第24話 次の戦略
菊幢丸は考えていた。
朝倉宗滴を引き抜いたとはいえ、朝倉家が敵に回ったわけではない。
むしろ、宗滴がいるうちは朝倉家は味方にできるだろうと読む。
「朝倉が味方なら浅井も味方にできそうだよな。ここから人材を何人か引き抜けないかな」
「そうだな。切り崩しが難しい所より有意義だ。前に話に聞いた太源雪斎なる僧侶なぞ多分、話すだけ無駄になりそうな相手よりよっぽどな」
有能で欲しい人材の中に今川家の宰相でもある太源雪斎を上げた菊幢丸だったが、話を聞いただけでキサラは引き抜きは洗脳や魅了の魔法で本人の意思とは無関係に引っ張ってくるしかないだろうなという予感がしていた。
まあ、戦争をして今川家を下すなり捕えるなりしてからならどうにでもなりそうではあるが、時間が掛かりすぎる。やれることは雪斎は病で亡くなるらしいから、顔だけ繋いで延命をして時を稼ぐ事か。
「雪斎が無理っぽいって言うのは前にも聞いたよ。で、浅井の武将に話を戻すと、候補として二人いるかな」
「前回は浅井の家臣の話はなかったな。誰だ?」
「遠藤直経と磯野員昌」
遠藤直経は知勇兼備の謀将で磯野員昌は姉川の戦いで信長の13の陣を11段目まで破った猛将である。
是非とも幕下に加えたい逸材だ。
「でも浅井に手を付けるには、六角の動向にも注意がいるからな……」
現在の幕府は六角家の後ろ盾で成り立っている部分が非常に大きい。
その六角家が史実では、浅井久政の弱腰な態度を見て侵攻し従属させてしまうことになるのだ。
今はまだ、浅井は京極氏の散発的な攻撃を受けては何とか退けているのが現状だが、いつ、六角に目をつけられるかが問題だ。あるいは既にもう目を付けているかもしれない。
「六角は幕府の敵に成り得るのか?」
「定頼と父上が存命中は大丈夫だと思う。だけど、宗滴さんを幕僚にしたとなるとどうかな……浅井が戦国大名に成れたのは朝倉のお陰でもあるけど、その時下剋上した相手は北近江の京極に対してだから、直接六角に喧嘩を売ったわけじゃないけど、京極は六角が本家筋だから、朝倉の事を良くは思ってない……って考えてる」
菊幢丸は難しい顔をする。
朝倉宗滴は欲しかったけど、六角を敵にするのは、少なくとも今じゃないと思案する。
「いや、むしろ好機だろう」
だがキサラは菊幢丸と違った考えを持っていた。
「宗滴翁に聞いたが、朝倉は幕府の命で敵対勢力と戦ったそうじゃないか。そして、幕府は現状六角が保護する形だ。とりあえず、両者ともに幕府には従っているのだから、ここは上手く、両家の蝶番に幕府がなればいい」
そうすれば、外交で浅井は幕府の下に着くしかないだろう。
「あ、そうか。僕は史実のあれこれを知ってるから、思い込みが強いのかもしれないな……そうだね、最初は六角と朝倉に守ってもらいながら、幕府直属軍を強くしていく、そして幕府に力が付けば正式に六角も朝倉も取り込めばいいか」
そうなのだ。菊幢丸は思い込みが激しかった。
キサラと出会う前から。
史実が全然変わってないと嘆いていたが、実際には変わっている部分があった。塚原卜伝がこの時期に呼ばれた事がそうであるし、もっと根本的に父義晴がそれなりに長く朽木谷に退避しているのも史実と違っているのだ。
というのも、菊幢丸の農法改革で朽木と周辺の北近江七郡は史実より裕福であり戦塗れの京の都よりも安定していたのである。
この七郡は幕府の官僚が大勢いて兵力にも期待できるからこそ、敢えて京の都を退いて居座っているのだ。
また、兵力が多くなった事もあって戦も前倒しになっており、史実なら来年に京が細川国慶に制圧されて細川晴元が丹波に逃げ込むのだが、その出来事は去年起きている。
「それじゃあ、どうやって六角と朝倉の手を結ばせようか?」
「幕府が立会人になって両者の同盟を結ばせればいいだろう。少し虫のいい話になるが遺恨になる北近江は幕府直轄にするんだ。その上で六角と朝倉で同盟させれば得られるものは大きいと思うがな」
「上手くいくかな?」
「そのあたりは、アンタの親父さんと宗滴翁に任せるしかないな」
宗滴が幕臣に加わったと知れば、六角はより幕府に目を掛けないと後ろ盾を朝倉に持って行かれはしないかと焦るだろう。そこをうまく利用すればチャンスはあるとキサラは考える。
逆に、朝倉と組むなら幕府とは手を切ると言い出すには六角は幕府に入れ込み過ぎた。
もし六角がとち狂って戦争を仕掛けても、まあ、何とでもなると今は思っている。
まだ、この国の一大名を滅ぼせる程度の力は十分にあるから、責任をとってやるとも。
「取り合えず、父上に報告と相談をしてくるよ」
菊幢丸が席を立つとキサラは座ったままの態勢で背後に寝転がり、襖を開けてやった。
それに苦笑いする菊幢丸を目だけで見送る。
さて、菊幢丸の親父さんはどんな顔をするのか、と頭の中で楽しみながら。
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「父上! 突然ですが、提案がございます!」
脇息に肘をつく義晴を前にして気炎を吐く菊幢丸に義晴は楽しそうな顔を向ける。
「なんだ。また何か面白いことを考え付いたのか?」
「はい! 幕府にとってとても愉快なことにございます!」
自信満々の様子が声に顕れていた。
「六角家と朝倉家を同盟させましょう!」
ガタッと思わず脇息を倒してしまう義晴。
それだけ突拍子もない事だった。
「た、確かに愉快な話だな。ところでどうゆう思考がそんな結末に至ったのだ?」
「実は……」
そこで菊幢丸は語った。
朝倉宗滴の幕臣勧誘成功と、六角朝倉同盟の利点とどさくさ紛れに北近江を幕府の物にしてしまう計略を。
「なんと、大それた事を考えるのぉ……確かに、六角と朝倉の二枚看板を後ろ盾にすれば幕府の力はあがるのぅ。それに宗滴が軍を率いてくれるなら安心だしな。それに加えて、二家の間で問題になりそうな北近江を幕府の物にするというのも面白い」
と義晴も乗り気になった。
だが、一言言わねばなるまい。
「だが朝倉宗滴を幕臣に加えるという話は、一言、余に通しておくべきではなかったのか?」
「確かに、越権行為が過ぎるとは存じますが、では、父上、私が相談したら了承してくださいましたか?」
嘘である。許可を貰うのを忘れてただけであった。
だが言いつくろうのは簡単だった。
何しろ菊幢丸自身、色々と無理だろうと思ってた事柄だからだ。
「無理だ。朝倉にも面子はあろう。それも宗滴を召し抱える等申してみよ、これまで幕府に忠実だった朝倉が敵に回ってしまうわい」
だよねー、とは菊幢丸の心の声。
それを宗滴だけに話して納得させ、宗滴に朝倉家中を納得させてしまおうというキサラの考えが異端なのである。
「ですので、私は成功を確信しておりましたが、父上に反対されて実現できないという事態にはしたくなかったのです。父上の決定に背いてしまっては仮に宗滴殿をこちらに引き入れても、父上のお立場からしたら役目を与えてもらえないでしょう」
「そう言われてしまえばな、まあ、結果が伴ったから良しとするか」
「では、父上、宗滴殿が参られましたら役職と同盟の話を持ち掛けてくださいませ」
「あいわかった。ふむ、そうだな、もう教えてしまうか」
「は? 何をですか?」
「菊幢丸よ、そなたに来年早々、将軍職を譲るつもりだ。その後は後見として面倒を見てやるつもりであったが、余が口出ししない方が良さそうだな。楽隠居ができそうだわ! はっははは!」
知ってたけどね、とは内心だけの事。
菊幢丸は居住まいを正し深く礼をする。
「畏まりました。父上がそうなられるように鋭意専心努めてまいりまする」
「励めよ」
相手は我が子ながら一〇歳の童ともいうべき年。
だが、義晴は不思議と不安な気持ちは湧かなかった。
幼いころから天賦の才を見せてきた麒麟児とも神童とも呼べる息子。
それに優秀な魔法使いという日ノ本において二つとはあるまいという補佐がついている。
何を心配する必要があろうや。
義晴の心は今後を思うと実に晴れやかであった。
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その頃、北陸は越前、一乗谷で激震が走っていた。
震源地は一乗谷城主の間。
そこには当主朝倉孝景を筆頭に一門衆と重臣らが左右に居並び、一人の老体を前に驚きを隠せないでいた。
「宗滴、今一度考え直してはくれぬか?」
「なりませぬぞ、殿。この宗滴、武士として筋を曲げる訳にはまいりませぬ」
力強いその眼差しは玲瓏に輝き、主君を見据える。その迫力は往年の武者振りを彷彿とさせる程に逞しい。
「しかし、幕府の役職であるなら、既に儂が御供衆についておるではないか」
「此度は近侍される者を求められての誘いであらせられた。殿は越前を離れられますまい」
「確かにそうではあるが、宗滴、その方が良く必要もあるまい」
尚もしつこく宗滴に翻意を求めてくる主君に、宗滴は出来る限り言うまいと思っていた事、自身で分かってはいたがキサラに指摘されるまで秘めていた気持ちを明かす決意をした。
「いや、儂が朝倉から出ていかぬ限りはこのお家に先はあり得ませぬ」
「な、なんと申されるか宗滴殿!」
一門の一人が声を上げると重臣らもそれに続いて場は騒然とした様相を呈した。
「静まらぬか!! 儂が居っては、誰もが儂を頼りにしおるであろう! それでは新しい才能は芽吹かぬのだ! 何故、それが分からぬ!?」
六九歳とは思えぬ腹からの怒声に一瞬で場に静寂が舞い戻った。
この気力の充実っぷりは正にキサラの秘薬が齎した効果だと宗滴は感謝する。
老いて、諦観が気持ちを占拠していたのだと今なら良く理解できる。
「皆の衆は、今の幕府は弱いと思うておろう。だが、幕府は今、強くなろうと脈動を始めておる。対して、我が朝倉はどうか? 昔日の威勢に胡坐をかいておらぬか? このままでは、幕府がそうであったように、我らが弱くなっていくと思わぬのか?」
宗滴の鋭い問いかけに孝景を初めに皆が閉口するしかない。
朝倉は強い。それは事実だ。
だが、その強さは何処からくるかと問われれば、宗滴を主とした昔からの宿将達のものだ。彼らが居なくなった後、朝倉は本当に強いままで居られるのか?
皆がそれを疑問に感じるようになった。
特にそれが顕著に表れたのが当主である孝景である。
自身が戦に出ることはせずに、得意な者にばかり任せてきた。
その分、自身は内政、外政に励んではきたが、内では戦に備えて来てはいなかった。
もしも、宗滴らが外征中に別の所から攻められたら、自身が戦えるのか、甚だ疑問に思える。
きっと誰かに戦を任せ、その間に外交で情勢をどうにかしようとするだろう。だが、情勢が変わる前に戦に敗れたらどうなる? 頼りになる者はいるのか?
それが理解できた時、彼の顔は一気に蒼褪めた。
人を育てるしかない。
それも宗滴らが存命中にだ。
幕臣になろうとも朝倉に危機が訪れれば、宗滴が幕府を動かしてくれるであろう。
直接的なものか間接的なものかは分からないが、何かしらの支援は望めるはずだ。
ならば。
「あい、分かった。宗滴よ、その方は幕府に奉公するがよい。幕府を支える事、それが朝倉をも強くしてくれるのであろう? なれば、儂に止める意はもはやない」
その言葉を放つのに、迷いはもうなかった。
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