第8話 菊幢丸の密かな野望

 キサラの翻訳魔法により、彼女の言葉が意図する事を正確に理解できた菊幢丸は瞳をまん丸くした。

 彼女の本名はレイチェル。これは彼女の両親が、彼女の誕生に際して与えた名前である。

 キサラは魔法号という特別な名前。

 元来、魔法使いとは恨まれやすい者達であった。故に名が知られると呪詛を掛けられかねないために別の名をつけていた。

 もっともキサラの故郷の中世頃には、本名にも魔法的プロテクトを掛ける術が編み出されて形骸化したのだが、魔法使いという特別な職業が持つ者のみ名乗ることが許される名誉名として近代まで残ったという。

 そして最後に称号。

 これが与えられる魔法使いは歴史的に偉大な功績を残した者のみが人類の総意として与えられるというとんでもない物であった。

 その意味が「全知全能」というだけで、キサラがとてつもない魔法使いである事を証明しているのだ。

 そんな事を知らされた菊幢丸はと言うと。


「え、と……僕は足利菊幢丸。前世の名前や死因は覚えてないんだ……今後、足利幕府の13代目征夷大将軍に就く予定だよ」


「この国の王太子なんだろう? その割には貧相な生活してるよな。城は小さいし華美でもなく、城下町というよりも村だよな、あれ」


 木製の建物自体は珍しくない。キサラは複数の世界を含めて東西南北を旅しているからだ。

 文明というものは、そのように発展した謂れがある物だ。


「はは……異世界の人でもそう思うよねぇ……実は今、都落ち中なんだよね」


 苦笑いの菊幢丸だが、都も酷いんだけどとの言。

 そもそもが室町幕府という体制そのものが欠陥だらけだったのが原因だ。

 身内の家督争いから始まって大乱を招き、国中で独立が起きたのだから。


「力を持たない王が貴族連中に舐められたわけか」


「それに宗教戦争まであってさ、京の都は荒れ放題だよ」


 菊幢丸が言うのは天文法華の乱である。

 これには一部、彼の父である足利義晴も関わっているので顔が渋くなっていた。


「くくっ……力のない王族なんて、そのうち貴族にとって目障りになって排除されちまうよ?」


 何が面白いのか笑み零すキサラに菊幢丸は大真面目で応じた。


「そうなんだよー……僕が将軍になって20年でそれが起きちゃうんだ!」


「ははは! そうか、そうか。そりゃあ良かったじゃないか。そんな結末、変えちまいなよ! アンタには、アタシが付いているんだぞ?」


 20年もあればこの世界での一端の魔法使いにしてやるとギラついた眼で豪語する。

 それは、菊幢丸に手を出したら只では済まさないという決意の表れでもあった。

 そしてその言葉は菊幢丸に勇気を与えた。


「そ、そうだよね! あれだけの魔法を使いこなせるようになれば、この日本で、いや、この世界で怖い物なんてないよね?」


「当然だろう。この世界は魂浄化のシステム世界だ。神や悪魔等の上位存在が居ないことは保証できる。そんな世界でアタシの魔法が使えるんなら、それは最強に決まってるさ」


 異世界最強の魔法使いの太鼓判程頼もしい物はない。

 これまで戦国時代に怯えて暮らしていた菊幢丸にサーっと希望の光が差し込んだ瞬間であった。

 そしてそれは同時に菊幢丸の心に芽吹いた野望でもあった。


「だったらさぁ、僕……歴史改変をやってみたい!」


 生前に何かで見た記憶がある。

 戦国時代の日本の総合戦力は世界屈指だったとかいう話だ。

 それなら、この時代の名将、猛将、智将らを揃えて、海外と渡り合ってみたいと思った。

 菊幢丸は征夷大将軍になる。そして、その地位を守る力を手に入れた。

 あとは上手くやれば、日本中に号令できる天下人になれるはずだ。

 そんな夢とも妄想とも呼べる事柄を熱く語る少年にキサラは楽しそうに笑いかけた。


「いいね! 面白そうじゃないか。何処か安全な場所に閉じこもって過ごすのが本当は生き残るだけなら簡単なんだが、そんなのじゃ、身体は生きてても心が死んでしまうよな!」


 生存こそを第一に掲げてはいるが、そこは神と悪魔の戦争に単身で介入するような性格の娘である。

 大人しくしてるだけなのは、性に合わないのだ。


「そうかい? アンタもそう考えてくれるんだ! って、いつまでもアンタっていうのもあれだね? 名前で呼んだ方が良いかな?」


「そうだな。契約者になったんだ、その方が自然だろ」


「じゃあ、レイチェルさん? それともキサラさんかな?」


「ん……この世界でアタシに呪いを掛けれるような奴は無量大数が一にもいないだろうが、事、魔法使いとして活動するのなら、キサラがいいね」


 いや、どんな自信による確率だよって言うツッコミは喉の奥に潜めて、菊幢丸は首を縦に振った。


「じゃあ、キサラさんで」


「キサラ」


「いきなり、馴れ馴れしくないかな?」


「菊幢丸はアタシの無二の契約者だ。他人行儀なのは好きじゃない」


 そっぽを向いて、かすかに唇を尖らした様が何とも可愛らしかった。

 年相応、と思ったところでふと気づく。

 年齢、聞いてないな、と。

 聞いてもいいのか?

 いや、女性に年の話は厳禁だろう?

 と、葛藤を抱えていると。


「どうした? 百面相なんかしてさ」


「いや、あの、ほらさ、キサラって若いのに物凄く物知りじゃないか。凄いなって思って……」


「はっ! アタシが若いってか? 言ったと思うが、アタシは不老不死になる為に肉体を捨ててるんだ。外見こそ当時のままだけどな、実年齢は一つの文明の創世から滅亡よりも長く生きてると思うぞ」


「え!?」


 年増どころか大年増、ロリババァさえ裸足で退散するくらいのご年齢のようだった。


「アタシも詳しく覚えちゃいないけど、人類圏が3回滅びた事は記憶してる。詳細を知るなら魂を精査しないともうわからんわ、ははは!」


「あ、そ、そうなんだ……すごいね……」


「太陽が活動を停止した時は流石に苦労したもんさ。生き残りの生物を集めて結界内の疑似世界に隔離してる間に新しい太陽を作ったりしたなぁ……」


 貴女は神ですか?

 いや、神と喧嘩ができるって戦闘力の話だけじゃなかったんですね。

 なるほど、全知全能、言いえて妙です。


「でもま、アタシもまだ若かったな。あの時の苦労程大変な事はないだろうなって思ってたのに、今回、それ以上の苦難が待っていたんだからさ」


 太陽を作るより、この世界で生き残る方が大変なんですか。

 魔力にばかり頼っていたツケですかね。魔法使いなので仕方ないのかもですが。

 魔法使い、魔力なければ、ただの人。


「さて、結構な時間話し込んでしまったな。そろそろ戻って菊幢丸の親父さんに話を通しておこうか」


 菊幢丸があれこれ取るに取らないよしなしごとを考えている間にキサラの中でここでの話は終わったらしく、立ち上がった。

 小さい菊幢丸からすれば見上げる格好になるが、スラリとした長い脚にニーソックス姿が眩しい。

 彼女の美貌とスタイルをして欲情が湧かないのは、この身体が幼いからなのか、それとも彼女の美が侵し難い神聖なものに感じるからだろうか、菊幢丸は悩んだが、そんな少年の手を引っ張って起こすキサラに慌てて立ち上がる。

 そこで放してくれるかと思いきや、そのまま菊幢丸は引っ張られて、義晴達が宴をひらいている部屋まで戻ってきてしまった。

 そして控えの近習を無視して、襖を開けて開口一言。


「これから菊幢丸の魔法の先生と護衛をやることになった。よろしくな!」


 突然の事に言葉を失い、酒を呑む手も止めて惚ける一同。

 確かキサラは菊幢丸に魔法とは何かを教えに引っ込んだはず。

 それがいきなり飛躍して、教師と護衛と来て頭の回転がいささか追い付いていなかった。

 雇用問題であるなら、菊幢丸の年齢からしても先ずは、親である義晴と話をしてからであろう。

 一般的な常識から見てそれが正しいはず。

 しかし、この様な姿勢が罷り通る場所であまりに長く生活していたキサラはそこが欠如していた。

 心象的には良くない物が義晴の中に生まれていたが、思わぬ助け舟がここで出された。


「ようございましたな、上様。キサラ殿は剣の腕前でも某を上回るほどの御仁でござる。その様な人物に若君が守られているとなれば、地獄で鬼に出会おうとも安心しておられるというものですぞ」


 卜伝である。

 真剣勝負の立ち合いで無敗の剣豪がそうまで言う相手。

 まとまった話を無かった事にしてしまうのは悪手でしかないと思わせるに十分だった。


「俸給等の話をせんといかんな。その方はどれほど望むのだ?」


 将軍家の意地としては言い値を承諾せねば体裁が立たぬというものだが、居候中の身である。

 あまりに吹っ掛けられたら交渉をせねばならない。


「3食ご飯付きで、一日あたり50文だな」


 実に便利なキサラ改良の翻訳魔法。彼女は異世界アランフォードの一日の賃金の平均的感覚で報酬を口にしているのだが、義晴達はこの世界の日雇い賃金に換算されて聞こえている。

 

「何と、そんな安うて良いのか?」


 余りの安さに思わず口に出してしまったと思う義晴。

 体裁を考えるのであれば、ここは「それでは少なすぎる」と言ってもっと支払うべきであった。


「ああ~、そうだな、それと寝る所があればそれでいい」


「うむ。息子の身辺警護もするのだから当然、寝所は隣の部屋を用意はするが」


「なら、問題ない」


 基本キサラに金銭欲はない。

 日の食事と睡眠さえ取れれば文句はないのだ。

 それに日がな一日菊幢丸といることになるのだから、金銭を貰っても使い道がないともいう。

 それでも最低限的に要求したのは何かに使う機会もあるかもしれない、そう思ったからである。


「そ、そうか……して、飯だが日に3回とは、もしや昼にも食うのか?」


「当然だろ」


「いや、この国では2食が普通だからの。異国では3食であるのか?」


「ま、文化によって違いはあるけどな。健康で長生きしたいなら、大人しく1日3食食べな」


 キサラは先に食べた宴会として出された料理の内容から、この世界においては一日3回は食べないと身体によくはないと算段をつけていた。

 実際は4回でもいいくらいの栄養の低さであるが、必要な栄養素を摂取できないならいくらカロリーを詰め込んでも健康には良くない。

 なので、3食と定めた。


「そうなのか、異国の文明は進んでおるのだな」


「まあな。それじゃあ、そういう事で明日からご飯3回よろしく頼む」


「うむ。厨方にしかと申しつけておく」


「ああ、あとそれから……これはお願いなんだけどさ、1日に一回は出来れば味噌汁は出してくれないか?」


 そう言った、キサラの頬は微かに朱に染まっていた。


 

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