ラブラブ裁判③

「まだ何かあるんですか?」


「大丈夫、本当にこれで最後にするから」


 だが藤井は思い直し、翔太のことが好きだと宣言する禁じ手は使わないことにした。誰もが得するはずなのに、誰にとっても良くないことである気がしたから。


 彼女は考える。そもそも好きって一体何なんだろう、と。


 確実に藤井のことが好きだと思えるのは、もう翔太しかいない。だから、彼の言動から「好き」の定義を仮定するしかない。これは裁判、偽りではなく本物の想いを根拠とするべし。それに裁判長も翔太だ。どんな理屈であれ、彼一人に響きさえすればいい。


 しかし藤井が向いたのは、翔太ではなく隣にいるクロの方であった。


「黒田」


「な、何だよ」


「運動会のときの話をするね。私、リレーで勝てなかったときとても悔しかった。でも戻ったら、黒田が誰よりも早く私を励ましてくれた」


「あ、ああ」


「教えて。どうして黒田はあのとき、私のもとへ来てくれたの?」


「ど、どうしてって……。だってお前頑張ってたじゃねーか! 優勝するために自分から選手に立候補して、二組と差つけられてたのにギリギリのところまで追い上げてさ。あんだけ速かったら褒めて当然だって!」


 クロが言い切ったあと、教室が静まり返った。


 藤井には恋の駆け引きなんてできない。だが過去の経験と比べて考えることはできる。矢島と二人で夏祭りに行ったとき、あとから翔太が必死な顔で現れて驚かされた。どうしてここにいるのか訊いたら、ただ一言「好きだから」と言われた。だからクロも本当に藤井のことが好きなら、ごちゃごちゃ言わずに「好きだから」と答えるべきだったのかもしれない。恋愛において正しい答えというものはないが、今この場において裁判長は翔太なのだから。


「ありがとう。本当に嬉しかったよ」


 藤井はクロに微笑み、お礼を言った。クロの方は何が何だか分からないという表情を浮かべている。翔太にも藤井の質問の意図は分からないかもしれない。でも藤井は、翔太が何かを感じてくれると信じることにした。


「以上よ。話せることは全部話した。あとは裁判長に任せる」


 矢島と宇田川は何も反論しない。教卓にいる翔太に注目が集まる。翔太は今までに見せたことのない戸惑いの表情で俯いていた。そう、この裁判で自分の知らない藤井とクロのエピソードを次々に聞かされ、山田翔太は遂に、遂に……モヤモヤし始めた!


 夏祭りの日、藤井と矢島のことを捜しているときも似たような焦りを無意識のうちに感じてはいた。そのときは自覚することができていなかったが、今はその感情にはっきりと気付いてしまっている。


 やがて翔太は力のない笑みを浮かべ、静かに話し始めた。


「矢島、ありがとな。僕、好きっていうのがどういうことなのか、ちょっと分かった気がするよ」


「翔太……?」


 翔太は俯き、自分に言い聞かせるように気持ちを整理しながら、ゆっくりと言葉を紡いでいく。


「今までは藤井に好きな人ができれば、それが藤井にとっていいことなら、それでいいと思ってた……。けど今は違う。僕は、藤井とクロが両想いっていうのが、なんか嫌になった」


 そして顔を上げ、藤井を真っ直ぐに見て言い放った。


「藤井には、僕のことを好きになってほしい。他の人じゃ嫌だ」


 藤井は驚いて目を見開く。彼女の最後の質問は、思わぬ形で翔太の心に刺さっていたのだ。問題は、翔太がラブラブ罪の罰を利用して二人をどうかだ。


 続いてクロの顔を見る。


「クロ、ごめんな」


「ま、まさか……お前……」


「いや、聞いてくれ」


 翔太はかぶりを振る。そして話を続けた。


「それでも一番大事なのは、藤井が毎日楽しく過ごすことなんだ。だから僕はクロと藤井を引き離さない。けど! その上で藤井に僕のことを好きにさせてみせる」


 翔太は両手で教卓を叩き、力強い声で宣言した。


「これが判決だ。二人はラブラブ罪じゃない。この裁判は、藤井とクロチームの勝ちだ」


 教室が再び静まり返る。すると、クロがふっと息を漏らして独り言のように呟いた。


「完全に、みたいだな」


 藤井も恥ずかしさを誤魔化すように口を開く。


「ま、まあ山田の気持ちはさておき。宇田川さん、ずっと気になっていたんだけど」


「何?」


「幼稚園だよね、黒田と出会ったのは。どうして黒田のこと好きになったの?」


 宇田川の恋の始まり。藤井としては知っておきたいところだ。


「……あたしは昔おどおどしていたから、よく男の子にからかわれたり、いじめられたりしたの。でも、そんなときいつも助けてくれたのがクロ君だった。でもクロ君、その頃から他の男の子より力が弱かったから、ケンカでは勝ち目がなかった。そこで、言葉の暴力でいじめっ子を泣かせてくれたのよ」


「えっ」


 藤井はギョッとした。悪口だけで撃退できるなんて、どんな酷いことを言っていたのかあまり想像したくない。


「小学校に上がっても、クロ君の毒舌はパワーアップし続けたわ。でも五年生からはクラスが変わっちゃった。まあ、あたしももういじめられることはなくなったんだけど」


 宇田川と入れ替わるようにして、翔太と矢島と藤井が初めてクロと同じクラスになった。クロの影響なのか宇田川もふてぶてしくなり、彼女をいじめる者はいなくなった。


 藤井はその話を聞いてニヤニヤし始めた。


「黒田の口が悪くなったのは、体が小さくても宇田川さんを守れるようにするためだったんだ。へぇー、カッコイイじゃん」


 顔を真っ赤にするクロ。藤井はそんな彼を肘で小突いて言った。


「今日宇田川さんと話さなかったのも恥ずかしかったからでしょ。こんなのもう決まりじゃない。やっぱり私と黒田はお互いに片想いですらなかったのよ。全ては黒田と宇田川さんの勘違いだった」


 藤井は手を伸ばし、宇田川を指差した。


「黒田、もう迷ったり恥ずかしがったりしてる場合じゃないわ! あのチームに、とどめを刺してやりなさい!」


 クロは真剣な顔つきで宇田川の目を真っ直ぐに見た。彼女の心臓が急激に高鳴る。


「ああ。俺はずっと、宇田川のことが好きだった……」


「はわーっ!」


 宇田川は嬉しさと恥ずかしさでいたたまれなくなり、走って教室から出て行ってしまった。藤井が慌ててクロに声をかける。


「黒田、追いかけなくていいの?」


「お、お、お、お、おう……」


 クロは顔が真っ赤で、手足も生まれたての小鹿のように震えていた。


「アンタも同じかーい!」


 結局宇田川を追いかけることはできず、ラブラブ裁判は閉廷となった。全ての決着がつき、夕暮れの教室には三バカと藤井が残されている。


 離れた位置に立っていた四人は教室の中央に集まる。今度は藤井が矢島に詰め寄る番となった。


「矢島、これは一体どういうことなの?」


「やだなぁ、そんな怖い顔しないでくださいよ」


 矢島はこれまでの経緯を説明した。修学旅行のときにストーカーをしている宇田川を見つけ、彼女の身の上を聞いたこと。意気投合して、裁判ごっこをやることにしたこと。三人は半ば呆れながらその話を聞いていた。変人と変人が出会うとこんなことになってしまうのかと。


 藤井が腕組みして言った。


「ま。でも結局、全部丸く収まって、矢島の狙い通りってわけね」


 矢島の目的が「誰が藤井にふさわしいのかはっきりさせること」であったということまでは話していない。結果的には、翔太の想いの強さを目の当たりにしたクロが身を引く形となった。


 矢島は続いて、藤井への告白について話をした。本当はすぐに嘘だと言うつもりだったが、藤井の悩みの件があって言い出せなかったこと。夏祭りの日、それを藤井に話したこと。ただ、自分が同学年の子供より進んだ知能を持っている人間であると藤井に教えたことについては話さなかった。


 矢島の話が一通り終わると、翔太は首を傾げた。


「えーっと、矢島が好きじゃなかったことは藤井も前から知ってて、クロも藤井が好きってわけじゃなくて……。お前らのせいでよく分からなくなってきたな。つまり、僕たちはどういう状況になってるんだ?」


「簡単です。まとめると、藤井さんのことが好きなのは翔太だけってことです!」


 教室が一瞬静まり返った。翔太と藤井の目が合う。思わず目を逸らす藤井。翔太はハッと気付いたように言った。


「それってなんか、僕がめちゃくちゃ物好きみたいじゃないか!」


「好きな人の前で言うこと!?」


 藤井がツッコみ、クロは大笑いした。


「ギャハハ、今のは問題発言だぜ! お前も藤井が好きってのは嘘なんじゃねーか?」


「どうします? 翔太のことも裁判にかけますか?」


 矢島が嬉々として尋ねると、藤井は顔を赤くして言った。


「別にいいわよ。こいつの場合、そんなことしなくても分かってるし……」


「恋が分からないのに、そういうことで照れたりするんですね」


「友達や家族だって、素直に好きって言われたら照れくさいでしょ? そういうのと似てるってのは分かるんだけど……」


 矢島は何も言わずにニヤニヤしている。


「ああもうっ。私も帰るねっ。あとはアンタたちで好きにしなさい」


 藤井はランドセルを背負い、そそくさと教室から出て行ってしまった。一人、また一人といなくなり、教室にいるのは三バカだけだ。


 ケジメをつけなければならないことがある。矢島はクロと翔太の顔を見た。


「さっきも言いましたが、僕は藤井さんのことが好きだと、二人にもずっと嘘を吐いていました。これは酷いことです。これからも二人の友達でいられるかどうか……」


 矢島は自分を責めて気落ちしている。するとクロは翔太と目を合わせたあと、矢島に向かって言った。


「藤井に好きな人ができるってのは最初、翔太の願いでもあった。お前はダチの願いを叶えようとしたんだろ」


 続いて、翔太も矢島に向かって微笑んだ。


「それにこの裁判でも、矢島は僕に色々教えようとしてくれたんじゃないのか」


「それは……」


 翔太とクロは優しい追い打ちをかけていく。


「要するに、矢島はみんなのことを考えてくれてる優しい奴ってことだろ?」


「それくらい、俺たちが分かってないとでも思ってたか、バーカ」


 全てを見透かしているかのようにほくそ笑む二人。矢島は一瞬言葉を失うが、すぐに笑顔になった。


「ハハハ、僕はやっぱりバカ野郎です」


 クロも安心したかのように小さく笑う。それから今度は翔太に向かって言った。


「なあ。もう藤井の悩みが解決することが一番大事だとは思ってないんだよな?」


 クロが翔太の目をじっと見る。翔太も視線を逸らさずに正面から受け止めた。


「クロ、もしかしてお前……」


 だがそこで言い淀む。クロの気持ちは、恋を知らない藤井によって半ば強引にまとめられてしまったが、結局いつから、どのような感情を藤井に抱いていたのかはクロ本人にしか分からない。


 しかし、何でもかんでも打ち明けるのが親友というわけでもない。話さなくても、ある程度は分かることだってある。ときには相手を信じ、話さないという判断を尊重するのもまた友情の形なのだ。


 翔太はクロの質問に答えた。


「ああ、僕以外の誰かを好きになってほしくない。初めてお前らにも藤井をあげたくないって思ったよ。好きって、きっとそういうことだったんだな」


 翔太の瞳の奥に、小さな決意の光が宿る。それが翔太にとって本当の意味で、初恋の始まりとなった。


 クロはふっと笑う。


「じゃあ、頑張らないとな」


 翔太も表情を和らげる。


「おう。それで、僕は一体どう頑張ればいいんだ?」


 クロと矢島は顔を見合わせ、声を揃えて言った。


「……さあ?」

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