第5話③
「あれ? コタローか?」
目の前を三人のグラフィックが入り乱れて何も見えなくなっていた頃、聞き覚えのある爽やかな声がした。
「やっぱりコタローだ。なんでこんなところに」炎と氷の剣を背負った男が僕たちに向かって駆けてきた。
「コタローって言うんですか、この犬」男が十分声が届く距離まで来ると、僕は言った。男は僕の声に気付いて立ち止まった。
「その声は! もしかして、あなたは先ほどの黒パーカーの人ですか? 一体これはどういうことだ」男は腕を組んだ。
「どういうことかこっちが聞きたいよ」恨みったらしく言う。
「バグばっかりだ」
「もしかして、さっき案内してくれるって言ってた人?」ようやく、サキュバスたちから解放されるとわかったのか、安心したように君岡が言う。僕は、男を見上げた。
「そうだね」
「よかった」
君岡はそう言って、女たちに悪いと思ったのか、チラチラと周りを見た。が、女たちの視線は、すでに現れた男の方に移っていた。
「あ、シュガーさん。やっほー、任務帰り?」天使が袖を振りながら聞いた。
「ああ、そうだよ。がぶりーるさん」
「ねえ、暇なら店に来ない?」サキュバスがどこからかハートを出して飛ばした。シュガーと呼ばれたその男はそれを手に取ったまま答えた。
「残念だけど、これからこの人達を案内する約束があってね」
「あら、そうだったの!」猫耳が驚いて、退屈なのか、その場でくるくると回った。
「じゃあ待っている人ってシュガーさんだったのね」
「なあんだ、あたしたちから逃れたくて嘘をついてたわけじゃないの」
あとの二人が言った。君岡は、いつの間にか僕の後ろに回って、三人から距離を取っていた。その後、その三人は、僕たちに別れを告げると、八番ゲートに行き、グリフィンに乗って去っていった。彼女たちから受け取った紫色のどこかいかがわしいカードには「バー・わるぷるぎす:第八世界」と書いてあった。
「よりにもよって、あの人達に絡まれるとはね」
グリフィンが消えるのを見届けてから男が言った。
「そうだ、自己紹介を忘れていた。俺はシュガー。本当はシュガーコーン三世というんだけど、長いんで、シュガーって呼んでくれ」
シュガーは手を差し出して、言った。君岡は手を伸ばし
「よろしくお願いします」と言ったが、そこで固まった。
「もしかして、こっちの世界の名前、まだ考えていない?」察しのいいシュガーが助け舟を出す。君岡はこっくりと頷いた。
「そうか。まあまあ、気楽に考えればいいから。俺なんて、本名が佐藤だから、シュガーって思いついて、アイスからその名前にしただけだし」
「そうなんですか」君岡は意外そうに言った。
「そうだよ。さっきの人達だって、名前が何個あるのかわからない。アバターだって一つじゃないんだ」
「そ、そうですよね。さっきのお姉さんたちには、本名を言っちゃったけど」
それを聞いてシュガーはなにやら含み笑いをした。
「〝お姉さん〟、ね。君もけっこう順応が早いな」
「え、でも、他の二人はわからないですけど、一人は、確実に女の人でしたよね?」
君岡は少し早口でそう聞いた。
「いや、さっきここにいた人たちは、みんな男性だよ。一人は、まあわかると思うけど地声で、一人はボイチェン、そして君が女性だと間違えた、天使の恰好をした、あのダウナー系の女声のがぶりーるさんって人は、巷で言う両声類ってやつかな」
僕と君岡は驚いて顔を合わせた。シュガーはそれを見て声を出して笑った。
「まあ、間違えるのが当然だ。俺も初めて聞いた時は、女性だと思ったし」それからフォローになっているのかよくわからないことを言う。
「それはともかく、名前はあった方が便利だよ」
「ユーザー名とは違うんですか?」僕が聞いた。
「そうだね、僕が言っているのは、」と言い、シュガーは頭上に〝シュガー三世〟という文字を表示させた。
「こういうやつで、ネームプレートとか、ディスプレイネームとか言われているもののことだよ。初心者マークもつけることができる」
「へえ」君岡が感心した声を発した。
「それって、非表示にもできるんですか、それと、今考えなくちゃいけないんですか」
「非表示にもできるよ」シュガーはパッと、文字を消した。
「それから、まあ名前はゆっくり考えたらいいと思うよ。あったら便利だと思って言っただけで。変更できるから。けど、しょっちゅう名前が変わると誰が誰だかわからなくなるし悪用されかねないんで、一度決めたら一か月はその名前だけど」
「なるほど、ありがとうございます」君岡は、少々おどおどしながら器用に頭を下げた。――それ、どうやるんだ?
「まあ、その名前は後で考えてもらうとして、とりあえず今呼ぶ名がほしいな」
シュガーが僕たちを見ながらそう促した。それで、僕たちはとりあえず仮の名前を考えた。しばらくうんうん唸った挙句、君岡は君人、僕は考えるのが面倒くさくて、〝コタロー〟でもいいかと思ったが、そもそもずっと犬でいるつもりだと思っているのがおかしいと気付いてやめた。
「そういえば、それ、直らないの?」シュガーもそれに気づいて聞いた。
「なんか変なんですよ。さっきのパーカーのアバターが消えてしまっていて」設定画面を開きながら僕は答えた。
「そうか。どういうバグかわからないけど、まあもう一度作り直すこともできると思うよ」
だが、何度作り直して、入り直しても僕のアバターは〝コタロー〟に固定されてしまっていた。
「おかしいな、どうなっているんだろう」シュガーもお手上げなのか、ため息をついた。
「コタロー、返してもらわないと困るんじゃないですか?」君岡が聞いた。
「いや、別に困るってわけじゃないけど。データはこっちにあるんだし、いつでも呼び出せる。ただ、ちょっとややこしいってだけで」
「まあ別にこれでもいいですよ」面倒くさくなって投げやりに僕は言った。
「一応歩けるし」
僕のこっちでの名前は、結局捻りもなく、自分の苗字の音を一つ増やした〝野々宮〟にすることにした。
「本当にそれでいいの?」君人となった君岡が僕の姿を見ながら、遠慮がちに尋ねた。
「いいよ、別に。どうでもいい」――どうせ借りものだ。この身体も、デバイスも。そこまでは言わなかったが、そういう気持ちだった。
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