?」

「まだ合格するかどうか分からねえけど、受かったらあっちへ行くよ」

「ふ~ん……いいんじゃない、祐一の……前からの夢だったんだから」

 美咲が作り笑いをしながら言った。

「それで? オーディションはいつなの?」

 祐一は金曜の十時に渋谷で行われ、結果はその日のうちにわかると言った。

「三日後ね、アタシ、送ってあげるよ」美咲が言った。

「見送りなんていらねえよ、女に見送られるなんてロックじゃねえもの」

「バッカみたい、なにわけのわかんないこと言ってるのよ。そんなことより何か歌ってよ」

 祐一は、何が聴きたいかと、美咲に訊いた。。

「う~ん」美咲はちょっと考え「それじゃ、サザンの『真夏の果実』、歌える?」

「なんだよ、矢沢の歌じゃねえのかよ」祐一が顔をしかめた。

「いいから歌ってよ」

 美咲はカウンターを出て、祐一の近くの椅子に座った。

 祐一は、ギターをポロロンと弾き、しかたなく歌い始めた。

 美咲は、店に客が来ないことを願いながら、祐一との二人だけのコンサートを楽しんだ。


 金曜日、八丈島空港に夕方の最終便が滑走路に着陸した。ANAの白い機体は、ゆっくりと誘導路を回り、到着ロビーに乗客を降ろし始めた。

美咲は、空港の到着ロビーで祐一が帰るのを一時間前から待っていた。オーディションの結果を聞くのが、なんとなく怖かった。

 祐一は、いったいどんな顔をして帰ってくるのだろうか。オーディションに受かり笑顔でここにやって来るのか。それとも受からず、ガッカリとした顔をしてくるだろうか。美咲には、どっちの顔も見るのが辛かった。

 祐一がロビーに現れた。祐一はすぐに美咲に気づき、笑顔で手を振っている。まるで母親を見つけた子供のような笑顔だった。美咲はそれを見て、気持ちが沈んだ。

「お帰り、オーディション、どうだった?」

 美咲は精一杯の笑顔を作り、答えはわかってはいたが、あえて訊いた。

『オーディション、受かったぜッ!』

『やっぱりッ! やったじゃんッ!』

『夢がかなったぜっ!』

『おめでとうッ!』

 これが美咲が想像していた会話だった。しかし、祐一の口から出たのは違っていた。

「オーディション……ダメだったよ」

 祐一が笑顔で言った。

「そ、そう……」

 美咲はその後の言葉が出てこなかった。夢を叶えさせてあげたい気持ちと、祐一を引き止めたい気持ちが、胸の中で腕相撲うでずもうしてるみたいだった。

「帰ろうか」

 美咲がポツリと言い、二人は肩を並べて空港を出た。そして二人は、水平線に沈む夕日を見ながら海岸沿いの道路を歩いた。

 祐一は、歩きながら嬉しそうに笑っていた。

「なんか、オーディション落ちてもぜんぜん残念そうじゃないね」

 美咲が祐一を見て言った。

「ああ、ぜんぜん悔しくねえよ」

「どして?」

「さあな」

 祐一は、美咲の顔を見ながら言った。

「やっぱり……好きだからかな」

 二人に照りつける真夏の太陽は、夕陽になっても昼間の熱さを感じさせた。


 THE END

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真夏の果実 夏香 @toto7376

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