第2話 過去
駅のすぐ近くにあるバイト先のお店に着くと、まだ従業員出入り口は施錠されていた。どうやら雪のせいで、鍵を持っている店長が遅れているようだった。
少しだけでも、人に話したせいか、高校を辞める前のことを思い出してしまった……
高校1年の、インターハイ直前の怪我だった。
肩関節唇損傷
治療のために要する期間は6カ月と診断された。
テニスのスポーツ推薦で入った高校だったから、ひどく居心地が悪くなった。
それでも、半年すればまた復帰できるのだから、また最初から始めればいいと思った。今までだって、怪我をしたことがないわけじゃない。あきらめなければいい。どこにいても努力さえすれば道は開けると信じて疑わなかった。
ずっとテニスだけをやっていたから、テニスしかなかった。
年が変わってようやくリハビリが終わり、肩の可動域は以前と近い状態にまで戻ったものの、全てがいちからのスタートになった。
誰に、何を言われても関係ない。
当然、テニス選抜には出られなかった。
右手首の怪我。
肩関節唇損傷から復帰した直後だった。
5週間の固定後、手首の可動性や筋肉を強化するリハビリが始まった。
大丈夫。
わたしは大丈夫……また努力すれば……
周りは、わたしと同じように中学の時から全国大会や県大会で上位に名前が並ぶ子達ばかりだったから、置いて行かれるばかりだった。
これまで以上に練習をした。
でも、わたしが練習している間、他の選手も練習をしている。
追いつけない。
また肩を痛めるんじゃないかという不安。
頑張っても頑張っても、元にも戻れない……
悔しくて。
悲しくて。
悔しい……
膝まで痛くなった時、わたしの価値はなくなってしまったと感じた。
わたしの居場所はもう、ここには、ない。
高2のGW明けに、自主退学の道を選んだ。
高校中退後、何をしたらいいのかわからなくて困った。
母を早くに亡くしていたので、父と2人きりの生活だったけれど、その父は、何も言わなかった。テニスをやっていた時も、テニスを辞めた時も、高校を自主退学した時も、何も言わなかった。
今までと同じように、経営する小さな工場へ、わたしの作ったお弁当を持って行って、同じ時間に帰って来ると、一緒に夕ご飯を食べた。
それでも、心配されているのはわかっていた。優しく、ずっと見守ってくれていた。
だから、自暴自棄になったりはしなかった。
ただ、何をしたらいいのかわからなかった。
そんな時、有名なテニスプレイヤーが白血病になったというニュースをテレビで見た。
骨髄移植で一致するドナーさえ見つかれば復帰は夢じゃないからと、いろんなメディアが骨髄バンクにドナーへの登録を呼び掛けていた。
でも、いくら提供したいという人がいても、HLAというのが一致しないとドナーにはなれない。
一致する確率は、きょうだでいで4分の1、親で30分の1、それ以外だと数百~数万分の1の確率になるという。
その人にはきょうだいがいなかった。親とも適合しなかった。
調べてみると、ドナー登録は18歳以上でしかできないということだったので、17歳のわたしにはまだ、その人を助けられるかもしれない機会すら与えられなかった。
何も出来ることがない。
ずっと、そんなふうにしか思えないでいた。
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