百足御前
えいちけい
プロローグ 上司&先輩
人外領域の縁に大きな屋敷がある。全体的に純和風の温泉旅館を模したような作りで、実際に温泉もあるが、れっきとした個人の邸宅だ。磨かれた天然木で統一された内装と調度類を、レトロな電球色の灯火が照らしている。
その屋敷の本館、二階。和風でモダンなラウンジスペース。大きなガラス窓から中庭を望むソファーの上で、和服姿の少女がタブレット端末で読書をしていた。清潔感のあるショートヘア美貌がグレア液晶に映っている。武家の娘めいた凛とした佇まい。読んでいるのはファンタジー小説だ。
画面スワイプ行為を中断した少女は、傍らに石像のごとく控えていた家令に顔を向けた。
「〈異世界〉って表現は便利でいいね。昔は皆それぞれ好き勝手に呼んでいたから、説明が難しかったんだ。今は〈異世界〉といえばだいたい通じる。これもWEB小説の流行のおかげかな。そこでだ、うちの黒田屋の事も『魔女だけど全世界に顔バレしたので、異世界で生活を再建します!』みたいなタイトルで小説化したらバズると思うんだけど。どうかな?」
「スローライフ物でございますか?個人的には好きですが、もう三十年以上前の流行でございます。今そういった作風でおバズりするのは少々、難しいのでは……」
少女のいたずらっぽい問いに、家令が奥ゆかしく答えた。この家令は鬼八郎という名だ。極めて大柄な体格で、赤みがかった肌と短い角を持っている。こちらは和装ではなく、スラックスにニットベストをあわせていた。
「イラストを◯◯◯◯氏か△△△氏あたりに依頼すれば、それだけで鬼バズするんじゃないのか」
「圭姫さま……見通しが甘かろうと思われます……」
この出版を舐めている少女の名は、花絆圭(かさい・けい)といった。
通称、圭姫(けいひめ)。〈人外領域〉の魔界側に領地を持つ悪魔貴族だ。
悪魔の貴族に爵位の概念はない。大君の臣下は平等という事になっているが、実際には複雑な派閥関係や序列争いがある。圭姫は貴族の中では若輩で序列は低く、領地も狭い。だが魔界、天界、人間界の間を取り持つフィクサーとして独自の存在感を放っている。
「バズるかどうかはともかくとして、黒田屋さんは〈異世界〉でうまくやれるでしょうか。生活を再建するといっても、向こうは……」
「そう、なんといっても魔術文明が栄え、亜人種と魔獣が闊歩し、神々が篤く信仰されているファンタジーな世界!………ま、ハイテクガジェット依存症の黒田屋にはいい薬さ。デジタル・デトックスだと思って頑張ってもらおう。生活再建の前にひと仕事あるが、そっちはどうとでもなるだろう」
鬼八郎は頷いた。二人とも、黒田屋の”仕事”に関してはまったく心配していなかった。
「まあー、生活再建の方も、〈異世界〉の現地人が面倒を見てくれるさ。たぶんね。それより、お茶を淹れてくれ。ほうじ茶がいい」
「はい」
鬼八郎はお茶を淹れにキッチンへ向かい、圭姫はタブレット端末の冒険譚に戻った。
百足御前 えいちけい @hk_producer
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