席替え

 年が明け、短い冬休みが終わり、三学期が始まった。


 翔太のクラスでは、各学期の最初の週に席替えを行う。席は男女に分かれてそれぞれくじを引いて決める。


 翔太は藤井と二年間同じクラスだが、一度も隣の席になったことはない。それどころか離れた席になってしまうことの方が多い。


 だが今年の翔太は一味違った。隣になるための布石は既に打ってある。なんとお正月に家族で初詣に行ったときに、神様にお願いしておいたのだ! しかも賽銭箱には奮発して五百円玉を投入。これだけでも勝利を確信できたが、そのあとに買ったおみくじでも大吉を引くことができた。待ち人の欄には「来る 喜びあり」と書いてあった。これは完全にツキが来ている。


 教卓の上にくじ引きの箱が二つ置いてあり、男子と女子に分かれて列を作っている。翔太は自分の番が来ると、迷いのない手付きで最初に触れたくじをそのまま引いた。


 くじには座席表に対応した番号が書かれている。翔太が引いた番号は九番。男女ともに十八人ずつなので、教室の真ん中辺りの席だ。まさに世界の中心。いや、宇宙の中心に位置する場所と言っても過言ではないだろう。


 教卓の後ろには担任の松山先生がいる。三十代の男性で背は高く、筋骨隆々だ。そんな先生に翔太は勝ち誇った表情を浮かべ、くじをカードゲームの切り札のように見せた。先生は顔をしかめる。


「俺に見せてどうする。早くどけ」


「ふっ」


 颯爽と去っていく翔太。先生は「こいつ、いよいよやべーな」と心配し始めた。


 全員がくじを引き終わると席の大移動が始まり、教室中が机を動かす音で満たされていく。翔太も自分の机を運んだ。両想いにはなれなくても、最後くらいは藤井と隣の席になりたい。


 教室の真ん中、九番の位置に到着すると、ちょうど隣に来ていた女子の方を向いた。


 そこには、藤井がいた。待ち望んでいた存在が、驚いた表情でこちらを見ていた。


 翔太もびっくり仰天する。


「ぎゃあああっ、ホントに来たあああああ!」


「うっさいわよ!」


「いや、今のは隣に別の人が来て『違うんかーい!』ってずっこける流れだったろ」


「知らないわよ。何? 山田は私じゃなくて別の子が良かったのかしら?」


「そんなことはないです!」


 藤井は少し考えたあと何かに気付いたような顔をして、翔太に耳打ちをした。


「くじ引きで何かズルした?」


「してないよ!」


 でも賽銭箱に五百円を入れた話は恥ずかしいので黙っておくことにする。


 帰りの会が終わるとクロと矢島も翔太の席にやって来た。この二人の席はバラバラに離れている。


「ギャハハ、まさかお前らが隣になるとはな。これからは翔太の席に集まると藤井のツッコミが飛んで来るんだな!」


「藤井さんの休み時間の離席率が大幅に下がりそうですね!」


 楽しそうにはしゃぐクロと矢島。藤井はそっぽを向いた。そこで矢島はターゲットを翔太に絞って問いかけた。


「で、隣の席になるなんて一体どんなトリックを使ったんですか?」


「使ってないよ! お前らもっと友達を信用しろよ!」


 考えることはみんな同じのようだ。でも賽銭箱に五百円も入れた話はやっぱり恥ずかしいので、この二人にも黙っておくことにした。



 翌朝、翔太が教室に着くと、藤井は先に来ていて自分の席に座っていた。翔太に気付き、少し照れくさそうに微笑みながら声をかけてくれた。


「おはよう」


「あぁ、おはよう」


 学校に着くとすぐに藤井と話せるなんて、朝から幸せなことだと思った。


 そして一時間目の授業が始まるとき、国語の教科書を忘れていることに気付いた。翔太はたまにやらかすが、こういうときは隣の席の人と机をくっつけて見せてもらうことになっている。つまり、なんと藤井と机をくっつけて授業を受けられるのだ。


「教科書忘れちゃったから見せてくれない?」


 翔太がヘラヘラしながら訊くと、藤井は疑いの眼を向けてきた。


「もしかして、わざと?」


「わざとじゃないって」


「ま、いいけど」


 藤井は机を翔太の方に近づける。翔太も机を近づけ、二人の机がくっついた。その中心に教科書が置かれる。


 藤井が近い。これはもう授業なんか聞いている場合ではない。すると教壇の上にいる先生が言った。


「それじゃあ、九十八ページの三行目から、教科書を忘れた山田読んでくれ」


 教科書を忘れたことは先生には当然バレる。仕方がないので、言われた箇所の音読を始めた。


 途中で、針葉樹の読み方が分からなかったので当てずっぽうで言ってみた。


「そして、はりはきのー」


 すると、藤井が先生より先に小声で正しい読み方を教えてくれた。


「しんようじゅ」


「しんようじゅの林に入り……」


 翔太は藤井の言葉をオウムのように繰り返す。そのあとも漢字の読み方を間違える度に藤井が小声で教えてくれて、翔太はその通りに言い直した。


 雲海。


「くもうみ」


「うんかい」


「うんかい」


 負傷。


「まけきず」


「ふしょう」


「ふしょう」


 暑い。


「しょい」


「あつい」


「あつい」


 先生やクラスメイトにはバレていそうだが、こんな調子でなんとか読み切ることができた。授業が終わると、翔太は藤井にお礼を言った。


「サンキュー、色々助かったよ」


「寝る前にちゃんと明日の用意ができてるか確認すること。あと漢字は読書をして覚えなさい」


 藤井はお母さんみたいなことを言い、自分の机を元の位置に戻した。


 それから二時間目、三時間目、四時間目と授業をこなしていき、お待ちかねの給食の時間が来た。


 翔太のクラスでは、男子三人、女子三人の計六人で机をくっつけて一つの島を作る。男子と女子はそれぞれ向かい合う形となる。つまり毎日藤井と向かい合ってご飯を食べられるのだ。まるで結婚したみたいで幸せだ。他の女子では、そんなこと考えたこともなかったのに。とにかく顔が緩んでしまう。藤井も翔太が何を考えているのか何となく分かってしまい、微かに頬を染めた。


 今日のメニューは白米、卵とワカメのスープ、チンジャオロース、みかん、あとはいつもの牛乳だ。翔太はピーマンが苦手なのでチンジャオロースの具を選り分ける作業から始めると、藤井が目ざとく注意した。


「山田、なにピーマンよけてんのよ」


「だって嫌いなんだもん」


「好き嫌いしてると大きくなれないよ」


「だって苦いんだもん」


「うーん、お菓子に混ぜて食べさせれば克服できるかな……」


 恐ろしいことを口走る藤井。


「いや、ギリギリ君のピーマンの肉詰め味も無理だったから」


 夏休み、カブトムシのお墓を作ったあとにコンビニで買った棒アイスの話だ。


「あ、だからあのとき不味いとか言ってたのね」


 周りのクラスメイトたちは口を挟まないが、「それは誰でも不味いと思うよ」とか、「この二人、もう一緒にアイスを食べる関係なのか」とか、色々なことを考えていた。


 結局藤井に監視し続けられたので、翔太はピーマンを完食する羽目になった。恋とはときにほろ苦いものだ。


 そして五時間目の授業が始まる前に異変が起きた。藤井が青ざめているのでどうしたのか訊いてみると、どうやら算数の教科書を忘れたらしい。


「私、今まで一度も教科書忘れたことなんてなかったのに、まさかこのタイミングで……」


 翔太はニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべた。


「もしかしてわざと忘れた? 寝る前に明日の用意ができてるかちゃんと確認しなきゃダメだぞ」


「ぐぬぬぬ……」


「ごめんごめん、ちゃんと見せてあげるから」


 そう言って翔太は机を近づける。


「ありがとう……」


 藤井も机をずらし、二つの机が再びくっついた。本日二度目なのでちょっと恥ずかしい。しかも教室のど真ん中の席だから、クラスのみんなに注目されている気がしてしまう。


 授業が始まると、再び松山先生に気付かれた。


「なんだ、山田、また教科書忘れたのか?」


 日頃の行いの違いなのか、翔太の方がまた忘れたと思われている。藤井は誤解を正そうと口を開きかけるが、翔太の方が先に声を発した。


「すいませーん、また忘れちゃいましたー」


 頭を掻きながら能天気な調子で答える翔太。言葉を失う藤井にクラスメイトは気付かず、くすくすと笑っている。


「ったく、気を付けろよー」


 先生は大して気にするわけでもなく授業を続け、そのあとは特に何も起こらず無事に乗り切ることができた。


 授業が終わるやいなや、藤井が小声で尋ねてきた。


「どうして山田が教科書忘れたなんて嘘吐いたのよ」


「さっき、音読のとき助けてくれたからな。そのお返しってだけ」


「ふぅん。あ、ありがとね……」


 藤井がそう言って目を逸らすと、二人は名残惜しそうに机を離した。


 それから帰りの会も終わり、今日も学校で過ごす一日が終わった。


「山田、じゃあね」


「ああ、じゃあな」


 一緒には帰らない。でも三学期は、毎日隣の席の藤井と「おはよう」「じゃあね」って言い合えるようになった。ただそれだけでも充分に満たされ、たまらなく嬉しい。

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