焔の民

フカ

第1話



この地球ほむらの民のものである。

彼らは人に似ている。姿形はそのもの。褐色の肌に黒い髪、黄金の瞳を持っている。

人類がここに興る前から、彼らはこの星にいる。


初め地球はのもので、神が焔の民をつくる。ぶくぶくと、絶えず湧き上がる溶岩流が、生命のスープへ流れ込むとき、彼らは生まれた。はじめはただの塊のような体をうじうじと動かしていたが、退屈をした彼らの神が四肢を与え、瞳を与えた。

神はまず二十の民を作り、その二十を好きに混ぜ、さらに子孫のようなものを作る。先に作った二十から、最も出来の良いものを民の長にする。采配により焔の民は人のかたちになり、神は大層満足した。

それから生まれる生き物の、そのどれよりも彼らは強く、丈夫で、美しかった。巨大な爬虫類も歯のある魚も、彼らの傍には寄らず、遠巻きにする。襲われることもない。神は、それを誇らしげにしていた。だが三十五人の民たちは、他の生物と関われないことを寂しく思っている。

彼らは滅びることはなかった。焔の民はをする。器の、肉体とされているものの寿命が来ると、彼らはみな塵芥となって、地面に積もる。そしてそこからまた不死鳥のように、生まれ落ちる。


彼らは炎と共にあった。彼らは火の山に住んでいたから、沸々とする、火口から除き見える溶岩を形作って遊ぶ。指先に灯る赤い炎を、青に変えたり、羽ばたかせる。多くの生き物は火を恐れたから、関わりを持ちたい生物を炎で模して、肩に乗せた。彼らは、暖かいことが好きだった。星のかけらがこの星に落ち、空は覆われ、氷雪が吹き荒れるようになると、薄い膜のようにした焔で皆の体と土地を守った。長い長い時間が流れる。可愛らしい、小さな生き物が地を駆け巡るようになると彼らは喜び、再び形を模した。


は神だ。彼らがそう呼ぶ。そう呼ぶかぎり、神は神だった。神はこの星の中心にいる。神はこの星そのものであり、星は彼らのものであるから、神と星と焔の民は一体だった。民は星の声を聞き、神は民へ声を聞かせた。三つのものは繋がっており、同体で、ひとつだった。



あるとき、平原に落雷が落ちる。民長の息子が夜半に様子を伺いにゆく。閃光が落ちた先には炎が燃えて、月明かりのない暗い夜にちかちかと光を添えた。

低木が燃えている。炎が揺らめくその影に、見え隠れするものがいる。

人類の祖先であった。

指の先まで体毛に覆われて、首が倒れ頭部は前に突き出していたが、ふたりで佇む人の祖先は二足で大地に立っている。そして興味深そうな顔で、炎を見つめている。

民長の息子は面食らった。炎を恐れない生き物を、特段哺乳動物で見るのは、初めてだった。

神は声を聞かせ止めたが、息子は彼らに近づく。祖先は気づき、一度慄いたが、息子を視界に止めると立ち止まる。祖先の瞳が丸く開かれる。

息子は炎に手をかざし、笑ってみせた。そして炎に指先を触れ、すぐに引いてみせた。

祖先も同様にした。左の祖先は手をかざし、右の祖先は炎に触れる。軽い悲鳴が聞こえたのち、彼らは顔を見合わせる。

息子は枝をひとつ手折る。枝先に炎がある。それを地へ置き、砂で覆う。炎は消える。祖先は神妙な面持ちで、それを見つめる。

そして彼らも息子がしたように各々枝を折り、携えて、暗闇に消えていく。

息子はいたずらをする。自制心よりも、喜びのほうが大きかった。直立し、自らを敬遠しない生物。しかも炎を恐れない。同胞だ、と彼は思った。低木に燃える炎の中に、自らの炎を少しだけ混ぜた。これであの枝の炎は、この星のあらゆるものから守られる。


息子は火口へ駆け戻り、民に語って聞かせた。民長は、息子の額を引っ叩き、そのあと肩を抱いてやった。眠っていたものも起き出して喜び、空に火花を散らせる。炎が暗闇に踊る。その間、神は口をつぐんでいる。



暫く、民長の息子は戒めとして、少し体温を下げられた。森の枝葉が落ちていたから、ずいぶんこたえた。それでも彼は興奮していた。人類の祖先は、炎で木の実を炙り、口にした。焔の民の炎が混ざり、祖先も彼らと一体となる。

息子は彼らの声を聞く。明るい。暖かい。祖先が喜ぶとき、長の息子も胸が踊った。それを民にも聞かせた。皆、自分のことのように顔をほころばせる。


それからはとても早かった。人類は凄まじい速さで進化していく。数が増え、星中に広がり、文明と社会を築いていく。

人類が神をつくったときも、民は大いに喜んだ。同じことをしている。同じ生き方をしている。唯一無二の同胞に、唯一無二の存在が出来うることが素晴らしかった。

ずいぶんと薄まってはいたが、炎と混ざった祖先の子孫も粛々と生きていた。穀物が実る喜びや、巡る四季への心。喉を潤す水。人の中で生きる喜び。それらの声が聞こえるたびに、民は微笑む。ただ、時が過ぎるにつれ、聞こえてくる声に悲痛なもの、やかましいもの、複雑なものも増えていく。

神は、人類と関わることを禁じた。人類がついに、彼らの住む地まで到達したからだ。

多色の衣を身に纏い、体毛はあごと頭部のみ。彼らは長の息子を見つけると、話しかけてきた。人類のつかう多数の言語のなかで、一等多くの人々が話すもの。一言三言話すと、人はにこやかに右手を差し出してくる。息子も手のひらを差し出す。触れた瞬間、人は手を引く。彼らの体温は、とても高い。

そのときの人類の顔を、長の息子は忘れられない。

踵を返して岩陰へ潜る。声を、民の全員へ送る。

火口の北の深い森へと身を隠した。

その日のうちに、慣れ親しんだ場所を離れ、彼らは更に険しい火山窟へと移動した。

それでも、人類は未開の地を開き続ける。声を聞き、彼らは各々が火口の民として、人類に知れたことを知る。彼らは森へ移った。前人未到の深い深い森へは、ようやっと誰も来ない。彼らは炎を絶やさず灯し続けた。長雨には膜を作った。代替わりが早くなる。長の息子も三度朽ち、また生まれた。それでも三十五人の焔の民達は、人類を見守り続ける。かつて同胞だと信じた彼らの行く先を、最後まで見ていたかったから。


だが神は、それを許さなかった。

あるとき深い森の中に、炎の壁が建てられる。

焔の民の誰の炎でもない。それは彼らの神の炎だった。

焔の神は、この星をまた取り戻そうとした。

星の全ての火口から、噴煙と灰と溶岩が流れ出る。火山岩が地に突き刺さる。煙が空を包み込む。炎の河が大地を焼き尽くす。

人類の悲鳴が聞こえる。恐怖が体に響いてくる。それでも、五重の神の炎の壁を、抜けられる者は誰もいない。

永遠のような時間が過ぎて、沈黙が訪れる。

炎の壁の中心が、溶けるように消えて道になる。

民はそこから星を見た。生命の気配はなにもない、焼け果てた黒い大地が、ひたすらに続いていた。


民は皆神へ問いかけたが、返事はない。返事はないが、存在は感じた。神は眠りについた。

呆然と膝をつく、長の息子の肩に手のひらが触れる。民長の手は温かかった。

民長は皆の前へ進み出て、神の炎に手をかざした。

瞬間、壁は崩れ落ち、無数の火球が空に舞う。

火球の数は、星にいた人類の数と同じだった。

散り散りになった火球が帰る。人が暮らしていた場所へ。

民長の背が崩れ落ちる。衣と、灰が残った。

焔の民には涙はない。声も出ない。長の息子はただ、体を引き裂かれるような痛みに耐えた。返ってこない問いの答えが彼を蝕む。どうすれば良かったのか、誰もわからない。


ずっと沈黙が続いたあと、民のひとりが地に伏した。眠ろうと思った。一人、また一人と大地に体を預けて眠りにつく。最後に残った民長の息子は、長の灰と、皆の頭上に膜を作った。

薄い炎がきらきら光る。息子は仰向けに体を横たえて、それを眺めながら眠りについた。



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