第三話「変幻自在の恋」

3-1 按摩師のこと

■3.変幻自在の恋



 アツジは生まれつき目が弱かった。

 幼い頃は、それでもぼんやりと周囲が見えていた。その見え方が人と違うだなんて思いもしなかった。ただ、人よりも夜が長い気がした。ほんの少し空が陰るだけで、アツジの目には闇が色濃く映る。その感覚が次第に広がって、やがてすっかり見えなくなった。

 盲目と言って、わずかな光を感じる事はある。また、感覚が研ぎ澄まされてゆくのか、不思議と他人に色を感じる事があった。

 穏やかな人は温かい色が見える。冷たい人は寒々しい色に感じる、というような具合だ。 


 一人暮らしだから、身の回りの事も全て自分で済まさなければならない。アツジは按摩あんま生業なりわいとし、まずまず暮らしていた。目が見えぬので、朝も夜もない。労働でくたびれた体を、夜風に冷ますようぶらぶらと歩く。そんな静かな夜道の散歩がアツジは好きだった。

 と、不意に何かにつまずいて転んでしまう。家の周りに何があってどんな様子かすっかり記憶しているので、アツジはほとんど誰の手も借りずに暮らす事が出来た。しかし往来おうらいの道だから、時々はこのような事が起こるのだ。昨日までなかった筈のものがそこにあったり、逆にある筈のものがない。それを視覚から知る事が出来ないのは、やはり不自由だ。


「そこなお方……どうぞお手を」


 と、高い位置から優し気な声がかかる。アツジは驚いた。こんな夜更けに、女の声がしたからだ。それは上品でたおやかな、柔らかい声。アツジは礼を言って手を借りようと見えない視線を上げると、はっと息を飲むのは、光るのだ。

 女の姿がアツジの目には温かに輝いて見えたので、男はただただ感嘆の声を呟いている。

「ああ、なんと美しいお人だろう……」

 まぁ……と、女が囁き、頬を赤らめるのがアツジにも見えるようだった。



「まぁ、遠い所からはるばるいらしてくださいましたの。当玉匣標本店たまくしげひょうほんてんには、他では見られない珍しい標本がこのように様々ございますのよ」

「どうぞお近くでご覧になって。まぁ、お買い上げ下さる? 嬉しいですわ。只今奉仕期間中でございまして、こちらの未展翅のちょうをおまけに差し上げているのですわ」

「え、お客様ご自分で展翅てんしなされた事がない? まぁ、趣味でやってみるのも楽しいですわよ」

「ええ、当店では展翅に便利な道具も取り扱っておりますの。ぜひご一緒にいかがでしょうか。どれもオススメの逸品ですわ」


 普段は閑古鳥かんこどりの鳴く玉匣標本店たまくしげひょうほんてんの店内に、きゃらきゃらと娘どもの声がけたたましく響いている。山奥にぽつんと構える標本店にやってくる物好きな客など、ひと月に一人もいれば良い方だ。それが四日前に来た。そこから噂が出回ったのか何なのか知らんが、この数日で入れ代わり立ち代わり見物客がやってきているのは、未だかつてない大盛況である。


「「いらっしゃいませ~」」


 間違いなく、客を呼び込んでいるのは双子大蛇ふたごおろちの姉妹である。標本店にはあるまじき弾けるような明るさと、人形めいた美貌。それがそっくりな双子姉妹ともなれば、女目当てに男共が目の色を変えてやってくるのだから情けないもんだぜ。


「お買い上げまことにありがとうございました。どうぞ御贔屓ごひいきに……」


 加えて会計係には、姉妹とまた違った素朴な愛らしさのイヨが立ち、曇りのない笑顔で控えているのだ。接客を受けていた男性客は双子と妹の二段構えにコロリとやられたようで、紳士的な笑みを浮かべながらまた来ますなどと言ってやがるが、心の中では何を考えているのかわからん。ゲンマは複雑な気持ちだった。


「あいつら初見の客にしこたま買わせて、妖力ようりきで悪徳商法してるんじゃないだろうな……」

「女が集まれば姦しいと言うが、正にそれぞな~」


 双子が店の標本をどんどん売りさばいているので、在庫が足りなくなり始めていた。ゲンマは押し入れで腐っていた古い収集物をひっくり返し、虫食いでばらばらになった甲虫を修理する作業にかかりきりだ。腐った内臓を除去し、カビを綺麗に磨いて、糊で元通り組み上げてゆく。フセツや触角が足りないものは、他からかき集めて修復するのだ。色が剥げている所は絵の具で塗って見栄えを整えれば完成。もっとも、これでは正確な産地もなにもわからないので、標本としての価値はまず低い。それでも古い貴重な甲虫だし、手間もかかっているから、見栄え用の簡易なラベルを添えて、それっぽく店に並べておく。まぁ、見た目はそこそこ立派なので双子目当ての初心者には丁度良い入口だ。こういう安い標本を気楽に家に飾っておくのもオシャレなもんだぜ。


「すごいです。またお客さんが入りました。お兄様、このままでは棚が空っぽになってしまうかも」

「おいおい、こりゃぁ明日は雪だな」


 興奮した様子で作業部屋に顔を出したイヨにゲンマがおどけて返すと、妹はくすくすと笑い声をあげて、過剰にふりふりした給仕衣装めいた着物をひるがえし店に戻ってゆく。双子と妹の衣装はスオウの仕立てだ。流石は蜘蛛くもだけあって、妖力の糸で編んだ服は実に見事。しかしこれもまた何らかの妖力が悪さをして、男共をとりこにしているのではないかとゲンマは疑っている。


「お前は店に立たないのかよ」


 スオウの淹れてくれた茶を啜りながらゲンマが何気なく聞くと、すっかり家政婦が板についてきた鬼女は硬い表情を見せて。


「……適材適所と言うものがございます」

「お前だって美人なんだから、立てば人気が出るんじゃないか」


 む……。


 唇をきつく結び、お盆を胸に抱くと、鬼女は右手を部屋の入口の方へ向けて客を迎える仕草を取ってみせた。眉一つ動かさず、抑揚のない声がする。


「い、いらっしゃいませ~……」

「愛想がないな」

「……はい」


 人も妖異よういも、気質は様々だ。双子大蛇のように四六時中きゃらきゃらと笑い転げている奴もいれば、鬼蜘蛛おにぐものように黙々と家事に打ち込むのが得意な奴もいるだろう。俺もあんまり接客が得意な方じゃないや、とゲンマが慰めれば、蜘蛛の変化へんげはこくりと頷き部屋を出ていった。


「ま、商売が繁盛するのは良い事ぞな。食い扶持も増えたし、何かと金は入り用ぞ」

「そう言うお前は何をしているんだよ」


 ゲンマが標本の修復作業に追われる隣で、うずまきは何やら書き物をしている。ただ書くのではなく、和綴じ製本までして何か書を作っているのが器用なもんだ。


「どうもわがはいの活躍がちっとも現代に伝わっていないぞな……おろかなにんげんどもに期待したわがはいが馬鹿だったぞなねぇ~……記録は自分で取る事にしたのだ!」


 溜息を吐きながら、うずまきが描くのは妖異怪獣図鑑よういかいじゅうずかんと題する本で、見れば鬼蜘蛛や双子大蛇の姿が早速記されているではないか。これがなかなか上手だからゲンマが感心していると、それだけじゃないぞな、と狐は胸を張っている。


「この書を読めば様々のしゅ、妖術、仙術の類も身につく、正にあやしの専門書ぞな! ツブラ様に後世へ技を伝えようと言うこころざしがなかった事はつくづく残念でならんぞ……わがはいが尻拭いをしてやっているようなもんだ」

「へー。俺も頑張れば狐火みたいな術が使えるのかな」

「ぞな。大体お前達兄妹は今でも様々の過程をすっ飛ばして、最終奥義である靈覬融合れいきゆうごうを会得しているぞな! これもわがはいの妖力が玉匣たまくしげの血に封じられているお陰ぞな」

「じゃぁその過程の術とやらも教えてくれよ。火や風を起こすなんて便利そうだぜ」

「イヨちゃんはともかく、兄は才能無さそうぞな~」


 狐はじとっとした目を向けてくる。人が話を合わせてやりゃぁ、なんとも失礼な狐だぜ。

 ゲンマはやれやれと首を振って、再び標本修復に没頭してゆく。



 玉匣標本店史上類を見ない大盛況に、兄妹も妖異達も落ち着く暇もない。それでも店にばかり掛かり切りでいられないのが自営業の辛い所だ。昼前になるとイヨはスオウと共に買い出しに出かける。

 兄妹の食事は当番制だが、制作依頼が立て込む事もままあるので、自然手すきの方が用意すると言う事になる。イヨは料理が嫌いではないし、兄に食べてもらう事には日々の幸福を感じていたが、それでも根が虫屋。兄も妹も作業に没頭すると我を忘れる質で、食事が粗末になる事もしばしばあった。


 イヨが教えると、スオウはめきめきと家事の才能を発揮し、特に料理は絶品。このお陰で食卓の心配をする必要がなくなったのはありがたく、今は蛇の姉妹も店番をしてくれるから、こうして二人気楽に買い出しに出かけられるのは嬉しい。

 スオウと二人、あれにしよう、これにしようと相談しながら食材を買い求めた帰り道の事である。


 イヨは向かいから杖をついた線の細い男が歩いてくるのが何となく気になっていた。あっと思った時には既に遅く、男は道の脇に無造作に置かれた空の植木鉢を踏みつけて転んでいる。イヨとスオウが駆け寄ると、男は礼を言って手を彷徨さまよわせるのは、目が見えていないのだ。

 イヨは倒れた拍子に転げた杖を拾い上げ、男の手に握らせている。


「どうぞ、こちらを……」

「ああ、ありがとうございます……おや、貴女は……」


 イヨの姿を見て、男は驚きの声を上げた。一瞬、目が見えぬのは勘違いだったのか、と不思議に思う。男はイヨの目を真っ直ぐ見つめていたからだ。けれど杖をつく仕草は覚束おぼつかなく、どうも間違いないらしい。男は小さく首を振り、落ち着いた声で名乗った。


「私はアツジと言う按摩師あんましでございます。これも何かの縁……小さな店ですが、どうぞ試していってはいただけませんか」

「いえ、私は……」

「ははは、もちろんお代は頂きません。さぁ、お姉さんもこちらへ」

「イヨ様、いかがいたしましょう」

「ええ……では少しだけ……」


 本音を言えば、知らない男に体を触らせる事に抵抗があったが、親切で言ってくれるものを無下に出来ないイヨである。それに今はスオウも一緒だし……とついてゆくと、店と言うのは男の家のほんの一室で、どこか懐かしい匂いのする素朴な構えには心が落ち着いている。


「あの、按摩と言うのはどういう……」

「ははは、そう心配なさるな。本格的なものでは下着になって寝てもらう事もありますが、大体客は年寄りばかりです。若いお嬢さんにそんな事は致しません。もっとも私は目が見えぬので、どのみち何も見えませんが……さ、そこに腰を掛けて」


 男に笑われて、イヨは赤くなっている。しかしこの顔も男には見えぬと思えば、気の毒ではあるが確かに安心できる気もした。そうして正面から見上げると、男は端正な顔立ちで、落ち着いた雰囲気はなかなかに魅力的。特に優し気な声は心地良いとイヨは密かに耳を澄ませている。


「お嬢さん、貴女は何か細かな手作業をするようだ。体が随分凝っている。今日は軽く肩のツボを揉んであげましょう」

「まぁ、わかるのですか」

「目が見えないと、不思議と勘が働くのです」


 男が後ろに回り、イヨの肩に手をかける。するとどうだ、ほっそりとした指先から信じられぬ程の力がツボに加わり、痛みと共にじんわりと疲労が溶けてゆくような得も言われぬ心地良さ。終わる頃にイヨはくったりと身も心もとろけて、かと思えば体が軽い。肩が凝っている自覚など全然なかったものが、案外疲労と言うものは蓄積されているようだと驚くイヨである。続いてスオウも同じ按摩を受けたが、いつも仏頂面の鬼女がこちらもすっかり気楽な表情でくつろぐのは面白かった。

 それからというもの、イヨは買い出しの折、よくこの按摩師と出くわして、二言三言言葉を交わす事が増えた。


「あら、アツジさん。ごきげんよう」


 イヨが笑いかけると、アツジも微笑んで。


「おお、イヨさんにスオウさんも一緒かな」


 と親し気に呼び合う仲である。

 イヨはいつしか男にほのかな友情を感じて、道ですれ違うのが楽しみになっていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る