第11話 菊幢丸の新たな一日(夜の部)
菊幢丸の夕刻は再び剣術の稽古になる。
朝とは違い、実践的な打ち込み稽古だ。
稽古自体は卜伝がやってくる前からも行っていたが、見るものが見れば菊幢丸が昨日と同一人物なのかと疑うであろうか。
もとより人二人分の能力と成長力があった。
そこに昨晩、キサラという規格外の存在の魂をほんのちょびっとだけとはいえ、受け入れた菊幢丸は、その動きがより顕著に洗練されていた。
(相手がどう動いてくるのか何となくわかる気がする)
相手がまだ未熟な近習達だとは言えど、昨日まではその様なことはなかったのだ。
ならば、これも契約の影響によるものか。
これには卜伝も頭を悩ませる。
このまま同年代の童らと稽古を続けても菊幢丸の為にはなるまい。
されど、卜伝が連れてきた門弟たちと打ち合うには体格の差もあり、菊幢丸にあまりに不利。
さて、如何したものか。
と思案するところへキサラが顔を出す。
「どうした、卜伝翁? 難しい顔をして?」
「おお、キサラ殿か。見てくれ、菊幢丸を……お主なら分かるであろう?」
卜伝がしゃくった白い顎髭の先で菊幢丸が万吉の突きを躱した。
そこへ背後から別の近習が木刀を振り下ろすが、菊幢丸はそれを半身で避けて上から己の木刀で抑え込む。
二人力の木刀は普通の人間では弾くこと能わず。
木刀から伝わった痺れに剣を放すその近習。
「……ああ、なるほどな。あれは相手にならないな」
後ろに目があるがごとき身のこなしにキサラは納得顔で頷いた。
「であろう。なれば、儂の弟子と打ち合うしかないのじゃが、菊幢丸は童の中でも体格は小さい方……弟子と打ち合うのはどうかと思うての」
「卜伝翁の弟子であるならば、まかり間違って菊幢丸を死なせる事はないだろう。なら、問題はないな。徹底的に扱いてやるのが奴の為さ。間違って怪我をさせても、それはアタシがアザも残さず治してやるから気にする必要はない」
「ほ。魔法使い殿は癒しの術までも使われるのですかな」
「人によっては得手不得手あるけどね。アタシは全知全能だからさ」
「そうでございましたな。では、お言葉に甘えることにいたそうかの」
笑顔を浮かべた卜伝はそれぞれ乱取り稽古をしてる門弟たちの下に行き、指示を出す。
それを見ながらキサラは独り言ちる。
「あの子、まさかなぁ……一応、今夜にでも確認しておくか」
_____________________________________
夕餉の後は、普段なら寝るだけである。
偉い人物や金持ちであれば、蠟燭や菜種油で灯りをともし仕事をするやら書物を読むなりするが。
基本的に娯楽もないので寝るのが一番である。
因みに農民はこの時間帯に夜這いをするのが文化だとか。
しかし、ここ朽木谷城のとある奥まった一室はそんな事情知るかとばかりに煌々とした光で溢れかえっていた。
「さてと、今日からこの時間は魔法の勉強の時間なんだが、その前に確認したいことがある」
キサラは例のごとくタンクトップの中から光る玉を取り出して宙に浮かべると菊幢丸に切り出した。
なお、この光の玉、魔法の産物ではあるが、魔法で輝いてるわけではなく、昼間の明るさを玉に封じておいた物だとか。キサラなりに魔力の消耗には気を使っているらしい。
「菊幢丸、アンタさ、剣の練習の時に相手がどう動いてくるとか分かったりしたか?」
菊幢丸としては意表を突かれた形になる。
魔法の話かと思えば剣の話だ。
いや、でも昨日の契約に関係する話ならあながち魔法の話でもあるのか?
「あ~えっと、なんていうのかな、はっきりとじゃなく、何となく? こうくるんじゃないかなって勘が働いてたって感じかな……?」
「今までもそういう事はあったのか?」
「いや、今日が初めてだよ。昨日の契約に何か関係あるの?」
「んむぅ……あるようなないような……」
「珍しいね、キサラが言いよどむって」
「直接聞いた方が早いな」
何をと菊幢丸が問う前にキサラがいつもの如くタンクトップから人形を取り出す。
前世で美術室等で見たことがあるデッサンモデルみたいな木製の人形だ。
「おい、シャロン。こっちに移れ」
「…………」
沈黙。
シャロンって誰って聞こうとしたが、キサラの顔が何か怖かったので喉に引っ込んだ。
「寝てるのか。おい! 起きろ!シャロン!」
今度は大きな声で呼ぶ。何だか魂を揺さぶられるような声だった。
「ふぁ……あ、姉さんおはよ!」
何か僕の口が可笑しなことを言った。
「とりあえず、これに移れ。今のままでは菊幢丸と話が出来ない」
「はいはい。わかりましたよーっと」
とりあえず、僕の意思とは無関係に話してるらしい。
そんなシャロンさん? が返事をすると俄かに身体が光りだし、その一部がピョコンと離れてデッサン人形に吸い込まれていった。
そして、見る見るうちに形が変わっていく。
一言でいうなら。
ビフォー:デッサンモデル アフター:美少女フィギュア
である。
それを一目見た菊幢丸は一言。
「萌えー!」
「? ……もえー……?」
どうやらキサラに通じていない様子に、あれ?と思う菊幢丸。
「通じない?」
「通じないな。翻訳魔法はもう切れてる」
「じゃあ、今話してるのは?」
「日本語だな」
「どうやって覚えたの?」
「本で文字と発声の際の唇の動きは覚えたのでな、それで実際に会話してる奴らと比べて音声を確認した」
まあ、分からない単語とかはあるみたいだけども、一日かけずに一国の言葉を覚えるとかスピードラーニングも真っ青だ。
「で、もえー、とは何だ?」
「あ、うんとねー、なんていうかなー」
正直なことを言えば菊幢丸も詳細は分かっていない。気づけば流行っていて、どういった雰囲気で使うのか何となくフィーリングで扱ってただけなのだ。
それを言語化すると……
「凄くいい、とか、惚れちゃう、とかかな?」
そんな説明をするとフィギュア少女はふふんとご満悦そうに胸を反らし、キサラは極寒の眼差しで菊幢丸を睨め付ける。
「シャロンはやらんぞ」
シャロンと呼ばれたフィギュア少女は健康的な褐色肌で青み懸った黒髪に赤眼で、髪型は右側の揉み上げを顎の付近まで三つ編みにしたショートヘアの活発そうなイメージで顔つきはキサラに似てるが愛嬌があり、親しみやすい印象。
衣服は自身の美を信じて疑わないキサラの露出メインな物とは違って慎ましやかな胸をひっそりと覆う白銀のブレストプレートと少し長めのショルダーガード。緋色のシャツとやっぱ白銀のウェストガードに黒のタイツと白銀のブーツ。最後に真紅のマント。腰には細剣を差している。
好みの差はあるが、菊幢丸的には「萌えポイント」を抑えたシャロンの方が好みに合う。
「あはは、ごめんねー、レイチェル姉さんは私に過保護だから」
笑いながら言う。妹が欲しければアタシを倒してからにしろと。
その結果、シャロンは永遠の処女で生涯を終えていた。
もっともシャロン自身も恋愛などには特に興味がなかったらしい。
「あー、えっと、色々と分からないことだらけなんだけど、話を最初に戻すと、シャロンさんが僕の中にいると何で僕が強くなるのかってことなのかな?」
シャロンの正体や状態だとか置いておき、話を何とかまとめるとそういう事になるはずだった。
「ああ、実はシャロンは魔法の才能はないんだが、代わりに剣の才能が飛び抜けていてな。アタシでも足元に及ばない程だ」
誇らしげに語る様子から本当に妹であるシャロンの事が好きなんだとわかる。
「特に戦闘時におけるシャロンは数秒先までの未来を視る事が出来る。故に攻撃が当たらないし、躱せない」
「それは……凄い。範囲攻撃されなきゃ最強じゃないか」
「存外、菊幢丸は頭がいいな。そうだ。シャロンに勝ちたければ、自分を中心に同心円条に広がるそれもそこそこ遠距離まで届く攻撃手段がいる」
「もう、姉さん! 話、ズレてるわよ! 今は私の攻略法を伝授してる場合じゃないでしょ」
「ああ、そうだったな。すまない、どうもアタシはお前の事になると多弁になってしまっていかんな」
「うふふ。愛されてるなぁ、私」
「それはそうだ。今でもアタシといてくれるたった一人の家族なのだからな」
「あれ? モフたんとディネちゃんは違うの?」
「モフは家族とは言え、立場はペットだぞ。ディネに至っては単なるメイドだ。家族に数えてやる義理はない」
「あのさ、話がまたどんどん変わってるんだけど……」
仲が良い姉妹の会話におずおずと割って入る菊幢丸。何となく聞いていたい気もするが夜も有限である。
「ああ、そうだったな。すまない、どうもアタシはシャロンの事になると多弁になってしまっていかんな」
それ2回目と突っ込むべきか、と悩む菊幢丸を救うようにシャロンが
「姉さん、それ2回目。さっさと話を進めよう」
「む、そうか。確かシャロンが居ると何故、菊幢丸が強くなるのかだったな」
話はそれていても何を話していたかはしっかりと覚えているあたりは立派だなと菊幢丸は思った。
「そうそう、で、どうしてなの?」
「お前は訓練中に次に何が起こるのか視たんじゃないかと思ったんだがな、どうなんだシャロン?」
「あ~成るほどね~、私が菊幢丸君に憑依したんじゃないかと疑ってるんだ、姉さんは?」
「ん? どういうことさ? 僕は誰かに操られていたとかそんな感じはなかったよ」
首を捻りつつもきっぱりと断言する菊幢丸である。
確かに凄く勘は冴えていた。それは未来視と言ってもいいのかもと今はそう思えるほどだ。
「憑依って言ってもだな、度合いがある。完全に意識を乗っ取り身体を動かす物から、意識は残しながら体を動かす物、意識も身体も操らないが、憑依する側の意識を宿らせる物だな」
「姉さんは最後のを疑ってる訳ね?」
「ああ、それならば、昨日までは常人だった菊幢丸が今日は超人だった理由に納得できるからな」
視線でどうなんだ? とシャロンに問いかけるキサラ。
それに待ったをかける菊幢丸。
「ちょっとまだ理解が追い付かないんだけど? 詳しくプリーズ」
「プリーズ?」
「ああ、英語は覚えてないかそれも和製略式だし」
「だから、なんだというのだ?」
「つまり詳しく教えてくださいどうかお願いしますってことだよ」
天才で気安く話せる相手だけど、現代語は注意が要るなと考える菊幢丸。
「そうか。ならば、もう少し分かりやすく言うとだな、シャロンの意識を降ろされた菊幢丸はシャロンの感覚を共有できるんだ。逆もまた然り」
「そういう事か。夕方の稽古の時に僕が感じた直感が実はシャロンの物だったって言いたいんだね?」
なるほど、理解できたと頷く菊幢丸に、で、どうなんだと再度視線をシャロンに向けるキサラ。
「え~私、そんな事してないわよ。やってたら、レイチェル姉さんなら一目で分かるでしょう?」
「そうなんだよな。だが、それが分からないから、こうして呼び出したんだがな……心当たりはないのか?」
「僕の秘められた力が覚醒したとかは?」
「ない」
「あ、そうですか」
にべもなく一刀両断。男の子の夢、あるいは中二病を切って捨てられる。
「う~ん……何か、夢を見てたような気はするかなぁ……弱っちい敵に何人かで襲い掛かられたような? その後に少しだけ強くなった敵と一対一で戦ったかも」
「前言撤回しよう。菊幢丸、お前の秘めた才能が目覚めたらしい」
「あれぇ?」
「と言っても剣の技術ではない。魂魄面の話だがな」
キサラは既に納得のいく答えを得ているらしく自信満々に言った。
「魂魄って言うと魂とその壁の話か」
「そうだ。お前には元々、二つの魂が融合していると教えたな?」
「そうだね、でも相手の……本物の菊幢丸の魂に宿るはずの意識は僕が食べちゃったみたいな話だったよね?」
「うむ。因みにだが、私にも複数の魂が融合させてある。その一人がシャロンだが、あの子は自分の意識を持っているし、他の奴らも持っている。普段は眠っているがな」
「あ、僕なんか分かったかも」
「ほう? 何がわかったんだ?」
「今の僕は、規模こそ天と地の差があってもキサラと同じ状態なんでしょ? 魂壁の在る無しを除いて」
「ふむ。続けろ」
「僕は、現在、僕と菊幢丸本人とキサラの魂の一部としてシャロンさんが一緒の魂魄で存在している。多分だけど、菊幢丸に意識があったら、今日の稽古みたいなことが前から起こっていたんじゃないかな?」
「ほぉ……」
「今回は偶々、シャロンさんが夢を見るという意識の微睡状態にあって結果としてさっき教えられた三番目の憑依状態に近い出来事が発生した、そんなかんじゃないの」
「なるほど、大したものだな。魔法学の才能はシャロンよりありそうだ、誇れ」
「え!? それはちょっと酷くないかな、姉さん!? 魔法文明先進国生まれの私がこんな魔法文明と無縁の田舎の出身者に劣るほどバカだっていうの!」
私、怒ってますアピールで手を腰にキサラの前に行って抗議するシャロン。
その頭を指先で優しくなでながら、キサラは言う。
「何を言うんだ。アタシのシャロンがバカな訳ないだろう? 単なる物の捉え方、魔法的発想がお前より菊幢丸の方がありそうだってだけの話さ」
菊幢丸は伊達に二一世紀のファンタジーに慣れ親しんできたわけではないのだった。
「さあ、シャロン、もう菊幢丸に戻っていいぞ」
「え~久しぶりの再会なのにもうちょっとお話ししようよ!」
「しかしだな、これから菊幢丸の魔法の講義があるんだ」
シャロンが言うと困った顔をするキサラ。表情がここまで変わるキサラは新鮮だった。
そして同時に疑問も湧いた。
「あのさ、もしかして融合した魂って常に会話でやり取りができるわけじゃないの?」
「ん? ああ、普通……と言ってもこれも非常に珍しい例だからそう言っていいのか微妙ではあるがな、魂が意識を持って自己を主張するには依り代がいる。通常ならこの依り代は魂壁が要を成すが、私には魂壁がない。依り代がないまま意識を起こしておくのは魂的に消耗するのだ。それこそ無理のし過ぎなら消滅してしまうほどにな」
その事実は重い。
キサラ自身、今は魔力で作られた身体を依り代にしているが、これが崩壊すれば起きてるだけで魂がすり減っていく。まあ、寝ていてもエナジーリングに流されてしまうのだから、特に気にはしていないようだが。
当面、キサラは菊幢丸を鍛える事とこの世界での魔力体による身体づくりが課題だ。
身体さえでき上れば、あとはこの世界で何百年か何千年か最高質の魔力を練り上げて貯蔵すればアランフォードに帰れるだろう。
「そうなんだ。じゃあ、僕の事は放っておいて、姉妹で話をすればいいよ」
「いや、しかしだな……給料を貰ってしまってるし……」
その律義さに思わず笑ってしまう菊幢丸。
「ああ、あ……今日は疲れたよ。もう、何もしたくない、僕は寝るぞ! これは将来の将軍様の命令である、一切異論は認めない!」
そう声高に言い張って、菊幢丸は呼び止めようとするキサラを無視して部屋を出ていくのであった。
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