5-3 白虎のこと


 翌日、晴れ晴れとした澄んだ空の下、蝶念岳ちょうねんだけをゆく虫屋と狐は、その日もいくつか小虫のたぐいを採集していた。

 葉の裏に隠れていたごくごく小さな、爪程の大きさのタマムシの類に、倒木の中で眠っていたオサムシ達。今日はまだちょうを見かけないが、地面の近くをはらはらと飛んでいたシャクガの類。どれも正確な名前は帰って調べてみないと判らないが、まず珍種と言って良い虫達だろう。ゲンマは昨日の胸騒ぎも忘れて採集に夢中になっていた。


「なんだかちびっちゃい地味な虫ばかりぞ。もっと派手な奴が欲しいぞな~」

「確かにあっと驚くような目玉も欲しい所だが、こいつらも地味なだけにそこらの店で大きく扱っているような類じゃない。つーことは、通な愛好家にも物珍しいって訳だ」


 ま、高く売れるかどうかは別として、標本箪笥に入っていたら意外に思うのは間違いない。昆虫の中で最も美しいものは蝶である。そして勇ましい種と言えばカブトムシやクワガタがある。大体皆、こう言う派手な虫を入口にこの趣味に入って、一通り集め終わると満足してしまうものだが、退屈している愛好家こそ、このような変わり種を新鮮に面白がったりするものだ。ゲンマは小虫どもを薬瓶で締めながら、このままあちこちの山を渡り歩いて、タマムシやオサムシの亜種を集めるのも楽しいかもしれんぞ、とわくわくしている。日乃和ひのわ中の亜種を一つの標本箱に収めたら、それは壮観に違いないのだ。


「水音がする。滝があるぞな!」


 うずまきが耳をぴこぴこさせて言うので、狐龍こりゅうに変じて駆けてゆけば、成程崖の上から激しく水が打ち付けている。辺りに飛んだ飛沫が風に乗って吹き付け、空気を冷まし、それが太陽の光を受けてきらきらと輝くのだ。

 狐の襟巻をつけたゲンマが自然の作り出した眩い光景に目を細めながら近づいてゆくと、不意に水辺で身を起こすものがある。

 それが美しい白虎びゃっこであると気づいた瞬間、ゲンマは息を飲んだが遅い。目が合っていた。


「……こやつ、かなり優れた技の持ち主かもしれぬ。みなぎる気配に隙がないぞな……いわば静謐せいひつの殺気。あまりにも鋭く張り詰めているが為に、あやしの気配が完全にいでいるのだ」


 首元で狐が息を飲む事に、ゲンマの心臓はどっと高鳴る。目の前にいる白虎は、まるで景色の溶け込むかの自然な振る舞いで、一瞬でも目を離せば次には消えて無くなってしまいそうな儚さをまとっていたが、違うのだ。

 こいつは並みの妖異よういでない。それだから自ら息を殺し、いつでも獲物に飛びかかる為にこそ気配を消しているのである。

 気を抜いた次の瞬間、白虎はいつでもゲンマを食い殺す事が出来るに違いない。


「……ほう、人間と狐とはまた……奇妙な組み合せよ」


 白虎の口から洩れたのは、まるで男の声だった。あまりにも静かな口調に、初めゲンマはそれが意味を持つ言葉である事に気づかなかった程だ。

 言葉が通じる相手なのか。

 それだけで少し、ゲンマは安堵している。

 妖異達と言葉を交わす事に、すっかり慣れきっている自分に、改めて気づかされる。


「あんたが刀の白虎かい。ちょっとした噂になっているぜ」

「……ほう、小僧。なかなか肝が据わっていると見えるな」


 白虎はにっと笑みを浮かべて、するり尾を滑らせている。そこにはなるほど、鞘に収まった一本の太刀が巻き付いているのだ。


「これ白虎よ、わがはい達は幻の蝶を探しにこの蝶念岳へやってきたのだ。お主なかなかの使い手と見える。ここで出会ったのもなにかの縁。知っている事があったら教えてほしいぞな」

「幻の蝶だと? ほう、それはたかひひるの事ではあるまいな……それならばほれ、ここに」


 と、白虎は果たしてどこから取り出すのか、不思議の丸い珠を右の手に乗せて見せる。内側から仄かに輝くそれは、たかひひるだ! たかひひるが、光の膜に覆われた珠の中で瞬いているのである。ゲンマが息を飲むと、白虎は静かにその珠を転がしてくる事には驚く。拾い上げて、怪訝に見れば、その眼差しはじっとゲンマ達を見つめているのだ。

 まるで何かを見定めるように。


「くれるって言うのか?」

「……わしは既に三頭のたかひひるを喰らった。生命には皆、器の大きさと言うものがあるのよ。わしの器は三頭の妖力で満たされ、もういっぱいなのだ。これ以上力を注げば、あるいは大切なものまで零れ落ちてゆくばかりであろう。最早たかひひるは無用のもの。お前達にくれてやろう」


 ゲンマは珠を手にぽかんとしてしまう。妖異達は皆、この蝶に秘められた力を求めていると言うのに、出会ったばかりの人間に譲ってくれるなんて、あんまり都合が良すぎないか? 

 ゲンマが躊躇ためらっていると、狐が首元からにゅるんと胴を伸ばして、蝶の珠を突いて割ると、あっという間に瓶詰にして尾の中に隠してしまった。


「ふむ、己が力量を冷静に見極めるお主、ますますただ者ではなさそうぞな。さては名のある大妖怪であったか……はて、わがはいの記憶にはないが、ここ数百年で力をつけたものと見える。力を極め、次には技を極めんとする最中さなかであろうか」

「ほう、わかるか。わしは修行の途中この山へ立ち寄ったのよ。静かで清らな空気が体に合ってな……時折人の来る気配がしておったが、ふん。さして気にも留めなんだ」

「わがはいは白牙辰びゃくがしん螺旋狐うずまきぎつねと言う者ぞ! こいつは玉匣たまくしげゲンマといって、わがはいの子分なのだ」


 うずまきの言う事に、白虎がぴくりと眉を動かす。

 ゲンマは得体の知れない不安を感じ、手のひらに汗をかいている。


「わしは名を持たぬ。ただ、この刀を帯びた時から、戦刃白虎せんじんびゃっこと呼ぶ者もあるようだ。しかし……ほう! 白牙辰と言えばかつて大いに人々を苦しめたそれこそ邪悪な大妖怪ではないか! ここで出会えるとは僥倖ぎょうこうかな……」

「お前、やっぱり悪い奴なんじゃないの?」

「昔の話ぞな~」


 ゲンマが襟巻をつつき、うずまきが照れ臭そうに頬をかく。次の瞬間、空気が変わった。

 すらり、と実に静かな所作で、白虎が刀を抜いたのだ。

 尾には鞘を撒きつけ、牙には柄を挟み、見事な構えを取れば眼光鋭く殺気が漲る。

 太陽の光を受けて輝く白刃に、うずまき驚きの声を上げ。


「なんと! 光の神剣しんけん一会瞬ひとえのまたたき!! 太陽の化身の爪から研ぎ出したと言う霊験灼然れいげんいやちこな名刀ぞな!! お主、刀に選ばれたのか……!?」

「ほう、この刀のを知るとはなるほど騙りではないようだ。いかにもわしはただ虎であった時分、北の霊山に封じられたこの刀に触れ妖力を得たのだ。わしは刀の化身であり、刀もまたわしの体の一部と化したが、強さの高みに登るには技を極めねばならぬ」


 さ、と風が吹いた。


 次には背後で金属の激突する様な音がして、続けて轟音。

 白虎が目にも止まらぬ速さで刀を振るうと、白刃は光の斬撃となってゲンマ達をかすめ、背後の岩肌を切り崩したのだ。

 昨日聞いた音はこれだったか! 気づくと同時、ゲンマは背後で真実何が起こったのか、確かめる事が出来ないでいる。振り向けば、次の瞬間斬られるのは自分自身だと判っているから、金色に輝く鋭い白虎の瞳から逃れられぬのだ。


「ひとつ手合わせ願おう……さあ、正体を現すが良い……螺旋狐ッ!!」


 静かな声に感情が混じり、肌を震わせる程の振動が響く、それは獰猛な戦刃白虎の本性であった。

 理性を帯びた獣の咆哮がこんなにも恐ろしいものだとは。

 ゲンマは心臓を鷲掴みにされたように動けない。

 すると白虎くつくつと笑って。


「……貴様ら、よもやこのわしから逃れられると思うなよ。たかひひるをくれてやったが、そのまま帰すと誰が約束しただろう。わしは元より、貴様らで腕試しをするつもりだったのだ。さぁ、たかひひるを喰らってみせろ! 妖力を得て、わしの前に強敵となって立ち塞がるが良い!!」

「……悪いが他に使い道があってね」

「ほう! ならば逃げるか! 逃げろ逃げろ、わしはどこまでも追いかけてゆくぞ。覚悟が決まらぬと言うのなら、今から村へ駆けていって人間共を皆殺しにしてくれようか! 窮鼠猫きゅうそねこを噛むと言う言葉もある。追い詰められた狐がどれ程の怒りを発揮するのか楽しむのも、また一興か……」


 白虎はひとしきり笑った後、挑発するように一歩前足を踏み出している。

 首元でうずまきが唸り声を上げて。


「どうやら厄介な奴に出くわしたようぞ……どうする、ゲンマよ」

「どうするって、やるしかないだろうがっ!!」


 瞬間、風が螺旋を描いて立ち昇り、ゲンマとうずまきの体は靈覬れいきの紐となって絡み合う。


「「靈覬融合れいきゆうごうッ」」


 咆哮、白牙辰びゃくがしん螺旋狐うずまきぎつね

 白い毛並みが、滝の飛沫を受けて朱にも輝き、狐龍こりゅう刹那の一瞬で戦刃白虎に間合いを詰めると、必殺の爪を繰り出している。

 衝撃あり。狐龍の爪と白虎の刃とが交わると、火花と共に辺りに透明な音が響き渡った。白虎身を翻し、尾に巻き付けた鞘で螺旋狐の腹を叩かんとするので、ゲンマとうずまきは意識を一つに高らかに跳ねこれをかわす。

 両者距離を取って断崖を駆け登り、高みに着地する頃には、極まる妖力が総身から溢れ出し、二匹は見るも巨大な怪獣へと変じて睨み合っているのであった。


「わしの刀を見切るとは凄まじい奴ッ!! しかし、人と混じるのは何故なにゆえか。知りたい、その力の秘密をッ!!」

「これはしゅよ。血の盟約が我から力を奪い、また与えるのだッ!!」

「ぬぅっ!?」


 螺旋狐が吠えるや、山の風が味方する。竜巻が刃となって白虎を包むのに、白刃閃き風を切る白虎もまた剣戟激しく。それは光の刃となって大地を切り裂きながら狐龍へと迫り、螺旋狐の腹に激突する!


「……はっ」


 一心同体の喉から鉄臭い空気がもれた。光の速度で迫る刃は狐龍の分厚い毛皮に守られた肉こそ裂かなかったが、衝撃に骨の折れる嫌な音がする。そしてまた、思いがけなく重い一撃!

 螺旋狐はその巨体を錐揉きりもみさせながら岩壁に手足をしたたかぶつけ転がると、勢いのまま反対の谷底へ落ちてゆく。

 遠のく意識を手放してなるものかと歯を食いしばるゲンマは、最後に高みにある金色の瞳を睨み、そこで記憶はふつっと途切れた。

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