(エッセイ)私の本屋
子供の頃、親に欲しい玩具をねだっても買ってはもらえなかったが、本なら良いと、買ってもらえていた記憶がある。
私にとっての本屋は、玩具屋さんのような存在だったのかもしれない。
私の母も本を読む。母の父、つまり私の祖父も本を読む人だった。どうやら本読みというのは遺伝するらしい。
自分で本屋へ行って本を買うようになったのは、中学生くらいからだろうか。家から歩いて行ける距離に本屋がないので、友達とバスに乗って遊びに出掛けた先で古本屋へ行き、僅かなお小遣いを使って文庫本や漫画を買っていた。
古本屋のあの独特の使い古した本の香りが私は好きだった。真新しい新本を売っている本屋とは違う匂いだ。
それはそれで好きだけれど、多くの人の手によって何度も読み回されたであろう古本の香りは、鞣されて柔らかくなった革のような、色褪せて擦り切れたジーンズのような味わいがある。
大学生になり、実家を離れて都心で一人暮らしをするようになると、新本しか売っていない駅前の本屋が私の根城になった。
本屋を見つけると用もないのに必ず足を運ばなければ気が済まなくなる程には成長していた。
本屋でアルバイトをしていたこともある。
せっかく稼いだお金のほとんどは、その本屋に還元していた。
本の背表紙を眺めているだけでも幸せで、店長から「本当に本が好きなんだねえ」と言ってもらえた時には、まるで勲章をもらえたかのように誇らしかった。
新本の真っさらな匂いを嗅ぎながら、それをおかずにご飯が食べられると本気で思っていた。
今でも本屋を見かけると、灯りに誘われる夏の虫のように足が引き寄せられることに変わりはない。
だが、環境や立場が変わり、時代も変わった。
スマホを開けば、本が読め、買える時代だ。
それはそれで素晴らしいことだと私は思う。
本屋とは、決して形に拘ることなく、誰の前にも平等に豊かな世界を広げているのだから。
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