第18話 ワイト迎撃
家の中は安全を実感できた。サンは疲労がどっと体に出た。朝に出発してからこれまで安心というものがなかった。一息つく休憩はあっても安心はなかった。村長の家の壁の厚さは絶対にワイトが破ることができない安心があった。
「すいません。ちょっと座らせてください」
サンは近くの椅子を見つけてそこに腰を下ろした。深呼吸をする。ふー。
ランスも隣の椅子に座った。
座ったままクイの方を見た。「さっきも言いましたが、コボルトを退治していたら突然死体が黄色く光って動き出したんです。今は洞窟は光っていません。真っ暗です」
彼女は静かに
「知ってましたか。そうです、ワイトです」
彼女はまた頷いた。分かったという態度だった。それ以上は何も言わなかった。
沈黙が続いてサンは居心地が悪くなった。「村には何匹くらい来たんですか?」
奥の階段から人が下りてきた。戦斧を投げてくれた村長代理のバラックだ。必要以上に足音を出している。威嚇しているか恩を売っている。
サンは椅子から腰を上げた。右手を出す。「どうも。斧をありがとうございます。助かりました。最高の武器でした」
「あ、あ、ああ。よよよ、よかった」バラックはサンの右手を握った。立てかけてある戦斧をちらりと見る。「せ、先祖からつつつ、伝えられている、せせせ戦斧だ」
サンはこくりと頷いた。「本当に助かりました。素晴らしい威力でした」
「よよよ、よかった」
ランスは腰を下ろしたままだった。
「すいません。疲れてて。座ってもいいですか?」
バラックは頷いた。
サンは座ると、「殺したコボルトが急に動き出してみんなを襲ってきたんです。原因は分かりません。光る洞窟の光が原因じゃないかと思っています。死体が動き出すと洞窟は暗くなりました」そしてクイの方をちらりと見て、「ワイトっていうらしいです」と言った。
バラックもクイを見た。
彼女は小さく頷く。部屋の隅、玄関の近くに立っていた彼女だったが、居間の方へと歩いてきた。「黄色い光の悪霊です。死体に乗り移って操ります」
バラックは了解を示し、居間の上座に座った。
サンはふーっと深呼吸をした。疲れているので休憩できるならできるだけたくさん休みたかった。
階段からゾグパゾが下りてきた。「おい、これはどういうことだ?」
「殺したコボルトが急に動き出してみんなを襲ってきたんです」サンは同じ説明を繰り返した。「依頼のコボルト退治は終わりました。生きているコボルトはいません。あのワイトをやっつけるなら追加報酬が欲しいです。最初の話と全然ちがいますよ」
ゾグパゾは座っているサンとランスを睨みつけた。
14歳の2人の冒険者は上から下まで全身に返り血を浴びた凄惨な見た目で椅子に座って休憩している。サンは追加報酬を要求したあと、目を伏せて黙っていた。
反応がないのでゾクパゾと目を合わせた。「話し合いが必要なら僕らは別室に行きますよ」
しばらく間があり、「いや、そこにいろ。俺たちが席を外す」と言った。
ゾグパゾが合図をすると、バラックとクイがキッチンの方に移動した。そこで小声で話し合いを始める。サンには聞き取れなかった。
サンはランスの様子を見た。疲れているのは彼も同じようだ。膝の上に肘を置いてうなだれている。サンはランスが追加報酬の要求を嫌がるかもしれないと心配していた。
「別にいいよね? これでタダ働きっていうのも……」
「ああ、全然いい。当然だ。これはコボルト退治じゃない」ランスは疲れた声を出した。「合計で銀貨150枚は欲しいところだ」
「そうだね」
サンはランスの言葉の意図が理解できた。150枚から交渉を始めて倍の100枚との間のどこかで手を打つという意味だ。実際には120枚から130枚あたりになるだろう。
話し合いをしている3人の方を見る。クイとちらっと目が合った。なんとなくだが背負袋の中のお宝に気がついている気がした。気がつかれると交渉で不利だ。背負袋の中身を見せろと言われたらこちらも強気に出ることができない。もちろん洞窟で見つけたものは正当な報酬でやましいことではない。しかし見つかってしまうと、それを無視してさらに追加報酬くださいという要求がしにくくなるものだ。こういうのは気持ちの問題である。
ぶつぶつと小声の話し合いが続いた。サンはそれ以上、そちらを見ることもせず、話し合いが終わるのをじっと待った。
最初から気になっていたことだが、村長とクイの間に子供がいないのは間違いない気がする。このような田舎で子供が独立して全員が村を出るというのは有り得ない。しかしこの家に子供はいない。バラックが村長の弟だということだが、見た感じ、いい年である。30代後半か40代だろう。その兄ということはクイの夫もいい年だったということだ。クイも30代に見える。そして子持ちには見えない。身体が細く、雰囲気に母親という印象がない。未婚と言われても信じてしまいそうだ。彼女に幸薄そうなものを感じていた。このような田舎で村長の妻で、子宝に恵まれないというのがどれだけ肩身が狭いか、サンはよく知っていた。かなりの陰口を叩かれているだろう。さらに今回、子供がいないまま夫に先立たれている。美人であるというのもこういう状況ではマイナスなはずだ。男からは、面倒を見てやる代わりに愛人になれと迫られるだろうし、一方で男に色目を使うということで女からはあまり同情してもらえない。義理の弟のバラックが面倒を見るのが筋だろう。しかし彼もまた未婚だろう。嫁がいたらこの家にいるはずだ。クイがバラックと再婚するというのもこういう田舎ではよくある話だ。ただ、子供が生めないと分かっているこの状況では、その結婚もあまりめでたいとはされない。こういう田舎では普通と違う人間というのは排除されがちである。なまりも気になる。地元の人間ではない。もっと身分の高いところから、こんな田舎に流れてきた人間ではないかとサンは思った。
彼女の独特の思い詰めた表情は、何か重要な決定を考えているように見えた。自殺ではないだろうが、村を出るか、誰かの愛人になるか、バラックと結婚するか、そういう決断を迫られているように見えた。
サンは自分の腰につけた袋が動いているのに気づいた。最初の頃にコボルトの親指を切って入れておいた袋だ。状況が変わって勝負などどうでもよくなったが村に見せる必要があるかもしれないので処分はしていなかった。
「うえー、集めたコボルトの指が動いてる」
「捨てちまえ」ランスの反応は冷たい。
サンは腰から袋を外した。「一応、これで勝敗を決めて報酬が払われることになってるし……」摘み上げて目の前でよく見る。血の付いた皮袋がうねうねとスライムのように形を変化させていた。もがき苦しんでいるように見える。「うえー」サンはもう一度言った。舌を出して吐く真似をしてみせた。
床に放る。袋はそこでうねうねと元気に動いた。
「やめろやめろ。そんなところに置くな」
「ランスが預かってよ」
「やだ。そのへんに吊るしとけ」
「いいの? 本当に吊るしちゃうよ」サンは床に置いた袋を拾おうとした。しかし
「どうした?」
「疲れてて拾うのも面倒くさい……」
ランスがはははと笑った。
3人が居間に戻ってくる足音が聞こえた。サンはそちらを見た。バラックを先頭に、クイが一番後ろを歩いてくる。いい回答が貰えそうだとサンは3人の表情で結論を嗅ぎ取った。床に落とした皮袋を急いで拾い、それを3人に見せた。
「コボルトの親指です。勝負は僕らの勝ちです。もうそんな状況ではないですが」
そして今度は居間の中央のテーブルに置いた。厚い革越しに中のコボルトの爪がテーブルをカツカツと叩いた。
ゾグパゾはそれを見て座らずに言った。「ワイト退治にも報酬を払う。コボルトと同じ銀貨50枚だ。合計100枚」
「コボルトと不死の化け物が同じ報酬ということはないでしょう。安すぎます」
ゾグパゾはバラックと視線を交わした。互いに頷く。「ではそこに10枚乗せよう」
「50枚。コボルトの倍をいただかないと割に合いません」
20、40、と声がかかり、130枚で合意した。サンはバラックと握手をし、続いてゾグパゾの手も握った。クイは一歩下がった位置に立って一言も話さなかった。サンと目を合わせることもしなかった。
サンはコボルト退治の分の支払いを要求し、それにも合意となった。銀貨50枚を受け取った。
「では残り80枚、よろしくお願いいたします」
「分かった」
「あの戦斧はまた貸してもらえるんでしょうか?」
バラックが前向きの表情見せた。OKの返事を言う前に見張りの声が聞こえた。
「洞窟の方からまたコボルトが来た。今度は大人のコボルトだ。人間も混じっている!」
ゾグパゾが責めるような目でサンを見た。サンは手でそれに応じた。「いや、何を考えているか分かりませんが、ちゃんと報酬分の働きをしますよ。任せてください。大丈夫です。斧は貸してもらえるんですよね?」
バラックが頷く。
「槍も? 見ての通り俺の槍が壊れちまったんで」ランスは言った。
ゾグパゾも頷いた。
クイ以外の全員で様子を見るために屋上から天守塔に上がった。戦斧は重いので一階に置きっぱなしだ。
村の状況は変わっていない。家の中の籠城を決めてからは被害は出ていない。とはいえ、北のトガタロと、その隣のトガジノの家は全滅している。ワイト化した番犬に襲われて悲惨なことになっている。
牧草地を歩いてくるコボルトたちが見えた。日の光の下でも黄色く光っているのがはっきりと分かる。これまでより色が濃い。その中でサイズの違う人間のワイトは目立っていた。ビャペラの冒険者のワイトだ。2体だけでなく、最奥で夫人の拘束の鎖にやられた若手の死体もあった。まだ見える距離ではないが喉笛の傷跡が見える気がした。
さらにもう一人、人間の子供が見える。
「テサヤコピさんのところの末っ子だ」ゾグパゾが言った。
サンも目をこらした。
コボルトに食われて食い残しが洞窟に放置されていた死体だった。最初に攫われたという子供だ。サンが見たとき、頭は残っていたが、腕や足、胴体はかなり齧られていた。それが黄色い光に包まれてテクテク歩いている。骨の白さが目立った。
天守塔の4人になんとも言えない空気が漂った。
ランスが言った。「洞窟であの死体は発見していた。まさか動くとは思わなかった。クソだな」
ゾグパゾが彼を睨んだ。
ランスも睨み返した。「クソって言ったのは夫人のことだ。なんだか理由は知らないが、死者を使って死んだあとも呪いを撒き散らしている。クソだ。こんなのは俺も見たことも聞いたこともねえ」
ゾグパゾが納得して頷いた。「あの洞窟がこんな代物だとは知らなかった。俺たちは間抜けだった」
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