修学旅行②
修学旅行の二日目。翔太は部屋のメンバーの中で最初に目覚めた。いつもと違う場所でクラスメイトたちと一緒に起きるというのは何とも不思議な気分だ。寝ているみんなを一人一人順番に、体を踏みつけて起こしていく。クロがキレた。部屋を片付け、大部屋で洋風のちょっと豪華な朝食を食べたあと、一同はホテルをあとにした。
二日目はまず博物館へ行き、地域の自然や地形、火山活動について学習した。その次は鍾乳洞を見学するため、バスで移動だ。見晴らしのいい山道をしばらく走ると、白い岩壁の下にある広い駐車場に着いた。
バスを降りて鍾乳洞の入り口に向かって歩いているとき、翔太がクロに尋ねた。
「ねぇ、鍾乳洞に生えてる氷柱みたいなやつって何て言うの?」
「鍾乳だろ。鍾乳洞なんだし」
鍾乳石である。
「じゃあチンコみたいな鍾乳見つけた奴が勝ちにしようぜ!」
三バカに突如訪れた空前絶後のチンコブームは未だ衰えることを知らない。こうして鍾乳洞見学が始まり、一同は中へ足を踏み入れていった。
鍾乳洞の道は暗くて寒くて狭い。所々にある照明を頼りに、一列になって見学用通路の上を歩いて行く。しかし、自然の神秘によって創られた鍾乳石の造形は美しい。広い空間で無数の鍾乳石がライトアップされている場所では、児童たちはみんな幻想的な光景に心を奪われた。
三バカは矢島、翔太、クロの順で歩いていた。しばらく経った頃、矢島が後ろにいる翔太に訊いた。
「チンコみたいな鍾乳ありましたか?」
「え? あー、別にもういいかなぁ」
なんか急に飽きた。ブームとはいつの時代でもそういうものである。
一方、藤井は女子のグループと一緒に歩いていた。藤井が先に階段を下りようとしたところで、鍾乳石から水滴が落ちて頭のてっぺんに当たった。
「きゃあっ」
びっくりした勢いで、走るように階段を下りてしまう。そして階段の先にいた人の両肩に掴まって、ようやく止まることができた。
「ごめんなさいっ」
慌てて手を離す。すると前にいた人がこちらを振り向いた。
「ん?」
クロだ。ぶつかったのがたまたま親しい人だったので少し安心した。
「なんだ、黒田か」
「何やってんだ?」
「ちょっと階段で滑っちゃって……ごめんね」
「ああ、気を付けろよ」
クロは特に気にしていない様子で、さっさと先へ歩いて行った。一緒にいた女子が小声で藤井に言う。
「藤井さんってば大胆だね……。やっぱり本命は黒田君だったんだ」
そういえば三バカに告白された日の朝、クロが後ろからぶつかって来たことをふと思い出した。こういうのは好きな人に対して取る行動なのだろうか。
「だから、そんなんじゃないんだってばー」
昨夜の恋バナの余波で、妙な誤解をされてしまう藤井なのであった。
鍾乳洞見学が終わり、一行は観光地にある食堂でカレーライスを食べた。そのあとは、併設されている広いお土産売り場で最後のお買い物タイムだ。
三バカでお土産を見ているときに、矢島はねっとりと絡みつくような視線を感じた。トイレに行くと言ってその場から離れ、辺りを見回すと案の定ストーキングをしている宇田川を見つけた。とりあえず声をかけてみる。
「宇田川さん」
「矢島の人」
「調査は順調ですか?」
「ぼちぼちといったところ」
宇田川は平然としている。修学旅行で単独行動しているというのに。これではぼちぼちではなくぼっちぼっちではないかと思い、矢島は提案した。
「ふむ……。それなら折角の修学旅行ですし、宇田川さんもクロと話したらどうですか?」
「えっ」
宇田川は狐につままれた。
「僕が翔太を連れてどこかに行くので、宇田川さんはその隙にクロに話しかけてください」
「えっ、えっ」
「大丈夫、僕に任せてください!」
矢島はウインクをして、すぐに翔太とクロのもとへ戻ってしまった。
何も大丈夫じゃない。宇田川はそう叫びたかった。だけどクロとはもう一年半くらい話していない。いくら運命の赤い糸で結ばれているとはいえ、これはいかがなものかと自分でもちょっと思う。
何を言ったのか分からないが、矢島が翔太を連れ出し、クロはその場で待っているような状態になった。だけど宇田川は心の準備ができてなくて、高鳴る鼓動を抑えるので精一杯だ。
今更何を話したらいいかなんて分からない。でも矢島が作ってくれた絶好の機会だ。体中の勇気を小さな右足に集めて、なんとか一歩を踏み出そうとする。
だが、そのときだった――。
商品棚の陰から突然、藤井と二人のクラスメイトが現れた。
「ほら、藤井さん。黒田君が一人になったよ。今がチャンス!」
藤井はクラスメイトに背中を押されている。どうやら彼女も、クロに話しかけろとけしかけられているようだ。藤井は抵抗していたが、やがて諦めクロのいるところへ向かった。
宇田川の塵のような勇気は散り散りになり、元のストーカーモードに戻ってしまった。とりあえず棚の陰からクロと藤井の様子を盗み見ることにする。
クロの横まで来た藤井は、自分より小さい彼のことをまじまじと見てみた。マッシュルームヘアーの頭から、黒い運動靴の爪先まで。
「黒田かぁ……」
「何だ? いきなり来てジロジロ見て失礼な奴だな」
藤井が相手でもしかめっ面を見せるクロ。すると藤井はクロの耳元に顔を近づけ、囁くような声で訊いた。
「ねぇ、今日はどっちなの?」
「何がだ?」
「私のこと好きかどうか。なんか日によって変わるんでしょ?」
「バ、おま……」
クロは焦って周りを見回す。でも他の人には聞かれていないようだ。藤井は気にせずクロに迫る。
「どっち?」
「別に、好きじゃない」
「なら恥ずかしがることないじゃない。今はただの友達なんだから」
「そうだな、今はな」
藤井はにっこり笑って頷き、クロから離れた。クラスメイトのもとに戻ると、早速質問攻めにされた。
「ねぇねぇ、何話したのー?」
「なんかかなり接近してなかった?」
藤井は困り笑顔を浮かべてかわそうとする。
「べ、別に大したことじゃないよ」
「またまたー」
遠くから見ていた宇田川は、敗北した戦士のように呆然と立ち尽くしていた。会話の内容までは聞こえなかったが、陽と陰の格の違いをまざまざと見せつけられてしまった。
やがて矢島と翔太がクロのところへ戻って来た。矢島が宇田川に向かってこっそりウインクしてきたので、宇田川もヤケクソなウインクを返してやった。
そして一同は再びバスに乗って帰路につく。車内では映画のビデオを見ている子もいれば、疲れて寝ている子もいた。全員に共通していることは、修学旅行に満足した表情を浮かべていることだ。宇田川も窓の外の景色を眺めながら、穏やかな充足感に包まれていた。最後だけほろ苦い思い出になってしまったけど、楽しいこともあったし、思わぬ形で新しい友達もできたから。
学校に到着してバスから降りると、翔太がクロと矢島に向かって言った。
「やっぱり我が家が一番ですな」
「ここに住んでるのかよ」
クロがツッコミを入れ、三人はヘッヘッヘと笑った。
数日経った日の放課後、矢島は翔太とクロと藤井に教室で待っていてもらうように頼んだ。これから裁判を行うことはまだ話していない。そして教室から少し離れたところにある廊下で宇田川と合流した。
「いよいよこの日がやって来ましたね」
「うん、よろしく」
矢島は宇田川に裁判のやり方を説明した。彼女はそれを聞きながら、うんうんと頷く。
「クロと藤井さんには教室で待ってもらっています。あと翔太っていう奴も」
「その人もクロ君の親友だね。構わないよ」
宇田川はそこで一呼吸置き、矢島に尋ねた。
「ところで、あなたの目的は何?」
「僕の目的?」
「そう。ここまでしてくれるなんて、何かあるとしか思えない」
「そうですね……。それは……
これはクロが中心となる裁判のはずなのに、なぜ藤井にふさわしい人物の話になるのか。宇田川は瞼を閉じ、矢島の意味深な発言を頭の中で咀嚼した。が、それ以上は何も訊こうとしない。
「分かった。そっちにも色々事情があるのね」
そして彼女は、口元に笑みのようなものを浮かべる。
「行こう、
その微笑みはそよ風にも飛ばされてしまいそうなほど小さなものであったけれど、矢島は彼女が笑っているところを初めて見た気がした。
矢島は優しい顔で頷いたあと、真剣な眼差しになった。
「はい」
二人で廊下を歩き、一組の教室まで行く。扉が閉まっていたので、開けて中に入った。照明は点けられておらず、窓から西日が射している。翔太とクロと藤井は、矢島を待ちながら窓際の席で雑談をしていた。他には誰もいない。彼らも教室の出入り口の方に目をやる。今、三バカと藤井と宇田川の五人が、初めて同じ場所に集まった。
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