第3話 魔法少女とラスボス(?)
「あ゛~」
もう人生で何億回目かわからない溜息を吐くのは、悪の組織の戦闘員として長年務めてきた全身タイツ男である。
今日も今日とて、平日の昼下がりの公園で意味も無く呼吸を繰り返しているだけの生物だ。
春の晴天の下、ぽかぽか日差しに当たりながら溜息を吐く様は、二酸化炭素製造機と言えなくもない。
「あ」
そんなベンチの真ん中で、股を広げて天を仰ぐ全身タイツ男を見つけてしまったのは一人の女子中学生だ。
今年で十五になる少女は、愛らしくも桃色の髪をツインテールに結っていて春の風に靡かせていた。
魔法少女に変身していない時のマジカルピンクである。
本名、桃川 咲良。
「......。」
咲良は何も見なかったことにして、公園の脇の道を通り過ぎようとした。ここは通っている学校の帰り道のため、通ってしまうことは仕方の無いことだが、まさかまた中年タイツを発見してしまうとは。
声を掛けられる前に立ち去ろうとした桃川咲良であった。
が、
「おーい。挨拶くらいしてけよ、マジカルピ――」
「ああー!! ああー!!」
全身タイツ男はそれを許さなかった。
咲良の正体を知っているため、正体をバラすという脅しを使った正真正銘のクズ男であった。
クズタイツであった。
「ちょ、ちょっと。正体バラすのやめてくださいって言いましたよね?」
桃川咲良は全身タイツ男に近づいて注意した。
「わりーわりー。でも挨拶くらいしろよ。日頃世話になってんだろ、俺に」
「......。」
前回のコンプラの話はどこに行ったのだろうか。桃川咲良の額に青筋が浮かぶ。
コンプラタイツはベンチに座っている腰の位置を横にズラして、その空いたスペースを咲良に指し示した。咲良は泣きたい気持ちを押し殺して腰を下ろした。
ベンチの端に。
「お前、ちゃんと学校行ってるのか?」
「え?」
まさかの話題に、咲良は間の抜けた声を漏らしてしまった。
「いや、今何時だよ。まだ授業中だろ、今。ダメだよ、パチンコに行っちゃ。お小遣いは大切に使いなさい」
「ぱッ?! い、行ってませんよ! 魔法少女を何だと思っているんですか?!」
自分で正体をバラしていくスタイル。
「え、じゃあ......ウマ?」
「違いますって! テスト! テスト期間だから、午前中で学校が終わるんです!」
「ああ、テスト。テストね。将来、そこでテストした知識はほとんど使わないアレね」
「現役中学生にエグいこと言う大人......」
「悪の組織の戦闘員だからな」
ドン引きする咲良は溜息を吐いた。
咲良も現役学生にしては、そこそこ溜息が多い性分である。その理由は言わずもがな。
「タイツおじさん、今日はやけに嫌味ったらしいですね。何かあったんですか?」
「タイツおじさんって......。お前、俺と会って数回だろ。なに知ったような口利いてんの」
「そういうとこです」
タイツおじさんはそんな咲良の呆れた様子に観念して白状した。
右手を軽く前に出して、何かハンドルのような物を掴んだ仕草でクイクイ。
「......負けたんだよ」
「......。」
咲良は居た堪れなかった。
どうやらタイツおじさんはパチンコで負けてしまったらしい。そりゃあ学校のテストが将来何の役に立つんだ、と言いたくなる訳である。
しばしの沈黙の後、公園の賑やかさに負けて話題を変えたのは桃川咲良であった。
「そ、そうでした。タイツおじさんに聞きたいことがあったんでした」
「?」
「前回、怪人カマキリ女帝さんがタイツおじさんのことを“先輩”と呼んでいましたよね? 職場ではタイツおじさんの方が上司なのでしょうか?」
先日、魔法少女<マジカラーズ>は悪の組織の戦闘員たちと交戦した。その際、怪人カマキリ女帝が下っ端戦闘員である全身タイツ男のことを“先輩”と呼んだ上に、敬語を使っていたのである。
誰がどう見ても上司に当たるのは怪人カマキリ女帝だと思われたが、あの時の女帝の腰の低さは尋常じゃなかったのが咲良の記憶に新しい。
「ああ~、あいつは俺が入社して八年くらい経ってから入ってきた後輩だからな。もうあいつの方が俺より階級は上だけど、名残りで呼んできただけだよ」
この全身タイツ、少なくとも八年も悪の組織に務めているのか。そんな驚きが咲良の胸にあった。
「それより大丈夫か?」
「え? 何がですか?」
一瞬、何の話かわからなかった咲良は、全身タイツ男が自分の仮面の頬の部分をトントンと指で差す仕草を見て思い出した。
先日の戦いで、咲良は怪人カマキリ女帝から頬に傷を受けてしまったのである。
当時は傷の痛みなんかよりも、目の前の全身タイツが誰彼構わず説教する光景が印象的だったので忘れていた少女であった。
「あ、ああ。大丈夫です。魔法少女は自然治癒力が高いので」
「へぇー。そりゃあいいな。腰痛になっても湿布貼らずに済むってか」
なぜ腰痛。咲良はツッコみたい衝動を抑えた。
そんな少女に対し、どこか言いにくそうに全身タイツ男が口を開いた。
「まぁ、その、なんだ、あいつも悪気があったんじゃないんだ。普段はちゃんと仕事できんだが、偶に凡ミスしちゃう奴でさ」
「は、はぁ」
「次は大丈夫だと思うからよ。あんま怖がらないでやってくれ」
「......。」
悪の組織の戦闘員を怖がらないでほしい、とはこれ如何に。
妙に先輩感が滲み出ている全身タイツ男を不思議に思ってしまい、咲良は聞くことにした。
「え、えっと、タイツおじさんは今までずっと下っ端――全身タイツ姿の戦闘員だったんですか?」
適切な言葉が思い浮かばなかったにしても酷い質問である。しかしそれでも答えるのが大人だ。
「いや、昔は違ったな。<七天王>って知ってるか?」
「え、<七天王>? <四天王>ではなく?」
タイツおじさんは咲良の返答を受けて苦笑した。尤も、仮面越しのため、その表情は咲良にはわからない。
「まぁ、もう随分と前の話だからなぁ」
「?」
「なんでもない。さてと、仕事に戻るか」
「え゛」
咲良の口から間の抜けた声が漏れる。全身タイツ男が仕事に戻るということは、悪の組織の活動が始まるということだ。
咲良が密かに緊張していると、全身タイツ男は背を向けたまま手を振った。
「あほ。仕事は魔法少女の相手だけじゃねぇんだよ。元々外回りの途中だったんだ」
悪の組織の戦闘員がする外回りとは。咲良の中にまた一つ、謎が積まれた瞬間であった。
これはそんな少女と中年が描く、何気ない日常の一端である。
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