商業施設のトイレ

@ku-ro-usagi

第読み切り

仕事で配属された場所が商業施設だった

家からは遠くないし買い物とかも便利だし

電車から見える景色がなかなか良くて

とても良かったんだ

でも

その時のタイミングとか運ってあるでしょ

私はその時

一番大きな職場環境

同じ職場の人間関係運のハズレを引いてしまった

勿論

相手もそう思っていたかもしれないけれど

少なくとも他の皆は

仕事終わりの食事などは行ってたみたいで

私よりは遥かに表面的には仲良くしていた

だから

普通は皆に敬遠される忙しい土日の方が好きだった

仕事していればいいし

時間もあっという間に過ぎた

ただ平日がとにかく辛かった

あからさまなイジメでもないけれど

一人をスケープゴートにすると

仲間意識高まるでしょ

あれをやられてね

そう遠くないうちに

私は短い休憩時間をトイレの個室で過ごすようになった

私達はお客様用トイレを使ってたんだ

勿論施設からの許可もあってね

大きな汚れとかさ

何かあった時にも知らせやすいし

土日はトイレに籠もるどころかトイレも我慢くらいに忙しいけど

平日は5分位なら遅くなっても

居ても居なくてもいいくらいに

店頭ですら居場所がなくて居心地も悪かった

特に売上の低い月は

暇だからなんだろうね

顔を寄せ合って

こちらを見てクスクス笑ってくる同僚2人からは目を合わせず

私は

「二番入ります」

とトイレへ向かった

配属されたばかりで異動などあってもまだまだ先で

ただただ居心地が悪いなんて理由で

何をどう誰に伝えればいいのか

そもそも直属の上司がクスクスに加担しているに近い状態で

私は

こんな自分だから駄目なのかな

とトイレで大きく溜め息を吐いた


ここの

商業施設のトイレはさすがに広くて大きかった

個室いくつあるのかな

高速のサービスエリアとまではいかないけど

私の仕事している階は特に広いトイレで

平日ならどの個室も入り放題

入り口に近い場所は人の気配も声もするし

膀胱が限界な人に譲ろうと

なるべく奥の方を利用することにしていた

その日もガラガラで

綺麗に感じていた電車の景色も目に入らなくなっていて

それまでの人生

物心付いてから流した涙の数は

自分で数えられる程に少なかったのに

電車が仕事場へ近づくと

涙が溢れそうになり

慌てて上を向いていたりした

そんな時だったな

また短い休憩時間にトイレに籠もっていると

「よくお会いしますね」

って声がした

トイレの個室

目の前にあるドアの上は天井まで仕切りと同じ

木目調のプリントが貼られた板で目隠しされている

左右は高い仕切りはあるけど

上は開いてるんだ

便器に乗っても視線は届かないかな

換気のためだろうね

だからかな

そんな声が聞こえてきた

私は

誰かが電話でもしているのかなと思ったんだ

ネットで見たことあるよ

書き手さんがトイレの個室にいたら

隣から話しかけられて

返事してたら

「隣がうるさいから後で掛け直す」

って

隣は電話で会話していたって話

面白いよね

私の場合は

よく考えたらさ

電話なのに

「よくお会いしますね」

って変だよね

でも

そんな事考えられる余裕もなかったんだ

仕事場に戻りたくなさ過ぎて

もうそれどころじゃなかった

ひたすら休みと忙しい土日が待ち遠しかった

けど

忙しい土日にすら

狭い店内であからさまに身体ごとぶつかられ

「あーごめんね」

と無表情で謝られた時

ごめんねのルビが

「邪魔なんだよ」

だった時

同じ経験している人なら解ってくれると思うんだけど


「辞める」


って発想が出てこないんだよね

ひたすらただ耐えるの選択肢しか出てこないんだ

朝起きられる

仕事場には行ける

思考が回らないからさ

ストレスで視野も狭くなって

心配してくれる友人の言葉も耳に入らず

ただ行かなきゃって自分を追い詰めることしかできないんだ

私の場合

「それくらいのことで」

って更に追い詰めてくる系の親だったから尚更ね

それでその日のトイレは

この間とは反対側の個室に入ったんだ

何となく

そしたら

「こんにちは」

って

「あら偶然」

みたいな

また電話かなと思ったけど

なるべく人のいない個室を選んだから

左右は空いているはずなのだけれど

私は黙って身体を倒して膝に置いた腕に顔を埋めた

よくそんな不自由な姿勢で意識を失えたものだけれど

ハッと気づいたら一時間経っていて

慌てて職場へ戻ったら

「どこ行ってたんですかぁ?」

それまでは最低限の会話もタメ口だった同僚が敬語になっていた

語尾の上がる敬語ね

ただ

たまたま各所の見回りに来ていた偉い人が

私の顔色の悪さを見て

「調子悪そうだね、大丈夫?」

とフォローを入れてくれた

それが更に仇になり

私の影で呼ばれるあだ名は

「サボリ魔」

になった

それからは個室に入るなり

即スマホで5分のタイマーをセットして戻るようにしたけれど

必ず

「今日は雨ですね」

「調子はいかがですか」

声が聞こえてきた

左右のどちらから

一番端の時は個室のある方から

土日の混んでいる時は

上から声がした

私は今いる階の

上や下の階までトイレへ行くことにしたけれど

「今朝は電車が混んでいましたね」

声が聞こえてきたんだ

よく知ってるね


私はさ

そうでもないから全然知らなかったけど

みんな

案外周りや人を見てるよね

客に比べれば各階合わせても従業員は少ないもんね

私はそんな風に周りを見ていないから知らないから

一人浮いてしまったのかも知れないけれど

同僚に

「あのさぁ、なんでわざわざ上や下の階に行くんですか?

なんであの階の人がこっちに来てるのかって聞かれたんですけど?」

って

話題とまでは行かないけれど

聞いてきた同僚本人がそう聞かれたらしい

「うちの階のトイレに何か居るんじゃないかって

変な噂立ちそうなんでやめてください」

って強めに言われた

私はその時

確かに返事をしたつもりなのだけれど

声に出ていなかったらしい

舌打ちされて

たまたまその瞬間を隣の店舗の店員に見られ

私の居場所はますますなくなってきた

結局

どの階へいてもあの声は聞こえるのだから

別にいいかとトイレ越境しなくなった日

また

「今日はカーテンを閉めっぱなしでしたね」

もういちいち言うことが気持ち悪いし

この声が話してくる内容がとうとうプライベートの生活圏内に入ってきていた

それでも

それですら

「どうでもいいや」

と思うくらいには

疲れていた

でも

その日は午後遅くに

友達が遊びに来がてらね

買い物に来てくれたんだ

決して安い買い物とは言えないものなのに

「これ欲しかったんだ」

と買ってくれてさ

だからこそ

その個人的な売り上げを

上司に自分の売り上げだと誤魔化された日

その日

とうとう

そして呆気なく

私の中で何かが壊れた

そして

その日の夜

「こんばんは」

部屋のトイレでその声が聞こえた時

私は

「はい、お疲れ様です」

と幻聴に返事をしたんだ


でもね

少なくとも幻聴ではなかったみたいなんだよ

今日も心を無にして仕事をしていたら

休憩から戻ってきた同僚の一人がなぜか

不機嫌さとは違う怒ったような顔でこちらへやって来たけど

私は業者と対応中だったせいか

何も言わずに

ただ少し何か言いたそうな顔をしていた

そしてそれはその同僚だけでなく

別の同僚もで

休憩やトイレから戻ってくると

「ねぇっ!」

と声を掛けてきては

私をまじまじと見てから

「……なんでもない」

と戻っていく

何だろうと思っていたけど

狭い店内やバックヤード

嫌でも声は入ってくる

どうやら

トイレにいると

私の声が話しかけてくるらしい

当然私だと思い

「トイレで話しかけて来ないでよ」

と個室から出ても両隣とも無人で

手洗い場にもパウダールームにも私はいない

店舗に戻ると私がいる

接客中だったり

明らかに先に戻ってきた感じでもなくそこにいるため

もどかしさや疑問、不満の気持ちの落としどころがない

そしてそれらを他の皆が体験しているみたいだった

中でも一番分かりやすかったのは上司で

トイレで

「私の売り上げ返してください」

の言葉が

上司だけでなく

たまたまいた別の売場の人間に聞かれた

その人は私と上司が1つの個室にいるとでも思ったらしく

その噂は瞬く間に広がり

実際

私の大切な友達が

汗水流して稼いだ大事なお金で買ってくれたもの

嘘でなはなく本当のことだったから

他の店舗の人にそれとなく聞かれ否定をしないでいると

店長が仕事を休み始めた

店長以外には

私の声は

まるでBotの様に

私が口にした数少ない言葉を何度も話しかけてくるらしい

でもそれが日を重ねるにつれ

「○○さんとのデートは、楽しかったですか?」

「あのアイドルが好きなんですね」

など

職場では秘密にしていることを

話してくるようになったらしい

しかしそれは不幸中の幸いで

彼女たちにしか聞こえていないみたいだった

あの声なりの恩情なのだろうか

しかし

至極当然

私は全く違う意味で避けられるようになり

「あの……これ、お願いします……すみません……」

敬語の意味も違う意味で使われるようになった

気味悪がられているし怖がられている

でも別にもう

私にはそんなことはどうでもよかった

本当にね

だからなのかな

あの声はどうやら止むことも止まることもなく

ある日

「やめてやめてやめてやめてやめてやめて!!」

トイレの個室からそんな絶叫が響き

泡を吹いて倒れていたのは

同僚の1人

救急車で運ばれたのは大勢の客で賑わう土曜日の昼間

休職した上司といいさすがにおかしいと個別面談が行われたけれど

「トイレで私さんの声が聞こえてくる」

とは言えなかったらしい

私はただ

「空気が読めず同僚たちとはあまりうまくコミニュケーションが取れてはいない」

と答えた


その後

すぐに二人ほど応援が入ったのだけれど

穏やかなとてもマダム感が溢れる上司と

もう一人は

他部署から

ほぼ追い出されるようにやってきたらしいC子だった

マダム感溢れる上司は実際に金には困っておらず

「家にいても暇だから働いているの」

と心にも懐にも余裕のある女性で職場の空気は和らぎ

もう一人は私と同い年で

「仕事ができない」

と前部署からのお墨付きでこちらへ穴埋め要員で飛ばされて来たものの

前の部署では周りに萎縮して上手く立ち回れないだけで

サポートや客への細かい接客や配慮が卓越していた

そして

私のシフトが入っているの日は必ずマダムかその子もシフトに入っていたため

仕事場の居心地が劇的に改善した

トイレへ行っても

あの声は聞こえなくなった

正確には

部屋のトイレで返事をした次の日からは

全く聞こえなくなっていたのだけれど


自分の発している声は

録音した声で聞く声とは全く違って聞こえると言う

私が聞いた声も

実は私自身の声だったのだろうか

それなら納得がいくのだ

電車が混んでいた話も

部屋のカーテンの事も

ただ

私は元同僚も含め同僚たちのプライベートは知らない

謎は謎のまま


最近は

マダムやC子とだけでなく

他の店の子達とも仕事終わりに食事へ行ったりしている

トイレでの

私ではない私が言った上司への

「売上返せ」

の言葉が

別の遠い店舗にも隈無く噂として大きく広がり

同じ目に遭っていた数人の子がそれを切っ掛けに

個人の売上を掠め取られることがなくなったと嬉しそうに教えてくれたのだ

何度も言うが

正確には私ではない

のだけれど


実態のないものに安易に返事などしてはいけない

でも

本当に追い詰められていた私は返事をして

結果救われた


それでも

もう二度と

あの声が聞こえてこないことを

私は

ただ今日も

祈るばかり









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