第5話②
「……誰なの?」遅れて、君岡の声が聞こえた。それで、名前を聞いていなかったことを思い出した。
「さあ」面倒だから受け流す。
「とにかく再起するよ」そして、設定画面から再起ボタンを押す。
自分を取り囲んでいた草原の景色や、ドラゴンの死骸は、あっという間に闇に呑まれた。それからオブスキュラを再起動するまで待っていた。どうもまだまだ改善が必要なようで、さっきの風景が映っていたところまで戻るのに時間がかかった。
その間に、現実世界の方から、君岡が僕の腕を掴まれた。
「まだ? 早く来てよ。なんか、変な人に絡まれちゃった」すがるように言う。
「もうちょっとだ」そう言ってログインを押す。画面が切り替わり、今度は期待していた、電子の海をワープするような演出が入り、暗くなった画面に、別の世界が再構成されていく。
今度こそ、ちゃんと君岡の言っていたエントランスに入れたようだ。正面に、銀色の巨大な建造物が見えた。透明の床に浮いていて、無数の銀のリボンが遠くからそこに集まっていた。建物は、まるでモンブランや、鳥の巣みたいに、ねじれあがった構造をしている。
大きく開いた入り口らしきところには、空中に、「オブスキュラ正面入り口」と書かれている。駅の中に入ると、そこは円形になっていて、リボンがぎゅっとねじれたように上に伸びていた。
一から十二までのローマ数字で、ゲートがあり、そこには黒光りする蒸気機関車、球とロボットアームのある潜水艇、大量の砲台のついた戦艦、白く輝く羽をもつスペースシップなど、多種多様な乗り物が見えた。向こうには、金の身体を持つ美しいグリフィンも見えた。
僕はそれらに目を奪われながら歩くと、七番のゲートの近くにできていた、人だかりに向かった。
「本当にもう、大丈夫ですから」近づくにつれ、声が二重になる。顔をすっぽりと覆う黒マスクに紫のマントをまとった男が、あられもない格好をした女三人に囲まれていた。
「あら、あら可愛い反応。初心ねえ、本当に食べちゃいたいくらい」
おかまっぽい声色で、猫耳で銀髪の小さな女が言った。
「ちょっとちょっと、よくないよ、ほら怖がってるじゃない。ごめんなさいね、ちょっとこの人、おかしいの」
笑いながら、なにかボイスチェンジャーを挟んだような女声をした、豊満すぎる身体を見せつけるような恰好をし、お腹にタトゥーのあるサキュバスの女が言った。
「でも、今のうちから、耐性をつけておくのも大事だよー? ね? この後、暇? 僕たちの店に来る?」ハスキーで、少し気だるげな声色の、天使の輪っかをつけ、だぼっとした水色ジャージの女が誘った。
「け、結構です。ぼ、僕、待ち合わせしているんです。ここを案内してもらえるって」
まったく威厳のない声で黒マスクは断った。だがそれは逆効果だったらしい。三人はもっと色めきだった。
「あら、そうなの」
「それじゃ、その人達も連れて、うちに来ない? 八番ゲートからすぐに行けるから」
僕は彼らの後ろに来た。が、彼女たちはしばらく僕に気付かず君岡に話しかけていた。
「ねえ、名前なんて言うの?」
「何歳?」
「あら……?」そこでようやく猫耳が僕に気付いて声を出した。
「もしかして、この人?」黒マスクの君岡に聞く。
「え?」君岡が振り返った。が、どうしたものか、反応が薄かった。
「初めてにしては、珍しいのを選んだのね」どこか申し訳なさそうに笑いながら、サキュバスが言った。
「ほんとだ。大体みんな、人型を選ぶんだけど。まあいないわけじゃないし可愛いけど、へえ、犬なんだね」天使が言った。
「犬?」僕は驚いて声を出した。まさか。いや、確かに、歩くたびに、何か白い毛が見え隠れしていたような気がしていたが……。
「野宮? 遅いよ。やっと来てくれたのか。でも、それ……」
君岡が安心した声を出した後、僕の姿を見て笑い出した。
「なにがおかしい」少し不快になって聞く。
「だって野宮、それ、どこで見つけたんだよ。それとも、自分で作ったの?」笑うのをやめないまま、君岡が言った。
「は? 作れるわけないだろ。今日入ったんだから」当然だと思い、言い返す。
「でも野宮、自分の姿を見てみた?」
「見てないが」
「見た方がいいよ」笑いを堪えながら君岡が言う。
「どうやって」
「カメラを出せばできるわよ」横からサキュバスが助けてくれた。
「カメラ?」
「まあ……鏡を出した方が早いかもね。メニューにミラーがあるはずだから」
教われた通りに入力し、ミラーのボタンを選択した。一瞬のうちに目の前に巨大な鏡が出現する。そこには、艶やかな毛並みをした肌色のレトリバーが、楽しそうに舌を出して映っていた。
「どういうことだ?」僕は驚いて大きな声を出した。
「どういうことって……自分でそれを選んだんじゃないの?」君岡はまだ笑っていた。
「そんなわけないだろ。ちゃんと人型のを選んだはずだ。黒い、パーカーを着ていた気がする」
「そうなの?」ようやく、何かがおかしいと気付いて、君岡の声が少し真剣になる。
「バグなのかな」
「バグ?」僕はうんざりした。
「さっきもあったぞ。バグり散らかしてるな」僕は困って、鏡を見上げた。どこからどう見ても犬だ。四つ足で立ち、あのピンクの舌を出している。
歩くと、尻尾をふりふりさせるようだ。だが、どうしてだろう。この犬、自分とは関係ないはずなのに、ぶすっとして、あまり目つきがよくない気がする。
「でも、それ、似合っているよ」君岡が無責任に言った。
「どこがだよ」だが、もう、どうこうする気も起きなかった。呆れて何も操作をしないでいると、僕の身体は、勝手にぺたりと座り込む。
その瞬間、三人の女が「かわいい~」と言いながら僕の頭を撫でてきた。どうやらそうされると、この身体、自動的に尻尾を振るらしい。それも、実際の犬そっくりに、パタパタと嬉しそうに振る。気に食わない。が、奇妙な感じだった。本当に撫でられているわけではないのに、頭の上が熱くなったような気がした。
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