修学旅行①

 運動会が終わると、お次のイベントは修学旅行だ。当日の朝、六年生は学校でシャトルバスに乗り、旅行先へと出発する。学校にシャトルバスが来ているのを見ただけで、みんなの胸は高鳴った。


 バスで目的地に向かっている間は近くの子とお喋りをしたり、お菓子を交換したりして和気あいあいとした時間を過ごす。矢島は隣の席にいる翔太に訊いた。


「見ましたか? 今週の『勇者クヘリヒュ・セミュサクチフ・ンーンー』、魔王との対決」


「何そのめちゃ言い辛くて覚えにくい勇者」


「伝説の剣を使っても決着は着かず、裁判へもつれ込み、司法に判断を委ねることになりました」


「魔王もノリがいいな」


 やがてバスは最初の目的地である城に到着にする。修学旅行は知識や見聞を広めることも目的の一つなので、歴史的建造物や記念館を回り、地域の歴史や伝統、文化について楽しく学んでいった。翔太が城の最上階から手を振ると、城の前を歩いている人たちが手を振り返してくれた。


 午後には観光名所である湖沼を訪れた。秋なので、ハイキングをしながら色彩豊かな紅葉と湖の景色をゆっくり眺めることができた。三バカはここでも三人で一緒だ。休憩所がある広場で、クロが翔太に向かって言った。


「なあ、今日はなんか誰かの視線をひしひしと感じないか?」


「おいおい、怖いこと言うなよ。何かに取り憑かれてるんじゃないか」


「言われてみれば、こういうことがよくある気がする。俺って霊感強いのか?」


「おいおい、湖から正子の霊でも連れて来たんじゃないだろうな」


「正子ってそんなどこにでもいるのか……」


 矢島も二人の会話の内容が気になった。言われてみれば、今も誰かに見られているような気がする。


「ちょっとトイレに行ってきます」


 その場から離れ、二人のいる位置を中心に大きな円を描くように歩いてみる。すると、小さな建物の陰から翔太とクロを凝視している女子を見つけた。ショートヘアーで、背丈はクロと同じくらいに小さい。


「何をしているんですか?」


 彼女は声をかけられてようやく矢島に気付き、頭だけ後ろを向いた。


「ハッ」


「あの二人のことを見ていましたよね?」


「あなたは、クロ君とよく一緒にいる矢島の人」


「はい。矢島君とか、気軽に呼んでください」


「矢島の人」


「もうそれでいいです」


 彼女は矢島の方へ向き直った。


「あたしは二組の宇田川。見ての通り、クロ君のストーカーよ」


「こんなに堂々としているストーカーは初めて見ました。つまりアレですか。クロのことが好きなんですか?」


「好きなんてもんじゃないわ。クロ君はあたしの運命の人で、あたしはクロ君の運命の人なの。分かる?」


「とりあえず、あなたがヤバい人だということは分かりました」


「分かってもらえて嬉しいよ」


 矢島はツッコむ元気もなくなったので、ひとまず話を進めることにした。


「なんでストーカーなんかしてるんですか? 運命の人なら普通に仲良くすればいいじゃないですか」


「四年生までは同じクラスだったんだけど、違うクラスになったら会うのがなんだか恥ずかしくなっちゃったから、ストーカーすることにしたの」


「ストーカーって結構気軽にやるもんなんですね」


「でも最近、クロ君が不倫しているみたいなの」


「不倫! ニュースでよくやっているやつです」


「そう。藤井さんっていう人がクロ君に言い寄っているみたいなんだけど、クロ君とは今どういう関係なの?」


 とりあえず、三人で藤井に告白した場面は見られていないようだ。矢島は必要なことだけを喋ることにした。


「クロは藤井さんのことが好きみたいです」


「むむむ。やっぱり藤井さんがクロ君を洗脳したんだね」


 宇田川は思い込みが激しい人物のようだ。矢島は瞳を爛々と輝かせる。


「宇田川さん、あなたは面白そうな人ですね!」


「そんな褒め方初めて聞いた。それともバカにしているの?」


「バカにしてます!」


「そうなの」


 宇田川は全く気にしていないようだ。矢島が何かを考えている様子なので、再び尋ねた。


「それで矢島の人、あたしはどうしたらいいと思う?」


「それでは、裁判を起こしましょう」


「裁判!?」


「はい。裁判で勝てば、二人を引き離すことができます」


「あたし、裁判って初めてなんだけど、何をすればいいの?」


「宇田川さんはこの修学旅行で不倫の現場をなるべく目撃しておいてください。あと今夜、直接藤井さんの話も聞いてみてください。修学旅行の夜には恋バナをするはずですので、何かボロを出すかもしれません」


「なるほど」


「藤井さんに警戒させないために、宇田川さんがクロの運命の人であることは隠していてください。裁判のときには、僕が弁護士になって弁護してあげます」


「会ったばかりのあたしのためにそこまでしてくれるなんて……。矢島の人、あなたはクロ君の次にいい男だね」


 矢島は宇田川と固い握手を交わし、彼女と別れて翔太とクロのもとへ戻った。


 それからバスは宿泊先のホテルに到着した。一グループ六人ずつで畳の部屋に泊まる。しばらく部屋ではしゃいだあと、全員大部屋に集まって夕食を食べた。メニューはすき焼きだ。一人に一つずつ小さな鍋があるというホテルらしい食事にみんな大喜びした。


 腹が膨れたら次はお風呂だ。三バカは脱衣所で互いのチンコを見せ合った。全員同じくらいの大きさで、三人の友情はますます深まった。



 一方、藤井は今日三バカとはあまり話さず、クラスの女子同士で修学旅行を楽しんでいた。部屋でトランプをしたり、枕投げをしたり。だが楽しい時間はすぐに過ぎてしまうもので、あっという間に就寝の時間となった。


 修学旅行の夜は好きな人の話になるのがお約束だ。でもそういう話には上手く入り込めないから、ただ相槌を打つだけになってしまう。五年生のときの林間学校では一番早く寝てしまった覚えがある。


 部屋のメンバーの六人で布団の上に座って話していると、クラスメイトが口々に訊いた。


「ねぇ、藤井さんって最近あの三人と仲いいよね!?」


「誰か好きな人とかいないの!?」


 今年の藤井は女子から人気者となっていた。


「別にあの三人とはそんなんじゃないってばぁ」


 否定しながらも、クラスメイトと一年前より打ち解けられたのは正直嬉しい。三バカのおかげなのかもしれない。


 だが恋の追求は尚も続く。


「ていうか、本命は黒田君なんじゃないの?」


「へっ!? なんで黒田?」


 藤井にとっては意外な人物が挙げられ、間抜けな声が出てしまう。


「だって三色対抗リレーでも一緒にアンカーに立候補したし、藤井さんが負けちゃったときも黒田君が真っ先に声かけてたし」


 夏休みの間、藤井と三バカが過ごした日々のことをクラスメイトは知らない。だから運動会で親密な雰囲気を醸し出したクロが一番仲がいいように見えてもおかしくはない。


 すると、話の輪の中にいる一人が言った。


「ほうほう、それは興味深いですな」


 声の主の方を向くと、クラスメイトではない人物が一人混ざっていた。


「なんか知らない子がいる!?」


 すかさず声を上げる藤井。そこにいたのは宇田川だ。愛する人のため、ついに恋敵と対峙したのだ。


 藤井は驚きを隠せない様子で言った。


「部屋に入って来たの全然気付かなかった……」


「ふっふっふ、これがあたしのストーカー能力の一つ。その名も……『全然気付かれない』!」


「ストーカー能力って何!?」


 招かれざるゲストの登場にクラスメイトたちもざわつき始める。


「他のクラスの子?」


「うん、宇田川さんだよ」


「知ってるの?」


「なんでも、宇田川さんが持ってる『ウダノート』には、学校で誰が誰を好きっていうデータがほとんど書かれてるって話よ」


「なんだかマスコミみたいな人だね……」


 二つ目のストーカー能力「めっちゃ耳がいい」も駆使し、クロを狙う女がいないかチェックしていたら、好きな人情報が数多く集まってしまったというのが真相である。一度ノートをどこかに落としてしまい、返してもらったがそれは学校の都市伝説のような扱いになってしまった。


 宇田川に関する話を聞いて藤井は焦った。もし三バカから告白されたことを知られていて今暴露されてしまったら、この部屋はお祭り騒ぎとなり収拾がつかなくなってしまう。


 宇田川は他のクラスの部屋でも物怖じせずに言った。


「それで、黒田君とはどのようなご関係で?」


「え、えーと……」


 何と答えたものか考えていると、藤井はふと気が付いた。この子とはどこかで会ったことがあると。無表情なのに固い意志が宿る瞳に見覚えがある。それからすぐに思い出した。運動会の三色対抗リレーで一緒に走った二組の子だ。走る前、初対面であるはずの藤井に「あなたには絶対負けない」と言った謎の人物だ。そして宣言通り、彼女は僅差ではあったが藤井に追い抜かれず、二組を優勝に導いた。あのときは凛とした印象であったので、こんなに変な人だとは思わなかったが。


 なぜあのとき宇田川は「あなたには絶対負けない」と言ったのか。それを明らかにする絶好のチャンスだ。藤井は恋の話なんかよりそっちの方がよっぽど気になり、口を開いた。


「ねぇ――」


 しかし、そのタイミングで見回りの先生が部屋に入って来た。


「こら、宇田川さん! あなたまた一人でどっか行って! 早く戻りなさい!」


 宇田川が振り向いて青ざめる。


「げっ、ゴリ川」


 彼女は二組の担任の細川先生だ。長髪の若い女性だが背が高く、筋肉も鍛えられている。細川先生は夜なのにどしどしと足音を立てながら部屋の中に入り、宇田川をお姫様抱っこした。


「ひ、ひぃー」


 担任の先生にお姫様抱っこされて持ち去られるという恐ろしいシチュエーションに、宇田川は悲鳴を上げる。細川先生は部屋から出る前に振り向いて叫んだ。


「あなたたちも早く寝なさい!」


 物凄い剣幕に一同は震える。今日はお開きとなり、もう寝ることにした。クロとは何もないということを藤井は主張したが、何となく二人がそういう関係だという結論のまま恋バナは終わってしまった。


 その頃、三バカのいる男子部屋では――。


「知ってる? イルカのチンコってカラーコーンみたいなんだよ!」


「ギャハハハ! 今度からカラーコーンのことチンコって呼ぼうぜ!」


「黒田君、体育倉庫からチンコ三本持って来てくださーい!」


 色々な生物のチンコの話がハイライトとなり、好きな人の話題は一切出なかった。そして例のごとく、細川先生が現れた。


「アンタたち! チンコチンコうるさいのよ! このチンコども!」


「げっ、ゴリ川」


 強大な力は時として全てを薙ぎ払い解決する。そのことを身をもって学んだ修学旅行一日目なのであった。

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