2-2 構造色について/蜘蛛のこと


「よお、随分派手にやらかしたな」


 ひっくり返った庭と廃棄予定の標本箱の山を見て笑っているのは鳴滝博物店なるたきはくぶつてんの店主。鳴滝なるたきコウゾウが玉匣標本店たまくしげひょうほんてんを訪れたのはそれから数日の後だった。鳴滝博物店は都に一号店を構える老舗で、間違いなくこの日乃和国ひのわこく一番の標本商である。店を継いでもう三十年になると言う店主は歳よりも随分若々しく見える。彼は自ら危険な採集旅行へ赴き、各地の美麗な蝶から巨大甲虫などを集めてくる。その店はここでしか見られない標本を数多く扱う事でその筋から有名だ。元々は兄妹きょうだいの両親と親交が深く、言わば親友の間柄なので、ゲンマも親しみと尊敬を込めて「大将」と呼んでいる。


 その大将はいつもこんな風に連絡も寄越さず突然現れるのだ。今日も採集旅行の帰りなのか、あちこち擦り傷だらけの出で立ちなのは相変わらず。とは言えゲンマはこの来訪を待ちわびていたので、声がするなりすっ飛んでいって歓迎した。


「で、そのたかひひるって奴は」

「おう、イヨ。大将に見せてやってくれよ」


 たかひひるを探すにあたって、まず初めにゲンマが連絡を入れたのは鳴滝の店だった。コウゾウは殆ど外に出ているので言伝ことづてになったが、そろそろ伝わる頃だと思っていたのだ。挨拶もそこそこに作業部屋の乾燥棚からたかひひるの標本を取り出して見せると、コウゾウは黙って虫眼鏡でじっくりと蝶を観察しはじめる。無言の緊張が流れて。


「出して来たのがお前らじゃなけりゃ、作り物を疑うところだぜ」

「馬鹿言えよ、どう見たって本物さ」


 ちょうはねを拡大すると、鱗状の構造を持っている事が判る。これは微細な毛が変化したものだと言われ、蝶の飛行に欠かせないものだ。自然の中では空気抵抗を減らし、雨をはじく等の効果を見せるが、非常に繊細で、人間がほんの軽く触れるだけで粉のようになって指に付着する。この構造こそ鱗粉りんぷんである。美しい天然の並びは蝶の模様や色とも密接に関係する。構造色と言うものがあって、角度によって色が変わって見えたり、時に金属光沢に近い輝きを見せるのも、この鱗粉の並びが特定の光の波長だけを反射して起こる現象なのだ。


 0.1ミリ程の大きさの鱗粉を細工する事など、人間の手に出来る筈もない。だからこそ人は美しく珍しい蝶を求めるのだ。コウゾウは一目見て、たかひひるを稀な存在と見抜いたようだった。


「お客さんぞな~?」


 そこへうずまきが入ってくる。たかひひるには驚きと言うよりもむしろ強い興味を示したコウゾウも、流石さすがに喋る薄桃狐にはたまげたようで、目玉が飛び出ん程の顔は、この男にしては珍しい。ゲンマは何もかもを打ち明けていた。うずまきの正体。妖異怪獣よういかいじゅうの戦い。それは虫屋としての玉匣家の源にも繋がり、イヨの命が残りわずかという事も全てだ。


「大将よ、こいつは多分日乃和国に一匹しかない標本だぜ。俺はそれをあんたに譲る事に決めた」

「高くつきそうだな」

「おうよ。今後鳴滝が仕入れたたかひひるの情報は、全部俺達の所へ回して欲しい。俺は蝶を採る。イヨは一年命を得る。妖力が空になった標本はあんたにやる。悪い話じゃない」


 コウゾウは思案気に宙を見上げた。考え込む時の癖だ。ゲンマはその視線を睨みつけるように追う。ややあって。


「俺も山で、妖異よういっつーのは何度も見た事がある。けど、お前の言うように山のようにでかい奴はない。大概ほんの小動物みたいなので、そう言うのを見た時俺はオバケを見たんだなと思う事にしている。怖いからだ」

「怖くてもやらなきゃなんねーのよ。俺にはイヨが大事なんだ。たった一人の家族なんだ」

「まぁ聞け。たかひひるっつーのは、俺も聞いた事がない。山で光る蝶を見たなんて話は古い記録に良く出てくるけどな。それはおとぎ話だ。現実じゃない。で、これは現実の話なんだが、和総かずさの山中に見るも巨大な蛇が出たと言う話がある。ついこの間さ」

「妖異か……っ!!」


 やっと見つけた手掛かりにゲンマの胸は高鳴る。イヨに抱きかかえられたうずまきは、短い腕でびしっと天を指して。


「妖異ある所にたかひひるあり! 邪悪な大蛇おろちに先んじてたかひひるを捕獲するぞなーっ!!」


 コウゾウを見送った後、予め整えてあった旅支度を再確認して、出発は翌早朝。うずまきとの出会いから七日にして得られた最初の手がかりを頼りの旅であった。



 ところが探検出発に際して一悶着あった。


「危険な妖異退治……イヨの寿命の事で、お兄様だけに危険をさせられません。イヨもお供させてくださいませ」


 ぎゅっと拳を握り、気合の表情を見せるイヨである。こうなるとなかなか頑固な妹だが、ゲンマは兄妹おそろいの黒髪をわしゃわしゃ乱暴に撫でて、きっぱりと告げた。


「危険な旅。よくわかっているじゃないかイヨ。これから寿命を取り戻そうと言うのに、お前が真っ先に怪獣に食われちまったんじゃ意味がないぜ。連れてはいけない。留守番だ」

「でも……」


 不満げな妹に、兄は腕捲うでまくりしてみせる。日に焼けた肌は、あちこち小さな傷だらけで、新しい虫食いの跡もちらほらと見られる。山は危険だ。勝手知ったる弧盛こもりの庭山ならいざ知らず、見知らぬ土地となれば尚更である。父のように、転べばそれだけで命を落とす事もあるし、小さな虫共にも毒のあるものはうようよいる。ほんのさもないマダニでさえ、噛まれれば重篤な症状を引き起こす事もあるのだ。ゲンマはそのように言って、次にイヨの手を取り上げ、袖を捲って白い肌を撫でる。


「お前の綺麗な肌を虫食いだらけにしたくねえのさ。そんなに心配する事はない。いくらでも妖蝶の奴を採って来て、命のたまをおまえに食わせてやるからよ」

「ところがそう単純でもないぞな」


 優しく諭す兄に、いつしか頬を赤らめて目を潤ませている妹。二人に水を差すのはうずまきである。途端、ゲンマは不機嫌に眉を曲げて。


「なにがなんだって?」

妖力ようりきが馴染むまでには時間がかかるぞな。イヨちゃんからは今、たかひひるの気配がぷんぷんするのだ。一人にしておけば、またどこぞの妖異に襲撃を受けるかもしれない。わがはいが屋敷で睨みを利かせている間は平気だけどな!」

「それじゃあ何か? 留守番もさせられないが、連れていくのもますます危険って訳かよ」

「それではわたくしがイヨ様の護りにつきましょう……」


 不意に女の声がする。と同時、すとん、と天井から落ちてくる女の姿にはぎょっとして、ゲンマがぎゃっと悲鳴を上げかけるのは鬼女。きつく目を閉じてぬらり立つ、鬼蜘蛛おにぐも変化へんげがそこにいる。


「お、お前! まだ人間に化ける妖力が残っていやがったか……」

「これ程の鬼神があれしきで死ぬはずもないぞな。ふむ、鬼蜘蛛よ。お主どうやら殊勝な事を申したな」

「……この身イヨ姫様に救われた命なれば、ご恩を返さずにどうして去る事が出来ましょう……」

「なんだなんだ、都合の良いヤツだぜ。ころっと態度を変えやがって。元はと言えばお前がイヨを傷つけたのだ。それが一体どういう風の吹き回しだ」


 ゲンマが攻めると、鬼女はふっと息を吐いてうつむいている。なんだか虐めているみたいで居心地が悪いぜ、と兄が憮然とする事に、鬼女は囁いて。


「……わたくしは、元はこの安須山あずさんに住まうただ蜘蛛でありました。それが巣にかかったたかひひるを食って妖力を帯び、このような鬼神と成り果てたのでございます。蜘蛛である頃、わたくしはただ日々を生きるだけだった。妖異と化して、物事を考えるようになりました。生きたい、生きたい……それだけを考えるのでございます」


 生きたい。

 死にたくない。

 蜘蛛の頃はわからなかった生命の欲求が、思考を持つ事で恐怖と変わり、心を支配したのだと鬼蜘蛛は言う。


「だからたかひひるを求めた……力をつけて、生きるために……」


 イヨの言葉に、鬼蜘蛛は頷く。


「わたくしが心を持って、初めて感じた温かき思いやりがイヨ様のお心なのです。わたくしはこのご恩に報いたい。いえ……わたくしが生きる為にこそそれが必要なのです。貴女様のような光が……」

「お兄様、わがままを言いました。イヨはこの方と残り、店を守りたいと思います」

「イヨ、信じるのかこいつを」

「お兄様がお兄様の戦いをするように、イヨにはイヨの戦いかたがある。この方を信じる事が、その一歩と思います。私達兄妹は、これから様々の妖異怪獣と関わっていかねばならないのですから」

「妹、良く言ったぞな! 鬼蜘蛛よ、くれぐれもイヨちゃんに良く仕え、恩返しするのだぞ。貴様、もし我らが帰って娘にもしもの事があれば、逃げられると思うなよ。死、あるのみぞな!」


 こくり頷く鬼女に、ゲンマは腕を組んで深く唸る。

 鬼蜘蛛は生きたいと言う。その欲求の為に玉匣家たまくしげけに身を寄せるのだ。鬼蜘蛛はより強い螺旋狐うずまきぎつねの庇護のもと、イヨに恩返しが出来る……となれば、こちらを謀る気など起きようはずもない。損をする事になるからだ。理屈の上ではこうだが、果たして化け蜘蛛に理屈が通じるもんかね……まだ疑いながらも、ゲンマはしぶしぶ頷いている。


「良かったですね鬼蜘蛛。いいえ、鬼蜘蛛ではおどろおどろしい……赤い瞳の貴女はこれからスオウと呼びましょう」

「このわたくしに名をお与え下さると言うのか」


 スオウ、スオウ……鬼女は自らの名となったその響きを、何度も舌で転がしている。するとそのまぶたが震えながら開き、赤い瞳が露わとなったではないか。

 ゲンマははっと息を飲んだ。イヨはどうして、瞼の上から瞳の色がわかったんだ?

 と同時に、鬼蜘蛛の女の姿がずっと目を閉じたままでいた事にも感じる事がある。

 積極的に狩りをする種類は別として、蜘蛛は一般に目があまり良くないと言われている。それだから糸を紡ぎ、木々の間に巣を張って蝶や蛾を罠にかけ喰らうのだ。目を閉じた鬼女は、そんな蜘蛛の暮らしを象徴する姿だったのだろう。

 それがイヨに名を与えられ、目を開いた。スオウは人に近づき生きる事を決めたのだ。そう気づけば、ゲンマは今度こそスオウを信じてみて良いような気がし始めている。


「このスオウ、ゲンマ様がお留守の間、必ずや妹姫様をお守りすると誓おう」

「うむ。頼んだぞ」


 太陽が目覚めて間もない頃、薄暗い空の下、イヨとスオウの見送りを背にゲンマは立っている。首には薄桃の狐が巻き付いて、肌に伝わってくる心臓の鼓動が、まるで自分の脈のようにも感じられる。

 弧盛から和総へは鉄道を足に北へ向かい、麓から車を捕まえて走らねばならない。普通、蝶と言うのは長くて数か月の命と言われている。たかひひるがどれくらいの間飛ぶのか分からないが、広大な山中をたった一頭の蝶を探す事を思えば、到着は早ければ早い方が良い。加えて競争相手は妖異の早い者勝ちとなれば尚更だ。

 となれば、靈覬融合れいきゆうごう狐龍こりゅうとなって駆けてゆくのが最も早いと言う訳だ。


「生命の情報は二重螺旋の渦を巻くと言う。心と体を力の渦と化すのだ、ゲンマよ! 我が魂と螺旋を描き、人魔一体と化す……靈覬融合は想いの力で成るぞな!!」


 首元で狐が勇ましく言うや、足元の落ち葉がひらりと舞い上がる。ゲンマを中心に風が渦巻いているのだ。と思えば、かっと熱を持つような感覚があって、指先が、足先が、光に解けてゆく。まるで糸のように細く、長く、力の奔流となって渦の中に巻き込まれてゆくのを感じる。

 ゲンマは危うく悲鳴を上げそうになった。


「恐れるな、信じるのだ! 我と心を重ね、猛々しい狐龍の姿を念ずるぞよ! 心の力で見事鬼蜘蛛を式とした、妹の強さに続くぞな!!」


 すんでの所で踏ん張る。怖気づいた心を叱咤する。妹のいる前で、情けない所を見せられるものかよ!


「最初はせーのでいくぞな~! せ~のッ!!」

「「靈覬融合れいきゆうごうッ!!」」


 光の螺旋が一際眩い閃光を描いて。朝日の下に現れるは狐龍・螺旋狐の姿である。

 狐龍はイヨとスオウを一睨みすると、天高く吠え駆けてゆく。

 目指すは和総、妖蝶たかひひるを求めて!

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